ヴォイスの貧困
毎朝、通勤途中で聞く武田鉄也の「今朝の三枚おろし」は時に面白い話題を提供する。
今週は毎日新聞社刊「身体の言い分」内田樹、池上六郎対談集を材料に現代若者論を紹介していた。それによると最近の若者は語彙の貧困というより、ヴォイスの貧困が顕著だという。誰に対しても同じような口調で話す。年齢、性別、地位、立場などほとんど意識せずに、同じ友だち感覚で話をするという。話し方を一種類しか知らないようだと。
相手の話に共感したり、相づちを打つタイミングが微妙にずれて、話が先に進まないらしい。自分のなかでいろんな役柄を演じることができない。腹話術や落語みたいに、ボケやツッコミなど、ひとりで何人もの会話をすることが苦手なのだという。
そういえば、最近の高校生気質として、会話ができない、友だちの言動に左右されやすい、厳しい部活を敬遠する(楽をしたがる)、という三大傾向があることを聞いたことがある。幼い頃より、親や親戚、隣近所との接触が以前に比べて極端に減ってきていることがあるのかもしれない。あるいは親も子どももお互いに関わることを嫌って、直接話す経験を乏しくしてきたこともあるのだろう。
相手の顔の表情や身振り、手振り、その場の雰囲気、状況などによって話題や立場が大きく変わっていくのがコミュニケーションである。そこからまた想像力も鍛えられるし、相手の立場を思いやることもできる。いろんな役を演じることで話題も豊かになる。
通信手段がいくら豊かになっても、テクノロジーからは真に共感できる関係はなかなか生まれにくい。積極的に子どもに話しかけること、語りかけること、関わることが、今、求められているような気がした。
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