2009年6月14日 (日)

ライフタイム

先日、延岡市で飲んだ後、最終の特急で宮崎市まで帰ってきた。東京から見えていた風狂子と詩の師匠でもある果樹氏も一緒である。「もう一軒行こう」ということになって久し振りに駅の近くにあるジャズのライブハウス「ライフタイム」に寄った。

12時前ですでにライブは終了していたが、マスターは快く店に入れてくれた。三人ともほろ酔い気分で、恐らくお互い勝手なことをおしゃべりしていたように思う。私はライフタイムでCDを出していたことをふと思い出して、酔いの勢いで買ってしまった。

宮崎で出すのだからとあまり期待もしていなかったが、これが驚いた。久しぶりにジャズボーカルを聴いたせいかもしれないが、思わず身を乗り出して聴き入ってしまった。その歌いぶりがビリーホリデイの情感を搾り出すような歌い方にも似ていたが、沖縄の与世山澄子とも違い、ブルージーで、ソウルフルで、かつ知的で、哀愁のなかにも、歌うことの喜びみたいな感動が伝わってきた。スローテンポな曲が多いこともあって、じっくり聴かせる。バックのピアノやギターのシングルトーンもボーカルに絡み心地よい。

Bb_2 「BLACKBIRD」Kuma Masako at LIFETIME BLACK TREE Records

久万正子(くままさこ)プロフィールより
幼少より歌うことが大好きで、すでに4歳にして歌手になることを夢見ていた。クラシック・ピアノと声楽を習い、後にジャズに転向する。高3夏、クラシックよりもっとポップな音楽がやりたいと 声楽の先生に相談したところ、ジャズを薦められ、ジャズに方向転換。大学進学拒否。 高校教師からは“頭がおかしくなった”と 危険人物視される。

1973年東京音楽学院“ジャズ科”に入学し、ティーブ・釜范氏に師事。1976年からはマーサ・三宅にも習う。翌年から、都内ジャズクラブ、ライブハウスで早くもプロとして活動を始める。1977年、プロとして活動を始める。歌えることが嬉しくて毎日毎日歌う。渋谷毅(P) 川端民生(B) 武田和命(Ts) 田村博(P) 津村和彦(G)他、多くのミュージシャンと出会い、彼らの音や姿、言葉(酒)から多くのことを学ぶ。

1993年、音楽上の行き詰まり、どうして歌ってるの? 何故この曲なの? 全てが分からなくなり、音楽活動に終止符を打つ。音楽とは無関係の会社に就職OL生活を楽しむ。2000年ごろから無性に歌いたくなる。勤務しながら月1~2回のペースで活動を開始するも、常に心にあるのはJazzとは何?!2004年 田村博(P)&津村和彦(Gui)のトリオをメインに活動開始。2007年2月 十数年振りに合った扇田正俊をProducerに、田村博(P)、津村和彦(Gt)で新宿『ジャズスポットJ』にてセカンドアルバムを録音。2008年9月、宮崎のライブハウス「LIFETIME」でサードアルバムを収録。

このプロフィールだけみても、錚々たるメンバーと組んで歌っていることがわかる。本格的な実力派といっても過言ではない。恐らく10年間ほどのブランクがその唄声に深みを与えているのだろう。なぜ、歌うのかということで相当悩み苦しんだ様子が窺える。これはなぜ生きているのかと同じくらい意味を持つ問いである。それを乗り越えた果てに自然に口について出てきた歌だけに、歌詞の解釈やメロディやリズムの表情に陰影が濃く表われている。失恋も含め、恋の唄がほとんどだが、それだけに情感豊かで、いろんな人生模様を想像させてくれる。

解説書によると母親の出身が宮崎らしい。現在はほとんど東京で活躍しているらしいが、たまに帰省してライフタイムで歌っているのかもしれない。今では私は朝夕の通勤途上で毎日のように聞いている。

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2009年6月11日 (木)

梅雨空に

Img_3983 例年に比べ、10日以上も遅れて一昨日、梅雨入りした。本日の午前中まで、降ったり止んだりの空模様であったが、午後からは晴れ間も覗き、夕方7時前、職場を出る頃には空一面のうろこ雲が広がっていた。

うろこ雲は秋の季語となっており、秋台風の頃、温暖前線や熱帯低気圧の接近時によくおきるらしいが、気候条件によっては年中見ることもできる。巻積雲ともいう。今日のうろこ雲は梅雨前線の通過とともにおきたのかもしれない。

うろこ雲を見ると空の広さを感じる。青をバックに、白い点々とした巻積雲が、どこまでも目の前に広がり、果てのない空をイメージするのだろう。積乱雲やすじ雲では空の広さは感じさせない。点描画のようなうろこ雲の広がりが、空というものの造影を浮き彫りにする。

そしてそのうろこ雲の美しさがなぜか心を揺さぶる。空の広がりが哀しみのようでもあり、切なさのようでもあり、寂しさのようでもある。上空は風が強いのだろう。引きちぎられ、離れ離れにされていく雲のひとつひとつに、寂寥や孤独を感じるのかもしれない。

うろこ雲の下に灯りの点き始めた街が映る。電柱や電線、信号、看板など、不況下の人の生活が広がっていく。空と雲と電線の陰影が、より一層を生きて在ることの感慨を強めてくるのだろう。丁度、夕暮れ時でもあり、少し感傷的になった。でも、刻は動いている。

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2009年6月 7日 (日)

運動公園駅

Img_3958 木花の運動公園駅は、片面単線だけの小さな無人駅である。簡易な上屋が有るだけで、改札口もない。駅舎の階段を上がると近距離きっぷの券売機が設置されており、もちろん電車が近づいても警報や放送もない。1日の平均乗車人員は58人とある。

先日、その運動公園駅から乗車する機会があった。土曜日の昼下がりであったが、高校生らしい乗客が数人いるだけで、それぞれケータイを操りながら、電車が来るのを待っている。実にのんびりした光景である。ホームに風が吹きわたり、静かである。

そのプラットホームの前面に広がる青田に見とれた。青々とした田の向こうには、加江田渓谷の双石山、花切山、斟鉢山の山並みが坐している。初夏の風がそよぎ、その風に青田が波打っている。風と青田が戯れている。風が吹くたびにところどころの青田が白くひるがえり、山の方角に向かって誰かが通り過ぎているようにも見える。

自然の風景は見ていて飽きない。明るい日差しと空に浮かぶ雲、青田の緑に、山の陰影。ふと気づいたのは広告類がまったくないということである。たまたま田園には人影もなく、農機具の姿もなかったが、それが自然の存在感を高めているのかもしれない。

とはいっても、風景は人の力で出来上がる。この青田にしても、山(樹相)の姿にしても、すべて人の力が加えられて風景が作られている。コツコツと大地を耕し、田植えをしてきて、あるいは植樹や枝打ち、下刈を繰り返してきて、これらの風景は出来上がるのだ。そこに人の気配を感じるから、暖かみも抱くのであろう。無意識のうちに人の姿を想定している。

しかしそれをさせているのは、ひょっとするともっと大いなるものなのかもしれない。蟻や蝶が動き回るように、私たちも無意識のうちにいろいろな行動を取っている。さきほど田の上を通り過ぎていったのは、この実相を動かしている大いなるものだったのかもしれない。

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2009年5月30日 (土)

泣き伏したPC

一日何時間パソコンと付き合っているだろう。
職場でも自宅でも、資料のデータ化と文章作成、インターネットやメールなど、恐らく起きている時間の半分はキーボードを操っている。特に職場ではノートパソコンを使っているので、開けたり閉めたりは日常的な行動になっている。そんななかで次の詩に出合った。上手宰さんの詩である。

閉じられないノートPC

ノートパソコンを閉じると
今まで私を見つめていた画面が
わっと泣き伏して
机に顔を埋めてしまったように感じる

どこかで
カチッと音がした

閉じられたのはパソコンではなくて
私の心だったのか
内側から自分に鍵をかけて
これから出かける

今日はたくさんの人に会い
とてもさびしい想いをすることはわかっている
そのぶん
やさしい笑顔であいさつを交わすだろう

電車の中で急に若い友人の話しを思い出した
何かの衝撃でノートパソコンのふたがしまらなくなったという
泣き伏そうとしても
隙間ができてしまって
腕に顔を埋められないのだという

いつまでたっても
カチっという音が聞こえない
不細工なマシンの横顔を思った

力ずくでふたを閉めてしまうのも一つの手だね
何かが折れた音がして
突っ伏したまま二度と顔を上げない
壊れたマシンがそこにある
永遠にうつむいて

この作品を読んで以来、ノートPCが感情を持った機械に思えてきた。一所懸命、働いているのに、感謝の言葉もない。真剣に付き合っているのに、私のこころをわかってくれない。そんなノートPCのつぶやきが聞こえてきそうである。

「わっと泣き伏して/机に顔を埋めてしまった」ととらえる上手さんの感性がすばらしい。恐らく、常日頃から人に対して、痛みややさしさを共有する心根をお持ちなのだろう。

この作品のキーワードは「内側から自分に鍵をかけて」の箇所だろう。だから最終行の「永遠にうつむいて」につながっている。「たくさんの人に会い/とてもさびしい想いをする」のも、自分の心を閉ざしているからである。その感慨を壊れて閉じないノートPCに託している。

ディスプレイにはさまざまな情報が流れる。さまざまな表情が現われる。もちろん見たくないものは閉じればよい。しかしそこに対話は成立しない。情感の共有もできない。そのことを上手さんは「わっと泣き伏して/机に顔を埋めてしまった」と表現したのではないか。

自らの心に鍵をかけて、素直さや誠実さを見失った現代人を、生身のコミュニケーションを疎かにしている現実を、ノートPCに象徴させて作品化している。実に心憎い、うまい表現である。

このほかにも「不具合」という作品もあって、PC漬けのわたしには身に沁みる発見であった。

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2009年4月11日 (土)

草刈り

Img_3891 今年は桜の開花が例年に比べ、10日前後早い。四月に入って晴天が続いており、今日も気温27度、湿度51%だった。そのせいか、庭の雑草も伸び方が早く、今日、今年度第一回目の草払いをした。例年、5~6回は草払いをする。

今年はカラスノエンドウがよくはびこっている。その他、オオイヌノフグリ、カタバミ、スギナ、オオバコ、ハハコグサ、タンポポ、フキ、ヨモギとよく知られているものだけでも10種類はくだらない。詳しく調べていけば、20~30種類にはなるだろう。どこからそんなにやってくるのだろうと思う。そして例年、庭の様子が変わる。

カラスノエンドウが長く伸びていたので、最初、地べたに這いつくばって手と鎌で刈っていった。草を取った後から、ダンゴ虫やミミズ、土蜘蛛、バッタなどが出てくる。子どもの玩具も出てくる。除草剤など使ったことがないので、土地は肥沃なのだろう。草も虫も人知れず、一所懸命、生きている。もし、相互に交信しているとすれば、すごいネットワークだろう。いや、しているような気がする。

あらかた抜いたところで、次に草払い機で短く刈っていった。当初は高麗芝を植えていたが、手入れをしないうちにカヤがはびこり、雑草の宝庫となったのだ。だが、短く刈ると芝もまだ生きている。また日陰では苔が広がっている。普段から手入れをすればもっといい庭になるのになといつも思う。それがなかなかできない。

子どもたちがまだ庭で遊んでいた頃は、雑草もあまり生えなかった。私も野菜作りなどをしていたので、庭もそれなりに整っていた。子どもたちも成長し、庭で遊ばなくなり、私も身体を痛めたり、デスクワークが増えたりで、庭に注意を払うことが少なくなった。それでも例年、草は生える。草取りはこれで終わりということがない。休ませないためだろう。

Img_3895 今年も庭との格闘が始まった。

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2009年3月20日 (金)

穆佐小学校移転

Img_3872 穆佐小学校の建設予定地となっている穆佐団地センターの造成工事が急ピッチで進められている。設計の詳細は不明だが、農協支所や団地センターの建物はそのままにして、倉庫跡地に校舎が建てられるのだろう。消防署詰所も県道沿いに新築されているようだ。農協のガソリンスタンドも解体され、そこに学校用の正門や階段が作られるのかもしれない。周辺の風景が除々に変わりつつある。

Img_3871敷地は手狭に感じるが、何より、現在の小学校の老朽化や耐震性、台風時の浸水、避難所としての機能などを考慮すれば、速やかな移築建設が望まれる。また、将来の児童数減や登校距離、役場支所や農協などとの併設、交通の便などを考えれば、複合施設エリアとして妥当な場所なのかもしれない。

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先日、去川小学校が閉校した。地域から小学校がなくなるのは地区住民にとっても淋しい限りだろう。宮崎市内に近接しているとはいえ、まだ、穆佐地区はかつての地域共同体としてのつながりや関係を保っている。それらは非常災害時などに特に効力を発揮するものだ。我が子たちが巣立っていったとはいえ、やはり地元の小学校は大事にしたいと思う。

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2009年2月14日 (土)

冨岡夜詩彦

冨岡務(とみおかつとむ)さんが、今月2日、悪性リンパ腫のため78歳で死去された。えびの市議6期、市助役2期の後、2007年12月まで副市長を務められた人である。私は面識はなかったが、本多企画から随筆集「風のことば」(1997年)、句集「風の記憶」(2002年)を上梓されていることを本多寿さんからうかがった。たまたま住まいが私の実家の川向うにあるということから興味を抱いた。

ネットで調べてみると次のようなことがわかった。まず、同市出身の映画監督、黒木和雄さんと同級生だったということ。学徒動員で、軍需工場で働かされ、空襲で同級生10人を亡くしたという。その体験が戦後の冨岡さんの生き方の原点になっているのかもしれない。

市議会議員時代、13年間休まず自費で市議会の報告を発行し続けている。原稿は手書き、自宅のコピー機で印刷し出していたという。学校の校舎改築、体育館建設などについては、地区の住民に平面図、工期、工事額、請負業者などをコピーして配布していた。誠実なお人柄がわかる。

また、議会での手厳しい質問には定評があったという。市長与党の保守系議員にはめずらしく、数字をあげ、データを示して具体的な質問を行っている。そこまで執行部を追及しなくてもという声もあったらしいが、「市民の代表として議会に出ている以上、筋の通らないことは許せません。執行部ももっとしっかり勉強してほしい」との強い思いがあったのだろう。

当然ながら、冨岡さんの自宅の書斎には地方自治・地方財政の専門書が山積みされていた。図書館を建てるにしても「他の自治体が建てたから、うちの町も立派なのを建てよう、というのではいけない。実際、どれだけの予算がかかり、どのくらいの人が利用しているのか、データに基づいて計画するのでなければなりません」と執行部追随の地方議員や横ならび意識の強い自治体幹部を叱咤激励していた。冨岡さんの信条は「運命をかけて自分の言葉を語る」ということであったという。

俳人としては、冨岡夜詩彦のペンネームで、「沖」「椎の実」「円」同人であった。俳人協会会員、県俳句協会理事も務められている。そのことは地元ではあまり知られていないのではないか。その作品を読ませていただいて驚いた。政治家としての生き方と俳人としての生き方に矛盾がない。世俗的な名声や利欲に背を向け、ひたすら誠実な生き方を追究している。冨岡さんは、俳人、野見山朱鳥の「生命諷詠」に共鳴し師事している。印象に残った作品はたくさんあるが、少しだけ紹介してみる。


地を出でし蟻に記憶の幹立てリ

じっと地面を見つめている冨岡さんがいる。出てきた蟻に戦争体験を思い出したのかもしれない。その記憶を胸に刻み、戦後を強く生きようとする姿勢が伝わってくる。


春雨濃しいのちあるものなきものに

春雨が降っている。何か深い思いが胸中をめぐっていたのであろう。その雨が森羅万象に降り注いでいる。それは人や樹木、植物のみでなく、無機質な農機具や制度にまで及んでいく。


蛍火となれざる虫も闇飛べり

人が愛(め)でる蛍だけでなく、闇夜に浮かび上がらない虫にまで、その温かい愛情を注いでいる。それは社会的弱者や僻村の老齢者かもしれない。その想像力に驚かされる。


皇居にも裏径があり夏薊

終戦記念日かなにかに議員として皇居を訪れる機会があったのだろう。晴れやかな舞台よりも裏径に咲く可憐な野花に目を奪われている。「裏径があり」は意味深である。


天に辛夷地にかなしみの柩置く

春先に咲く辛夷の白い花が天に輝くなか、親しい人の葬儀があったのだろう。希望と失意、明と暗の対比が、辛夷と柩に象徴されて見事である。万物流転の生命感を感じる。

句集「風の記憶」の2部に書かれた評論「風の源流」(野見山朱鳥論ノート、「生命諷詠」という時代)はすぐれた句論になっている。俳句だけでなく、芸術一般、生き方そのものを問う論考をいっていいであろう。

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2009年1月12日 (月)

問い続けること

先週の土曜日、宮崎県立図書館でNPOスキルアップ講座が行われていた。「これからの市民活動の行方」と題して、フリージャーナリストの播磨靖夫氏の話であった。氏は障害者支援「たんぽぽの家」の理事長でもある。これがなかなか面白かった。

レジメに「出口の見えない閉塞状況に生きる私たちに必要なのは、問いのすみやかな解決ではなく、問いの生成に価値をみいだすことではないか。先に先にという思考が強まる時代において、答えを出すのを急がず、問いを最後まで引き受ける生き方を大切にしたい」とあった。これにまず引き込まれた。

話は秋葉原に象徴される「誰でもよかった」無差別殺人事件に始まり、人と人、人と自然、人と社会、人と大いなるものが分断される虚無の時代にあって、弱い者がいかに生き延びるかというテーマで展開された。「生きている」「どうなる」から「生きていく」「どうする」への転換。能動的、主体的選択の幅を広げることが大切なのだ。「できないことを求めるのではなく、できることをやれる環境づくり」が重要だという。そのキーワードは互酬文化(お互いさま)の復権にあるとした。それはモンスターペアレントなどのクレーマー(文句)社会を変革することにもつながっていく。

確かに日本には贈答文化がある。そのいき過ぎが官民での業者癒着や教職員採用に関わっての不正を生み批判されたが、かつて隣近所同士あるいは縁戚同士で互酬のシステムが生きていた。「もったいない」と同様、「お互いさま」という精神は金を介在させない関係で弱いものどうしが生き抜く知恵であった。その支え合い文化をもう一度見直すべきだという。

弱さとともに生きることは、その互酬精神を活かしながら、新たなケアを創出していくことにある。介護の問題は確かに多い。ただ一方でその介護を楽しくやれたという例も報告されている。そこに共通しているのは生活の保障と相談の関係がうまくいっていることにあった。支え合いが充実していたのだ。その発見は実際に介護にあたった人たちの声から導きだされている。それは市民的専門性なのだという。研究者や学者からは導き出されない横断的な提案がたくさん生まれている。

ケアリング・ソサエティ(共生社会)は支え合うコミュニティづくりである。それは競争ではなく共創を生み出す社会である。他者への配慮、気遣い、声かけなどがその文化を支えている。そして共生社会を発展させるには異業種や障害者、社会的弱者、あるいは異民族など異なる他者との交流が大事だという。そこから新たな発見や創造(アート)が生まれてくる。

市場原理主義や成果主義に振り回されてきた若者たちが草食系男子となってサイレントマジョリティになりつつあり、女性たちがアラフォーに満たされず東アジアや窮乏に目を向け始めている(朝日新聞連載「感情模索」より)。そのことを想起しながら話を聞いた。なかなか示唆に富む話であった。何より人間の尊厳が顧みられない社会でどう生き伸びるのかということ、そして新たに生まれる問いに価値を見出すこと、その持続性が生き方をも左右していくのだろう。

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2008年12月31日 (水)

ゆく旅

いよいよ大晦日となった。
身辺の整理をしながら、ゆく年くる年に想いを馳せる。
年末に岡山から出されている詩誌「ネビューラ」(代表、壷阪輝代)が届いた。そのなかの一編「ゆく旅」(日笠芙美子)が印象に残った。

ゆく旅

稲の切り株のうえに
冬の陽が落ちている
じっとたたずんでいる一羽の白鷺の
背中のあたりから日暮れて
ぽつんと明りが灯る家がある

いくつもの夜を越えて
今夜はたどり着く戸口

暖まってゆきなさい
父が蕎麦をうっている
母がテーブルを拭いている
ふたりとも楽しそうに
蕎麦をすすめる

ああ
ゆであがった蕎麦であふれてしまう
止まり木のようなテーブルで
ひととき 声のない会話をしている
若い父と母と
年月を重ねた娘と

ギイーギイー
鳥の声が夜を渡って行く
永遠のような一瞬
やさしくあたたかいものが
喉元を通り過ぎてゆく
たぶん現(うつつ)も一瞬なのだろう

白鷺たちのねぐらだった鉄塔で
木枯らしが羽音をたてている
夜をゆくものたちが聞いている

生きるということ、歳を重ねるということ、日々の暮らしを過ごすということ、そんなことを想起させる。そのなかでふと想い出す父母の記憶。そのやさしさあたたかさに日々の孤独や苦渋が救われる思いがする。ただその人生も一瞬なのだという死生観が胸を打つ。決して厭世感などではない。白鷺は作者自身かもしれないし、今世紀を生きる人々(人類)かもしれない。しかしそれを見つめている「夜をゆくもの」は日笠さん自身であることは疑いない。最近の日笠さんはますます充実している。来年また、どんな作品にめぐりあうか楽しみである。

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2008年12月29日 (月)

年の暮に

今年もあと残すところ3日となった。振り返って今年もいろいろ刺激的な出会いがあった。思いつくまま記しておきたい。

ひとつは私にとって南島志向について考えさせられる年となった。中村地平生誕100年ということでさまざまなイベントが開催された。マスコミ等による報道特集や地元実行委員会の記念行事、さらに日本社会文学会秋季宮崎大会での問題提起など、興味深く読みかつ聞かせてもらった。また、柳田国男宮崎来訪100年ということでも特集やイベントが開催されており、たまたま「海南小記」を中心に柳田の紀行文についてまとめていた時期とも重なって、南方あるいは南島志向について考えさせられた。

中村地平の南方文学については、日本社会文学会での研究報告が刺激的だった。特に台湾東呉大学の阮文雅女史による「台湾から中村地平を読み解くー重層化された南方」は、地平の小説に限らず南方を取り扱った日本文学を分析し、その性格を整理したものであった。これまで国内では植民地主義(侵略戦争)との関連でとらえられてきた地平の南方文学を反近代、地方主義からとらえ直しており、その可能性を開くものとして注目した。また別な報告に対する意見のなかでマジカル・リアリズムという言葉も出された。ガルシア・マルケスの「百年の孤独」などに通底する反ヨーロッパ主義の概念に含まれるのではないかという意見であった。現地主義あるいは地方主義と読み替えてよいかもしれないが、そこには当然、西欧近代科学では割り切れない事象や出来事が取り上げられる。気候風土から生活習慣、信仰まで、生存の可能性を問うものであるような気がした。

柳田国男が最晩年にまとめた「海上の道」は彼の代表作といわれているが、この日本文化の伝播経路を追究した理論は今日ではほとんど論破されているといってよい。島崎藤村作の「椰子の実」の元になった柳田の体験だが、そこから、この構想が生じたとされている。しかし、他の柳田の著作に比べるとどうしても実証主義が希薄なのである。何か無理に結論をこじつけたようなところが感じられる。それこそ南方志向の熱にうかされたような印象を受ける。伊良湖岬での若い頃の感情がそのまま投影されているように思われた。母なる原郷を南方に探ったといったら言い過ぎだろうか。今後の私のテーマになりそうな課題である。

柳田の南方志向を探るなかで、美術史家の岡谷公二の著作を何冊か読んだ。岡谷も自らの南方志向を隠していないが、ミシェル・リレスや土方久功、ゴーギャンなど南方に憑かれた者たちを追究している。マジカル・リアリズムの根底には失われた世界に対する郷愁もあるような気がする。それが文学や芸術の可能性を開くものとしてどのような展開があるのか皆目予想はつかない。

11月に初めてチェーホフの劇を観た。演劇集団「地点」による四大戯曲の連続上演の一環であったが、そのなかの「ワーニャ伯父さん」がたまたま宮崎で上演された。観客は100名ほどであったが、小ホールでまじかに観ることができた。チェーホフの作品が劇でどのように演じられるのか、文庫本で読んだ時の印象とどう違うかが楽しみであった。最も印象的であったのはソーニャのとらえ方であった。最後の場面でワーニャ伯父さんにやさしく語りかけるシーンがあるが、寝転んだワーニャ伯父さんの背中を足蹴にしながら、「生きていきましょうよ」と語りかけるのである。これにはびっくりした。もちろん神西清訳にはそんな風には描かれていない。チェーホフ劇の解釈の仕方であろうが、シニカルとユーモアというチェーホフらしさを強調するためにそのような演出にしたのかもしれない。しかし、私には新鮮であった。劇の始まりは靴音、終わりは拍子木の音であったが、やはりチェーホフ劇における音の役割というものを改めて考えさせられた。

12月に入って近くのギャラリー「鬼楽」で、横瀬勝彦・田村将太「木の形展」があった。横瀬は63年生まれのベテランである。田村は私は初めて知ったが82年生まれの新鋭である。横瀬は小林生まれ、田村は日之影生まれである。横瀬の立体は極めて理知的である。というより現代人の緊張や不安を表現しながら、寓話性を感じさせてくれる。タイトルも詩的であり、作品の前に立つといろいろ考えさせられる。しかし深刻さだけではなく、ユーモアや遊びの感覚も取り入れ、見ていて飽きさせない。今回展示はなかったが私は箱シリーズの巨大なトランク(題名を忘れた)が好きである。旅行鞄、パンドラの箱、のぞき見趣味などいろいろな空想を楽しむことができる。

田村の作品は木肌や木目を生かして樹木のぬくもりを感じさせてくれる。やわらかいカーブに直線を交えながら、木の存在感や造形の美しさを出そうとしている。やわらかさにはエロス的な印象も与え、生命の瑞々しさを感じさせてくれる。木の気というものがあるように思うが、その見えない気を造形によってとらえたいという願望も窺えた。ただ、若干装飾的な要素もあり、様々な冒険、実験の過程にあるとは思うが、今後の展開に興味をそそられた。

年末になって新詩集が届いた。南邦和「神話」、本多寿「草霊」、藤子迅司良「みつぎ倉庫から」など、その詩作態度に刺激を受ける。志垣澄幸歌集「日向」にも心打たれた。詩誌もたくさん届けられるが、全部を読みとおす力はない。何事も整理のつかないまま年を越そうとしている。

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