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2005年9月30日 (金)

穆佐小PTA1

昨日、PTA常任委員会がありました。

先の台風被災により、全国的に知られるようになり、県内外より義援金や援助物資が届いていることが報告されました。本校PTAからもこれまでバザー益金などで積み立てた特別会計のほとんどを、教材教具にあてることが了承されました。

ただ、まだ1,2年生の教室や体育館など使える状態にはなく、運動会の準備も先生方は四苦八苦のようです。 また、被災にあった児童のなかには、体操服や体育館シューズ、帽子などを無くした子も多く、他の子と違った服装をいやがる子もいるとか。メーカーにも問い合わせ中のようですが、必要なサイズがいろいろで急には間に合わないようです。卒業された子どもさんのいる家庭で眠っているのもがあれば、申し出て欲しいと思います。

常任委員会終了後の企画委員会では各部からの報告が行われました。
10月30日に延びた運動会の内容について大分論議されました。被災者の気持ちを思って保護者主体のプログラムは自粛すべきだとの意見が出されました。

高岡中学校は先日半日のプログラムで実行され、宮崎市内の生目小学校では全日の日程で挙行されました。いろんな意見があり、穆佐小学校では全日の日程で行われることが決定されていますが、自粛の意見を入れて、保健体育部では保護者主体のPTA団技につていは当初取りやめも検討されましたが、子どもを参加させる形でやろうということになりました。問題は地区対抗競技で、被災地区の参加体制や心境で、今後、保体部と地区長部で検討することになりました。

どのような形であれ、いろんな感想をもたれるでしょう。精一杯がんばる姿を見せることが一番の元気をもらうことになると思います。台風被害にあっても、くじけずに例年どおりやるという心意気でやりましょう。オジャミが足らないそうです。そのうち学校から協力要請があるかもしれません。

各専門部の集会では、解体同然の被害で家に住めず、避難所暮らしを余儀なくされている家庭もあり、それも連絡がとれず、地区の児童がバラバラになっているという報告もされました。 別の地区から通学している児童もあり、また宮崎市内に避難した家庭もあり、育成部の会費も含め、給食費の集金がままならないということでした。

地区長部ではできるだけ学校や知り合いを通して連絡を取り合い、原則として従来通りその地区で集金をすることになりました。被害にあった家庭については給食の免除措置などないのでしょうか。

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2005年9月25日 (日)

台風14号被災

本日の各社新聞にも掲載されていましたが、台風14号被災者を支援しようと、宮崎市周辺のNPO法人が集まって「みやざき災害復興支援ネットワーク」が結成されました。

家財や家電品の廃棄物がある程度片づいて、何か心の中にぽっかり穴が空いたようだと被災者のひとりは話されていました。60年連れ添った老夫婦も想い出の品をすべてなくし「今からまた出直しよ」と言われていました。精神的なバックアップを必要とされているようです。

「何をやってもらいたいといわれても、今は何もない。」ということですが、できることといったら、話を聞いてあげることぐらいでしょうか。

広報「たかおか」10月号が配布されてきました。台風14号被災の写真がたくさん載せられています。 各種支援制度の内容も書かれていますが、詳細なマニュアルは10月3日以降に国から示されると聞いています。それを受けて具体的な手続きが行われるのでしょう。

また、広報には高岡中学校からの制服寄付のお願いが載せられていました。穆佐小学校も何か必要なものがあれば、呼びかけて欲しいと思います。今月27日にPTAの常任委員会がありますので、こちらからも聞いてみたいと思います。

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ギャラリー鬼楽

日頃から懇意にしてもらっている「ギャラリー鬼楽」の鬼塚良昭先生が兵庫県養父市主催の「第12回公募展木彫フォークアート・おおや」で養父市ふるさと賞を受賞されました。おめでとうございます。

下記URLでその作品・内容を見ることができます。

http://www.city.yabu.hyogo.jp/Contents/7D5338F533/sokuhou.htm

出品前にその作品を見せてもらいましたが、これは絶対グランプリを受賞すると思っていましたが、フォークアートというにはあまりにもモダン過ぎて、審査員が意図的にはずしたのではないかと勘ぐってしまいました。

それほど緊張感があって、その形から弦や弓、舟(作品名は「結の舟」)壮大な宇宙すら感じさせてくれます。

鬼塚先生は今月は初旬より東京で個展(土日画廊)。その間、先の台風14号では「ギャラリー鬼楽」が床上浸水の被災で、一時帰宅という慌ただしさのなかでの受賞だっただけに本当に嬉しい知らせでした。

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2005年9月23日 (金)

穆佐小学校の状況

職員室、事務室、校長室、理科室、家庭科室、保健室、1,2年生の教室、体育館など床上浸水2m近くで相当な被害。職員室などにあったパソコン類を含む事務機器類がすべて泥水にまみれほとんど使い物にならない状況。

保護者や宮崎市内の高校生、一般住民のボランティア活動が7日から始まる。7,8日は断水のため、近くの山水をポンプでくみ上げ清掃活動あたった。

運動会などの学校行事等も開催時期を1ヶ月近くずらし、何とか教室を確保しながら、平常授業が行われるよう先生方も苦労している。床上浸水の児童数は39名とか。全校児童の2割近くが被害にあったことになる。各地より救援物資や義援金も届いている。

UMKのJAGA天国で取り上げられています。http://www.umk.co.jp/jaga/bn/urajaga/2005-09-10.html

運動会が10月30日(日)に延期されたが、その内容をどうするか、まだはっきりしていない。 現在の時点では例年通りやりたいとの学校側の意向のようだ。ただいろんな意見があり、被災者の心情にも「元気を出したい」と「そんな気になれない」とふたとおりあるようで、今後意見を集約して判断するそうだ。 道具類は何とか残って使えるようだが、ただ正門前に掲げていた運動会の看板が壊れてしまい、その製作をどうするか内容も含めて検討中。またPTAの団技や地区対抗競技もやるかどうか検討中。

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わが家の状況

14011403

9月6日早朝6時に隣人より「一緒に避難しませんか」と電話があり、とりあえず着替えのみをサックに入れて家を出る。家内と娘は先に出て、しぶる息子ふたりと私は後から家を出る。

当初の避難場所を団地センターと聞いていたので、暴風雨のなか三人で向かう。団地センターの近くのJAスタンドまで水が迫っており、自演隊の隊員や装甲車、ボートなどがところ狭しと並んでいた。体育館に着いて家人を探せどもいない。携帯で連絡をとると下倉永の公民館にいるとか。それからまた暴風雨のなか公民館まで後戻り。

公民館入り口には男衆が集まり、お年寄りや病人、子どもたちの避難の手伝いをしており、私も手伝う。粟野神社近辺の道路は学頭橋方向から流れてくる雨水で河のようになっていた。

午後1時過ぎに風雨が弱まり、隣近所の人達と話し合って帰宅。避難所生活も半日が限界か。水はまだ膝下まであったが、普段通らない隣家の畑や庭先を廻り、藪こぎならぬ水こぎをして帰宅。

床下浸水で玄関、庭先まで流木や稲藁、タイヤ、履き物、発泡スチロール類が流れ着き、合わせて園芸ハウスで使う重油が流失し、きつい臭いが漂っている。 近くの製材所の材木も何本か漂着し、浮力がある内に協力しあって沖の方に押し流す。重油の臭いで頭が痛くなる。

翌日7日(水)は職場の台風被害を点検。早朝、PTA会長より連絡があり、穆佐小学校の1階がほとんど浸かり(床上1.9m)、使えなくなった教材教具、書類等の搬出協力依頼の要請を受ける。とりあえず各地区長に電話連絡をする。

翌8日(木)午後年休を取り、穆佐小学校の後片づけや消毒を手伝う。テレビ取材を受けるがその時は放送局が分からず、放映されたかも不明。

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