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2005年11月28日 (月)

人権学習

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26日(土)から本日まで、3日間にわたって全国人権・同和教育研究大会が宮崎市を中心に県内各地で行われた。部落差別に限らず、障害者差別やいじめ、不登校、アイヌ等マイノリティ問題まで、幅広く人権について論議された。地元特別報告をおこなった溝辺さんはかつての同僚だが、タイトルに使われた「あたいたっと、いっしょじゃがね」ということばは、いろんな壁にぶつかったときの励ましのことばとして響いてくる。

「人権学習をすればするほど、自分自身が磨かれてくる」ということばも聞いた。「寝た子を起こすな」という考えがまだ広く残っているが、部落差別の現実を学習して、より一層、人権感覚が磨かれてくることは事実である。普段気づかなかった自らの差別意識や、地域での排除意識も明らかになってくる。

穆佐地区における育成の健全さを語ったところで、登下校時の不審者の声かけ事案はあるし、子どもたちのいじめの実態も耳にすることがある。ケータイやゲーム機など、あらゆるメディアからの情報の誘惑もある。ここの地区内でも何が起きてもおかしくない状況にある。でもことが起こってもひとりにさせない「あたいたっと、いっしょじゃがね」「うちらと、いっしょじゃわあ」という一体感や共有感は、やはり立ち直りのきっかけになるし、強力な防波堤にもなると思う。

溝辺さんの最後の締めくくりは、「共に、前へ!」であった。私は台風被災のことも思いながら、そのことばを聞いた。

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2005年11月24日 (木)

アスベスト

アスベスト調査が全国的に行われ、その結果が先日発表された。
穆佐小学校でも、音楽室の吸音材として使われていることがわかった。そのことは先日の二学期制の説明会の折りにも報告はされていた。県内では3小学校で使われていたという。飛散の恐れもあり、現在は入室禁止になっている。高岡町では、今年の冬休みに除去するという。

また、台風被災で使用できなくなったピアノやパソコン、プロジェクタなどの教材備品類も、やっと来月初めには入札があり、年内には整備できそうだという。合併前の予算消化の意味合いもありそうだが、早く整備されることはいいことだ。といってもすでに台風被災後3ヶ月近くになろうとしているので、遅すぎる感もある。

南九州でもやっと寒くなり、先日の企画委員会では支援金で整備したという石油ストーブが焚かれていて有り難かった。徐々にではあるが、校内も整備されつつある。施設については耐震診断の結果、早急に改築の必要性があるという。校舎の建替えとなると時間もかかるが、せめて体育館だけでも早急に改築していただきたい。前にも書いたが、子どもたちの実態を考えたら、一時の猶予もないはずだ。手続きやら、制度上の問題やらあるかもしれないが、子どもたちは日々、限られた条件で勉学に運動に励んでいるのである。

先日の運動会で初めて体育館の惨状を目にして、想像以上の被害に涙が出てきたという卒業生もいた。我が学舎(まなびや)は、ずっとこころのなかに生きているのだ。来月は文部科学省、県教育委員会指定研究校として、研究発表会も行われる。悲惨な実態を多くの人達の目に晒すことになる。高岡町は一体何をやっているのだと陰口を叩かれないためにも、せめて今後の計画だけでも早急に明らかにし、保護者に知らせて欲しい。

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2005年11月23日 (水)

粟野神社

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近くにある粟野神社の秋の大祭があった。育成部長として参加した。

秋の大祭は五穀豊穣、安全祈願のお祭りである。以前は境内に馬を駆って、大勢人が集まり、にぎやかだったという。神殿には今年収穫された野菜や米が並べられていた。総代長の話によると、今年は台風被災の関係で、秋の大祭も中止になったところもあるという。

床上浸水した家屋では解体や改築が行われているが、その資金や計画もなく、やむなく移転した人もいる。被災地区のところどころに更地にされた跡地を目にすることができる。台風被災が大きかっただけに、参拝した人々の気持ちも神妙であった。

祝詞は自然に対する感謝と恐れに満ちている。うやうやしく頭を垂れて、自然神に手を合わせる。先日の食の問題ではないが、以前聞いた「いただきます」のことばを思い出した。

それは「天地(あめつち)の恵みと、多くの人々の働きに感謝して、いのちの元をつつしんで、いただきます」ということばである。いただきますの前にはそういう口上があったのだ。神事のあと、直来(なおらい)もあったが、神とともに飲食することは、多分そういうことも意味するだろう。我が家にも小さな畑を作っているが、世界中の飢餓や戦争状態にある地域を想うと、食べられるということの有り難さと、その過程で大変な苦労があることに感謝せざるを得ない。たまには神仏に手を合わせることも悪くはないようだ。

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2005年11月22日 (火)

道徳教育

研究発表会では「ふるさとに学び、心豊かに生きる穆佐っ子の育成として、高木兼寛に関わる穆園学習や俵踊り、麦刈り、また地域の人々とのふれ合いを通して、郷土愛や感謝の気持ちなどを学ぶ子どもたちの様子」を紹介、発表するという。

「道徳」というとどうしてもうさん臭くなりそうだが、この穆佐にいるとこれらのことばが実感としてとらえられてしまう。地域性なのか非常に素直な子どもたちが多い。この穆佐小や高岡中も先生方の人事異動では競争率が高いと聞く。宮崎市という都市部に近い割には、子どもたちは素直で、保護者の協力も親切で、希望者が多いのだという。

先日ラジオでの話題らしいが、ある若いお母さんが「給食費を払っているのに、何故、いただきますをいわせなくちゃいけないの」といって、講演していた永六輔が絶句したという話を聞いた。お金優先、こころの貧しさ、冷たさはもちろんだが、食べ物に対する想像力の欠如を思った。動植物の生命をもらっていることへの恐れと感謝が完全に失われてしまっているのだ。

「病気を診ずして、病人を診よ」といった高木兼寛のことばはその対局にあると思う。自然を見るときも、個々の現象ではなく、そのなかに流れている心情(気持ち)や生命(いのち)を見ているのだろう。そんな見方が知らず知らずのうちに、穆佐っ子たちにはつちかわれるのかもしれない。地域や大人たちが自然や動植物に対する恐れと感謝を持ち続けていれば、道徳教育は普段の生活のなかに生きた教材をいくらでも提供してくれる。そんな環境を守っていく義務が大人たちにはあると思う。

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2005年11月21日 (月)

校長室の惨状

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21日(月)夜に穆佐小学校のPTA企画委員会があった。

当日は、昼は授業参観があり、その後は保護者に協力してもらって、普段、子ども達では掃除のできない窓ふきなどの手伝いもあったという。私は夜だけ、企画委員会に参加したが、運動会以降、久しぶりの穆佐小学校であった。校長室(写真)のなかは、まだ台風被災の傷跡がそのままになっており、悲惨な状況であった。

しかし辛抱しながら、日々の教育活動にあたっておられる。職員室や事務室も同様の状況である。電話も交換機がなく、先生方への電話も、連絡に走らなくてはならないという。もちろん教室も、何度か保護者の協力で清掃や後片づけをしたが、本格的な改修はまだこれからである。先週やっと1,2年生の教室で授業ができるようになったばかりである。

今回の主な協議内容は、12月7日に開催される「道徳教育研究発表会」のPTA協力への要請であった。これも台風被災により開催が延期されていたが、傷跡も生々しいなかで行われることになった。全県から100名以上の先生方が来校されるという。午前中は学校で、午後の全体会、分科会は近くの穆佐地区団地センター内の体育館や集会室を借りて行われる。会場係や案内係をPTAで協力することになっている。先生方には運動会同様、台風にもめげないりっぱな研究発表や協議をやってもらいたい。

会のなかでこのブログの紹介もした。右のカテゴリーで「穆佐小学校」をクリックしていただくと、その小学校関連の記事をみることができます。いろんな検索サイトで「穆園日記」を探すと、意外なところで見ている人がいることに驚いた。さらに充実させたいと思う。

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2005年11月19日 (土)

果樹園通信

高岡町に住む詩人の本多寿さんとは延岡時代から(20数年来)の友人である。ひょんなことで私も高岡町に住むことになって、よく自宅に遊びにうかがう。

その本多さんにパソコンをすすめたのは私だが、その後、お絵かきソフトの「ペイント」に興味を持ち、自ら作品展を開くまでになった。出版業を営んでおられるので、本来、本の装丁などには造詣が深かった。印刷技術も取り入れながら、あっという間に、師を乗り越えてしまった。今では宮崎山形屋で数回、個展も開かれている。

それともうひとつ、電子メールを覚えたての頃、私あてに「果樹園通信」なるものが送信されてきた(詩集「果樹園」でH氏賞受賞)。花見トンネルの丁度上、周囲を蜜柑畑に取り囲まれたところに住んでおられるので、そういうネーミングを付けられたのだろう。それら電子メールはすでに「対話を求めて」(本多企画)という一冊の本にまでなった。

その続編を最近では自らブログを立ち上げ(リンク集参照)、そこに公開しておられる。周辺の風景や動植物などを題材にしながら、詩や俳句などの話題を取り上げている。世知辛い世の中や多忙な毎日のなかで、それらを読むと爽やかな気分になる。

その本多さんが今度、「NHK短歌」に出演する。12月24日(土)の朝7時30分からNHK教育テレビで放映されるという。反NHK的な本多さんにどんな発言が飛び出すか(編集段階でカットされるかも)、楽しみである。

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2005年11月18日 (金)

合併講演会

15日(火)、津村宮崎市長による合併講演会があった。
合併の眼目はスリム化にあるという。合併後は高岡町の職員も現在の7割に減るそうだ。特に管理部門が減らされる。合併後五年間は特別調整期間ということで、これまでの事業等は継続されるそうだが、その後は整理の対象になるという。

合併による国からの特例債について、市長は各合併自治体の地域エゴが出はじめることに懸念を表明していた。ただ、穆佐小学校の改築は、町のままでいても平成18年度からは予定が組んであった。高岡小学校の改築後は、穆佐小と決まっていた。校舎の耐震度調査もあまりよくない結果が出たそうである。そうであればなおのこと、優先的に改築の計画を組んで欲しい。

移転改築となると莫大な予算が使われることになるというが、そのことを他の事業との取引材料にはして欲しくない。もちろん卒業生のなかには移転新築について反対意見もあるようなので、結論を出すのにある程度時間はかかるだろう。しかし、ことは子ども達の命に関わることである。そう先延ばしにもできないだろう。

合併によって宮崎市と平準化するところ、高岡町として独自性を残すところを、明確に区分けして、財政面だけの理由で事業縮小などを進めて欲しくない。穆佐地区の伝統や歴史性を大事にして、地域コミュニティの良さをこれからも引き継いでいきたい。津村市長もすべて宮崎市と平準化することがよいとは思わないといっておられたので、いい意味でそのことばを信じたい。

今回の合併劇はある面、国による財政削減であり、別な面では中央集権化(自治体減らし)であると捉えている。今後、分権化の流れのなかで道州制の論議も出てくるだろう。ますます地域の独自性と自治権が試されることになる。地域への関わり、こだわり、地域に足をつけた活動や取り組みが大事になってくる。今回の台風14号被災と町村合併をその重要な契機ととらえたい。

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2005年11月13日 (日)

鳥の聞き倣し

昨日は鈴木素直先生の受賞・出版記念交流パーティがあった。日本鳥類保護連盟総裁賞の受賞と、「鳥は人の心で鳴くか(みやざき・野鳥民俗誌)」(本多企画)の出版を記念しての祝賀会であった。鈴木先生とは、教職員互助会の文芸誌「しゃりんばい」の編集委員、現代詩の勉強会「未完の会」のメンバー、宮崎県民俗学会の会員など同席する機会が多く、日頃から懇意にしていただいている。そんな関係もあってか、今回の出版に関しては宮崎日々新聞に書評も書かせていただいた。

その本のなかに穆佐地区のことも出てくる。アオバズク(ふくろう科)夏鳥の俗名として、この地区では「ヨシカ、カスッペ」と呼ばれているという。その由来は不明だが、旧薩摩藩領だった関係から同じ文化圏の呼び名が伝わっているらしい。先日の穆園学習会でも高岡小学校の子どもたちが、学校の栴檀の木に営巣したアオバズクの研究を発表していた。夏の日の夕暮れ時、この辺りでもよく「ホーホー」というその鳴き声を聞くことができる。

柳田國男の「野鳥雑記」には、子どもと老人が特に鳥の鳴き声に関心を払っていたと書かれている。それも夕暮れ時や早朝、昼と夜の境目にあたる時刻に熱心に聞き入っていたという。何か神秘的な感慨を抱くのであろう。鈴木先生の本には、県内で伝えられている鳥の聞き倣し(人が鳥の鳴き声をどう聞いたか)がたくさん採録されている。天候や季節、吉兆や農作業に至るまで、鳥の鳴き声が生活の一部としてとらえられていたことがわかる。野鳥は少なくなったとはいえ、季節毎にやってくる。密閉住宅や車社会、ケータイの普及等で、今は鳥の鳴き声に耳を傾ける機会がなくなっているが、この本はそういう生活に警鐘を鳴らしている。

先の柳田の文章のなかに、聞き倣しを面白いと思ったが故に伝承してきたのだといった後、その「面白い」の語源について「人の顔がひとつの光に向かって、一斉に照らされる形を意味した」と書いている。まさに人々が朝日に向かって顔を向けている姿ではないか。面白いということは、光を共有し共感することの意味であったらしい。大きな発見であった。

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2005年11月 9日 (水)

ヴォイスの貧困

毎朝、通勤途中で聞く武田鉄也の「今朝の三枚おろし」は時に面白い話題を提供する。

今週は毎日新聞社刊「身体の言い分」内田樹、池上六郎対談集を材料に現代若者論を紹介していた。それによると最近の若者は語彙の貧困というより、ヴォイスの貧困が顕著だという。誰に対しても同じような口調で話す。年齢、性別、地位、立場などほとんど意識せずに、同じ友だち感覚で話をするという。話し方を一種類しか知らないようだと。

相手の話に共感したり、相づちを打つタイミングが微妙にずれて、話が先に進まないらしい。自分のなかでいろんな役柄を演じることができない。腹話術や落語みたいに、ボケやツッコミなど、ひとりで何人もの会話をすることが苦手なのだという。

そういえば、最近の高校生気質として、会話ができない、友だちの言動に左右されやすい、厳しい部活を敬遠する(楽をしたがる)、という三大傾向があることを聞いたことがある。幼い頃より、親や親戚、隣近所との接触が以前に比べて極端に減ってきていることがあるのかもしれない。あるいは親も子どももお互いに関わることを嫌って、直接話す経験を乏しくしてきたこともあるのだろう。

相手の顔の表情や身振り、手振り、その場の雰囲気、状況などによって話題や立場が大きく変わっていくのがコミュニケーションである。そこからまた想像力も鍛えられるし、相手の立場を思いやることもできる。いろんな役を演じることで話題も豊かになる。

通信手段がいくら豊かになっても、テクノロジーからは真に共感できる関係はなかなか生まれにくい。積極的に子どもに話しかけること、語りかけること、関わることが、今、求められているような気がした。

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2005年11月 7日 (月)

鮎梁

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落ち鮎の季節になった。台風被害にもかかわらず今年も大淀川に鮎梁(あゆやな)がかかった。秋の風物詩である。県北の五ヶ瀬川を筆頭に県内の河川ではあちこちでいろんな鮎梁がかけられている。今年は台風の影響が心配されたが、それほど影響はないという。濁流にもめげず、放流された稚鮎たちは身を潜めながらすくすくと育ったのだろう。朝早くから友釣りをする釣り人の姿も見かける。以前に比べたらその数は減ったというが、やはりこれらの光景を見かけると秋が来たのを感じるし、なにか心が豊かになる。

とはいうものの暦の上では今日は立冬。しかし宮崎市内では気温が25度近くまで上がった。まだ半袖シャツで頑張っている同僚もいるし、霜月というのにいくら南国でも少し気味が悪い。確実に地球上では異変が起こっているのだろうか。

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2005年11月 6日 (日)

穆園学習会2

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高岡町教育の日合同穆園学習会のテーマは「ふるさとを知り、ふるさとを愛し、ふるさとに誇りをもとう」であった。東京慈恵会医科大学等への特別派遣大使の報告につづいて、各学校からの合唱や合奏、演劇、群読、全体合唱などがあり、最後に高木兼寛賞の表彰式が行われた。

毎回、新しい視点から高木兼寛が取り上げられ、各校工夫を凝らしながらさまざまな発表形式に挑んでいる。保護者の参加は少ないが、私にとっては高木兼寛を知るよい機会となっている。今回、穆佐小学校5年生の劇は医療における看護婦の役割を重視したもので、兼寛の先見性や看護学校設立までの経緯など劇化し、今日の医療のあり方についても考えさせられる内容であった。

終了後、「高岡産業まつり」へ参加する子ども達の交通指導をした後、私は「天ケ城歴史民俗資料館」に足を運んだ。そこで高木兼寛の特別展をやっていたからだ。資料館は今年度より入場料が無料となっているが、館内はほとんど人がいなかった。私はそこで晩年、兼寛が禊(ミソギ)の効能に気づき、自ら実践していたことを知った。朝のラジオ体操の先駆者ともいわれるが、そこに日本古来の自然神との融合も視野に入れながら体力づくりをしていたことに興味を持った。

西洋医学を学んだ兼寛が、神社神道から国家神道への危険な思想も孕みながら、身心の鍛え方として古武道への接近も試みていたことは意外な発見であった。

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2005年11月 4日 (金)

穆園学習会

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高岡町では「高岡町教育の日」が設けられ、町立1中学校4小学校が一堂に会して「合同穆園学習会」が開かれる。本年度は明日、天ケ城体育館で行われることになっている。ビタミンを発見し、東京慈恵会医科大学を開いた高木兼寛にちなんだ学習発表や合唱が繰り広げられる。

高岡町に住むまで高木兼寛のことは何も知らなかった。子どもが穆佐小学校に入り、校門前に立っている高木兼寛像や学習発表会での劇などを見て、初めてその存在を知った。南極に「高木岬」があることや、脚気の原因をめぐっての森林太郎(鴎外)と闘ったこと、日本で初めて看護学校を築いたこと、「病気を診ずして病人を診よ」といったことばなど、次第にその思想や境遇を知ることとなった。

素人目だが、恐らく日本医学界におけるドイツ医学偏重(高木兼寛はイギリス留学)や細菌病原説偏重などが、高木兼寛を軽んじてきた原因ではないかと考えている。ビタミンの発見に見られるように、兼寛の場合、栄養学が中心になっており、食事や生活の改善、運動の励行、人体ではなく人間を診ることなど、科学としてはあまり脚光を浴びてこなかったことがあるように思う。今でこそ生活習慣病やダイエットブームなどで、食事や運動が取り上げられているが、医学界のなかでは、まだまだ高度な医療技術偏重や薬依存がまかりとおっているような気がする。

いずれにしろ高岡町としては最後の「穆園学習会」ということになる。一堂に会して全員で合唱する場面もある。高木兼寛もだが、地域に根ざすということの意味を何か胸に刻んで欲しいと願わずにはいられない。(写真は穆佐小学校の高木兼寛像)

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2005年11月 3日 (木)

体育館の惨状

_1 _2 _3 例年、運動会の昼食時には体育館が開放され、食事場所として利用される。今年は台風被害でまったく使えず、とりあえず1,2年生のオープン教室が開放された。ただ、今年は運動会が一ヶ月延びたことや、天気も午後から薄雲が広がったお陰で、戸外で昼食をとられた家庭が多かった。

その体育館は出入り口の上近くまで浸水し、床はめくれ、折りたたみ椅子もパイプのなかから泥水が出てくる状態である。被害物件として泥に浸かったパソコン類も置かれたままになっている。(穆佐小の運動会3に全景写真)

今月、国による台風被害の査定があり、それを受けて体育館も改築なり、改修されるということだが、とにかく早く復旧工事にかかれるように願いたい。恐らく6年生は体育授業では使えないまま、卒業ということになりそうだが、少なくとも卒業式には間に合うようにして欲しい。

校舎移転の話もあるが、場所選定、土地買収、造成、設計、建築と、数年以上も先のことになるだろう。これから入学してくる子どもたちが利用することになる。

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2005年11月 1日 (火)

穆佐小の運動会4

プログラムで最後までもめた地区対抗競技「ザ・ダンギ」は、結局、従来通りの形で行われた。小山田、麓、上倉、下倉、宮水流、的野・柞ノ木橋・内之八重、祇園台(2)、教職員の9チームで、リム転がし、二人三脚でラグビーボール蹴り、三人四脚、むかで競争の4競技をリレー形式で争うものである。午前に予選が行われ、午後の決勝に残ったのは、小山田、宮水流、祇園台Bの3チームであった。

そしてUMKjaga2天国の高橋巨典さんが宮水流に、遠目塚文美さんが小山田のチームに参加した。最終のむかで競争をトップで通過したのは宮水流であったが、後から追いついた小山田に追い抜かれ、結局、そのままゴール。小山田、祇園台B、宮水流の順位であった。宮水流の足をひっぱったのが巨典クン、リズムを作って優勝に導いたのが文美チャンともっぱらのうわさであった。

小山田、宮水流とも台風被災の最も大きかった地区であり、地区長の判断で、そこに二人を参加させたのも元気づけの意味もあった。でもそんなことは忘れて、いい大人がそれこそ必死の形相で争う表情は、観客を大いに盛り上がらせてくれた。小山田地区はまだ避難所生活や家の改築も終わっておらず、それだけにまた記憶に残る運動会になったのではないか。

今週末のjaga2天国が楽しみである。ただ、子どもたちや先生方は高岡町あげての「穆園学習会」が天ケ城体育館であり、見られないのは残念。私も含めPTA役員も交通整理の動員がかかっており、ビデオで見ることになりそうだ。
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