穆園学習会
高岡町では「高岡町教育の日」が設けられ、町立1中学校4小学校が一堂に会して「合同穆園学習会」が開かれる。本年度は明日、天ケ城体育館で行われることになっている。ビタミンを発見し、東京慈恵会医科大学を開いた高木兼寛にちなんだ学習発表や合唱が繰り広げられる。
高岡町に住むまで高木兼寛のことは何も知らなかった。子どもが穆佐小学校に入り、校門前に立っている高木兼寛像や学習発表会での劇などを見て、初めてその存在を知った。南極に「高木岬」があることや、脚気の原因をめぐっての森林太郎(鴎外)と闘ったこと、日本で初めて看護学校を築いたこと、「病気を診ずして病人を診よ」といったことばなど、次第にその思想や境遇を知ることとなった。
素人目だが、恐らく日本医学界におけるドイツ医学偏重(高木兼寛はイギリス留学)や細菌病原説偏重などが、高木兼寛を軽んじてきた原因ではないかと考えている。ビタミンの発見に見られるように、兼寛の場合、栄養学が中心になっており、食事や生活の改善、運動の励行、人体ではなく人間を診ることなど、科学としてはあまり脚光を浴びてこなかったことがあるように思う。今でこそ生活習慣病やダイエットブームなどで、食事や運動が取り上げられているが、医学界のなかでは、まだまだ高度な医療技術偏重や薬依存がまかりとおっているような気がする。
いずれにしろ高岡町としては最後の「穆園学習会」ということになる。一堂に会して全員で合唱する場面もある。高木兼寛もだが、地域に根ざすということの意味を何か胸に刻んで欲しいと願わずにはいられない。(写真は穆佐小学校の高木兼寛像)
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