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2005年12月29日 (木)

地域力3

少女誘拐殺害事件をきっかけに全国で地域の見直しが始まった。台風14号被災でも改めて地域について考えさせられた。最近、新聞紙上では「地域力」ということばをよく見かける。この地域力とは何だろう。

住民力、市民力、連帯感、結束力、行政提言力などいろんな呼び方や要素を含んでいる。地域のおせっかいやきの力だという人もいる。地域に住む一人ひとりの個性を引き出す力だととらえる向きもある。それらを総合して、地域交流力(communication)、地域コミュニティ(community)、地域の関与力(commitment)の三つのCだともいわれる。災害のときだけでなく、普段から地域を楽しく、安全で快適で、魅力あるものにしようとする共通の意識だろう。公共心、郷土愛なども含まれる。この地域力は地区行事や寄り合いに顔を出すことから始まる。

今、年末の交通安全週間が展開中である。穆佐小学校の終業式が27日だったこともあって、何度か粟野神社前で交通指導にあたった。宮水流、下倉の小学生や中学生、祇園台周辺から宮崎市内に通学する高校生など、まだまだ知らない子ども達がたくさんいる。「おはよう」「気をつけていきなさいよ」と声をかけた。顔を合わすだけでも知らないおじさんから、地域の人に変わっていくだろう。出勤前の忙しい時間帯だが、それだけでも連帯感が生まれる。

地域のしがらみやわずらわしさ、窮屈さなどが、かつて否定的に語られることがあった。今もあるだろう。しかしそれが見直されている。無関心の自由が孤立を生み、人が人として大事にされなくなり、つながりが切れたところで犯罪が多発している。会話力の減退も無関係ではない。台風被災をきっかけに立ち上げたこのブログも、情報交換を通してどうやったら豊かな関係(コミュニティ)をつくれるかが頭にあった。

子どもの事件事故に関して、「自分は大事な存在なのだ」という気持ちが自己防衛力を高めることを知った。それは周囲から守られているという安心感からも生まれるだろう。子どもは子どもなりに自分を守る力をつけなければ、いくら周囲の手助けがあっても限界がある。どの子どもも大事な存在なのだと思わせる気持ちをいかに伝えるか。ささいなことばかけからつくりあげていきたいと考えてみた。ささいなことばかけや助け合いから、豊かな地域力も作られると思う。これからもそのことばや取り組みを探っていきたい。

話は変わるが、今年のブログで最も衝撃的であったのは「きっこの日記」であった。立花隆のメディアソシオポリティックスでも取り上げられていた。姉歯も狂牛病も、女子スケート代表決定も裏話満載で、ブログの影響力の大きさを思い知らされた。付記しておこう。

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2005年12月21日 (水)

台風被災その後

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床上浸水した校舎がやっと改修されることになった。
年内(多分、本日)に改修工事の入札が行われ、年明けから体育館などの床の張り替えや壁の改修にかかるという。6年生の卒業式には、何とか間に合うようだ。やっとという感じである。体育館と同時並行して、校舎1階の床、壁の改修にもとりかかる。予算の関係で仮設校舎は造らず、理科室から事務室、校長室、職員室、会議室と部屋を入れ替えながらの作業になるらしい。先生方も引っ越しやその後片づけ等でまたまた大変である。

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音楽室のアスベスト撤去工事は既に始まっている。年末から年始にかけて、穆佐小学校は全面工事一色となる。子ども達は学校休業日が多くなった関係で授業時数が不足し、27日(火)が終業の日となった。施設設備の教育環境が荒れていると、やはり子どもに与える心理的影響は大きいだろう。通学路も台風被災後、家屋の解体や移転で風景も変わりつつあり、どこかしらまだ落ち着きが感じられない。不安による子どもの不眠や幼児返りは見られないだろうか。

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新聞で報じられた高木兼寛直筆の掛け軸もまだ校長室に掛けられたままになっている。見た目に損傷はそれほどひどくはないが、マット上部に浸水のあとや表面に細かな濁点が見える。今後、修復の手が入れられるのか定かではない。貴重な文化遺産なので、何らかの手は打って欲しいと願う。

いつになくあわただしい年の瀬となった。元気を出そうといろいろ手を尽くしてきたが、やはり静かな日常が一番である。天気や気候、動植物、食事、子どもたちの活躍など、何気ない話題が日常的に取り交わせるような日が、早く、くることを願っている。

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2005年12月18日 (日)

あったけ~

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強い寒波がおしよせた18日(日)、穆佐小学校5年生の学級懇親会が開かれた。今回はおやじ会の協賛で、餅つき大会やおやじ鍋、ゲームなどをして楽しんだ。餅米を蒸かす鍋釜4組が準備され、薪割りから、火起こし、餅米2升の蒸し方、マグロのアラ煮、お湯沸かしまで、おやじ会の指導のもと子どもたちも加勢しながらおこなった。

つきたての餅はお母さん方の指導で、まるめ方(っていうのかな)から、あん入り、芋入れ、ぜんざい作りまでおこなった。子どもたちは餅や粉を身体中にくっつけながら、一所懸命、挑戦していた。特におやじ鍋は好評で、寒い中で身体が暖まると何杯もお代わりする子どももいた。豪快なブツ切りを入れ、塩や醤油、ミリンなどで味付けたもの。骨や内臓なども入っていたため、その臭み取りにゴボウを少々入れただけのものであったが、フーフーいいながら、「あったけ~」と結構食べていた。

全体の指導者はそれらの内容にくわしい近所のお年寄りに来てもらい、餅米の蒸かし具合や、餅のこね方などいろいろ教えてもらっていた。5年生ばかりでなく、他の学年も加わり全体で100名近くは参加しただろうか。最後の後かたづけまで、おやじ会のメンバーが積極的に動き回っていた。時間通り、午前中にはほとんど片づけが終わり、本当に「あったけ~」イベントであった。

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穆佐小学校におけるこの「おやじ会」の存在は大きい。なかなか父親の参加が少ないのが一般的な傾向だが、こと穆佐小学校に関してはOBも含めて積極的に参加する父親が多い。特にこの「おやじ鍋」はバザーや模擬店などPTA主催行事の恒例となっており、かつての同窓生を中心に自分たちも楽しみながらやっている感じである。校区の子どもたちの顔も覚えながら、地域全体で子どもたちを見守っている。

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2005年12月16日 (金)

また今度ね

子どもがまだ小さい頃、おもちゃを欲しがって、ショッピングに行くたびに「これ、買ってえ」とよくおねだりした。幼稚園の年長さんの頃だっただろうか。いつものようにおねだりするので、「ダメ!」と強くしかったことがある。すると子どもはがっかりした表情をして「そんなダメッていわんでよ。また今度ねといってよ」といい放った。

子どもにしてやられた。全面否定より、希望を持たせるような言い方の方が、子どもは自分を抑えることができるらしい。「また今度ね」というと、夢を長持ちさせることになり、希望を持ちながらその日一日を耐えることができるのだ。子ども自身、自らのわがままに気づき始めた頃だったのかもしれない。あるいは好きなことを実現するために我慢しなければならないということを覚え始めていたのかもしれない。

そういつまでも「また今度ね」は続かなかったが、「ダメッ!」としかるより、親の方も気分的に楽であった。夜遅くまで起きている時も「また、明日ね」といえば、それなりに素直に床についた。「早く寝なさい」より子どもも安らかな気分になるのだろう。ま、それも小学生までだろうが。でも希望を抱かせること、夢をもたせることは、わがままな自分を抑えることにつながるような気がする。夢や希望を描きやすいことばかけも大人の責任かもしれない。

「よく我慢した」ということで、子どもは子どもなりに少し大人になったような気がするだろう。ことばには棘があるという。光も当然ながらあるだろう。光のことばをを探し出してやるのが親の責任である。子育てが終わる頃になって、やっとそんなことに気づくありさまである。「また今度ね」で、今日のブログは締めくくろう。

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2005年12月13日 (火)

自尊感情

子どもが自分で身を守るためには何が必要なのだろう。
13日付け朝日新聞に「子どもを守る」シリーズで最近の様子が取り上げてあった。支援団体の活動のなかで最も重視するのが人権意識だという。まず子どもが「自分は大切な存在だ」と認識することが大事だという。これは「自分のことが好きだ」という自尊感情とほぼ同じである。そういう意識をもっていれば、危機的状況でも勇気をもって対処できるという。

事件や事故に巻き込まれ、危うく助かった子どもに、「あなたが注意しないからよ」とか「事故に遭うお前が悪い」と責めるのは、逆にトラウマをつくることになり逆効果である。本人の不注意がいくらかあったとしても、事件事故の大半は大人の方に責任がある。必要以上に子どもを責めることは、自信を失い、自尊感情を消してしまうことになる。

「つらかったね。もう大丈夫だよ」とか、「大変だったね。でもお母さんがついているよ」とか慰め、励ました方が立ち直りが早いし、以後、気をつけようとする気持ちも強くなる。競争社会で個人の責任に帰する風潮が強くなっている。余計に子どもたちは罪悪感を持ちやすくなる。ひきこもりがちになる。自由な会話ができなくなり、他人の目を見て話すことになる。しらないうちにストレスがたまる。そんな状況が広がっているのではないか。

「いやなものはいやだとはっきりいいなさい」と親はいう。しかしそのためには「自分は大切な存在なんだ」という意識がなければ、「いやだっ!」て強くいえないのではないか。自分で身を守る力を引き出すためには、普段から大切な存在なのだという感覚がどうしても必要だと思う。

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2005年12月12日 (月)

地域力2

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11日(日)に県民俗学会秋季研究大会が日向市で開かれた。
日之影町史と日向市史の民俗編を編纂した担当者がその経緯や課題などを報告した。シンポジュームも開かれ質疑もなされた。どこの自治体も文化関係の予算は削られ、今後市町村史編纂は困難になるだろうといわれている。また市町村合併により、編纂の見直しも迫られている。編纂した資料の活用も図っていかなければならない。そんななかで地道な作業が続けられてきた。

民俗学は歩く学問といわれている。生活に密着した学問でもある。古くから言い伝えられてきた生活習慣や風俗を収集し記録として残す。聞き取りや聞き書きがそのベースとなる。そこには忘れられた生活の知恵や、恵まれた自然への恩恵や感謝が息づいている。調査には地域住民の理解と協力が必要だが、一人暮らしの古老に尋ねると、思いもよらず「よくぞ聞いてくれた。誰かに伝えたかった。」と逆に感謝されることもあるという。

古老たちの知恵や言い伝えにもっと注意がはらわれてよい。今回の台風被災でもそのことを強く感じた。古くからの言い伝えを信じて、川の増水や地形の変化から早めに避難し、災害を最小限にくい止めたところ、あるいは逆に住宅地には不向きなところが宅地化され、被害を大きくしたところもあったと聞く。

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下倉の学頭橋のふもとには水神様が立っている。もともとは瓜田川や大淀川のあちこちに立てられていたのをここ一箇所に集められたと聞くが、恐らくこれまでの大洪水や水害のたびに水神様を立て、祈りとともにその当時の状況が伝えられてきたのだと思う。そしてその知恵を活かしてきた。

地域力を強めるためには、その地域に住むお年寄りたちの知恵が欠かせない。身近なお年寄りから、古くからの言い伝えやこれまでの経験を聞くことから始めなければならない。家の歴史や村の歴史など、次世代に伝えたいと思われていることがらが、たくさん埋もれているはずである。

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下倉地区の夏季親子レクリエーションは、「古老に怪談話しを聞く」であった。三人のお年寄りの方にこの地区にいい伝えられてきた怖い話をしてもらった。親の世代も含めて、初めて聞く話が多く、子どもたちにも大好評であった。その夜は子どもたちはみんなで公民館に泊まることになっていたが、低学年のなかには怖くなって自宅に帰った子どももいた。

少女誘拐殺害事件ではないが、こんな地域での怖い話は防犯の上からも有益ではないかと考えている。恐らくこのような怪談話から、子どもたちは危険な場所や危険な状況を教え込まれてきたのではないか。地域力のためにも民俗学はとても有用な学問である。

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2005年12月11日 (日)

地域力

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10日(土)は「東諸安全なまちづくり推進大会」があった。
相次ぐ少女誘拐殺害事件が多発するなかで、安全安心に向けた地域での取り組みが見直されている。これまでは交通事故対策や防災が主であったが、今日、通学路をめぐっての防犯がそれに加わった感じである。

会では中学生による意見発表や防犯活動を通しての事例発表も行われた。そのなかで、印象に残ったのは、台風14号を被災した中学生が復興の過程で地域の絆を深めたことや、地域に住む身近な人に目を向けた取り組みなどであった。そして伝統となっている高岡中のあいさつ運動も紹介されていた。

自らが住む地域について意外に知らないことが多い。住民の顔を全部知っているわけではない。知らない裏道やこの地区の歴史もあまり知らない。事件や事故が起こっても、我が身に関係なければ、うわさだけでやり過ごすことが多い。危機意識や防犯意識を持っていても、積極的に地域に関わるところまではいかない。それが現状ではないだろうか。

地域力がいわれて久しい。事件や事故、災害に遭うたびに地域コミュニティの大事さがいわれる。地方に住んでいても、団地化が進み、状況的には都市部とあまり変わらない。つながりのきっかけをどう作り上げていけばいいのだろう。

この下倉地区では春秋の社日構というものがある。もともとは春秋の田の神祭りが発端のようだが、各家庭を宿主に班の住民が集まり、地区の様子や決めごとなどを話し合い、飲み方になる。新参者もそこで顔見知りになる。また子どもがいれば、子ども会や育成部の活動を通して知り合いになる。スポーツ少年団にはいれば親の会がある。

もちろん、この地区で生まれ育った人達は幼なじみがおり、学校での先輩後輩や親戚関係も多い。加えて農業を営む人が多いため、普段からのつきあいは深いものがある。穆佐小学校では「おやじ会」なるものもあり、保護者OBも含めていろんな活動をしている。その点ではここでの地域力は結構ある方だと思う。

それでもまだ地域には知らない人やことが多い。信号機や外灯、ガードレール、カーブミラー、歩道、公園など、この地区がどうなっているのか細かいことを知る機会は乏しい。それら地域への関心を持つこと、それがまず大事だろう。身近な人に目を向けること、誰でも見かけたら挨拶することなど、そんなことから始めるしかない。

このブログも、自宅でインターネットをしている人、引っ込み思案の人など、いざというときの情報提供やつながりのきっかけになればと思う。

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2005年12月 8日 (木)

会話力3

穆佐小学校の台風被災について、先の研究発表の折りも来校された先生方からその状況を尋ねられた。体育館の状況も当時のままとなっており、外からでも中の様子をうかがうことができた。台風被災の困難さを学校や子どもたちがどう乗り越えているか、関心を持たれた人がいたかもしれない。

でも子どもたちは、友達の被災による心の痛みとともに、多くのボランティアの人達が穆佐小学校に手伝いにきたこと、自分たちも含めて後片づけに協力したこと、そんなことが印象づけられているのではないか。自然災害の恐ろしさはもちろんのこと、それを乗り越える人々の支え合い、助け合いに、何か心地よいものを感じたのではないかと思う。

ひとりではなく、みんなで共有し、共感した体験がとても大事なことのように思う。みんなと一緒にいるということ、みんながひとりのために何かしたということ、その心地よさを味わうことができれば、あえて道徳の授業などはいらない。人助けというのはまさに心地よさなのだ。心地よさがともなわなければ、本物ではない。心地よさが強さにつながる。困難を乗り越える強さにつながる。それは自分が何かの役に立っているという心地よさだと思う。

つらい、苦しい、もうやめたいと思ったとき、支えになるのは、やはり友達である。心配してくれているという安心感が、困難を乗り越える強さを生む。何か支えになってあげたいという思いやりにも、どこか心地よさがともなう。「しっかりしろよ」でもいいし、「一緒にやろうよ」でもいいし、「お前がいると助かるよ」でもいいし、とにかく人とつながることを感じさせることばは、人に安心感を与える。

学校の勉強が「わかる」ということは、「ともにわかる」ということにならなければ意味がない。ほかの人と共有、共感を得るために、勉強しているのだと思う。新しい知識や技術は、ほかの人とつながるためにある。「ともにわかる」ということが、非常に大事なことなのだ。ひとりだけ利口になっても、ひとりだけ問題が解けても、ほかの人とつながることができなければ意味がない。人は本来ひとりだからこそ、つながるために生きているのだと思う。

誰でもわかろうとする欲求をもっている。わかりたい、ものごとのしくみを知りたいということは、つながりたいということなのだ。「あ、そういうことなんだ」とわかったとき、その子は世界とつながっている。道徳でも、できることではなく、わかることが必要なのだ。そのことが今ひとつ足りないように思う。

学力でも「できる」でとらえる風潮がまだ根強い。机上の問題は解けるが、会話のできない若者が増えている。一方で、できるできないで輪切りにされ、キレル子どもたちも増えている。台風で被害を受け、みんな協力して片付けた体験はとても貴重だったと思う。「アンタが来てくれて助かった」と何度でもいおう。「アンタが来てくれたお陰で、何とか立ち直れたよ」といわれよう。そんな会話がとびかうような地域にできたらと思う。

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2005年12月 7日 (水)

穆佐っ子

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今日、穆佐小学校で「道徳教育研究発表会」が行われた。県下から136名の先生方が見えられ、保護者も49名、それぞれ仕事を休んで、案内や駐車場、受付、接待などのお手伝いをした。日曜日からのテント張り、前日の打ち合わせ、当日は朝早くから準備と、協力とひとくちにはいえ、都合をつけるのは大変だったと思う。かくいう私も仕事を休んで、1日協力した。

公開授業や研究発表で100名を越す参加はめずらしいという。台風被災で話題になったこともあるだろう。ただ個人的には研究主題である「ふるさとに学び、心豊かに生きる穆佐っ子の育成~地域の人材や教材を活用した道徳教育を通して~」にも先生方は興味を持たれたのではないかと思った。自主教材を活かすというのは、理想だが大変な苦労がいる。高木兼寛や伝統芸能(俵踊り)、あるいは身近な人々から、何をどうやって学ぶのか、自分たちで創りあげねばならないからだ。

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今回は誰にでもある「心の弱さ」に目を向け、それを克服する態度を学ぶというものであった。協議に参加した先生方には、穆佐小の保護者もおり、台風被災から立ち直った穆佐っ子やその体験を通して成長した様子も報告されていた。地域でのつながりの強さや三世代同居もあり、道徳が授業からではなく、日々の体験からつちかわれていくことも指摘されていた。研究授業も全体的に評価は高かった。

研究授業というものはこんなものかもしれないが何かもの足りなかった。それについてはまた触れることにしたい。今週末は早速打ち上げを兼ねた忘年会があるので楽しみにしている。

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2005年12月 5日 (月)

会話力2

いじめられたら、いじめることで気持ちのバランスをとろうとする。「他人から言われていやなことはいうな」「されていやなことはするな」というが、どうやったらその気持ちを抑えることができるのだろう。

それは自分の存在を認めてくれる周囲の目かもしれない。しかし、それは成績がよくてほめられることではない。スポーツ万能で評価されることでもない。成績が悪くても、スポーツができなくても、「アンタがいてくれて、大助かりだよ!」と認められることだと思う。

自分は何もできないけど、そこにいるだけで何か世の中の役に立っているんだという、肯定的な気持ちが、キレる気持ちを抑えることができる。そして押さえる気持ちを持っている自分を好きになる。我慢できる自分を自分でほめてあげたくなる。素直になれる。人のいうことが聞けるようになる。

それがまた最大の防御にもなる。自信をもっていれば、いじめられてもあまり傷つかない。気にならない。そんな子どもたちを増やすには、どんな小さなことでも、「わぁ~、助かる~」と言ってくれる人が増えることだと思う。社会は助け合うために生きているのだから。

それでもいじめられたらやはりストレスがたまる。そのストレスをうまく表現できないと我慢する気持ちも弱くなる。もし、その気持ちをことばで表現できたら、それを聞いてもらえる友達がいたら、何かホッとするだろう。だから、ことばを持つこと(表現力)はとても大事なことだ。

ことばを持つにはどうしたらよいだろう。ことばは何より自然体験から育まれると思う。歩く、視る、聴く、触る、嗅ぐ、味わう。五感をフル動員して、感覚が磨かれる。感受性が豊かになれば想像力が働く。感動を誰かに伝えたくなる。ことばがいっぱい欲しくなる。そしてことばを獲得しようとする。本を読むことが楽しくなる。

情報があふれ、刺激の多すぎるなかでは、自分の身を守ろうとして感覚を閉ざしてしまうという。テレビ、ゲーム、爆音、クスリ・・・。話しかけても単語でしか応えられない。ものごとを順序立てて考えることができない。我慢することができない。自分を押さえることができない。会話ができないということになる。そんな現実がいろんなところで広がっている。地域を考えながら、そんな現実がよぎってしまう。

「オマエがいて、ほんと助かるわ」「おい、ちょっと散歩に出てみないか」と、つれあいにでもいってみよう。相手にされないか。

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2005年12月 4日 (日)

高千穂鉄道

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妻の実家のある延岡に正月前の墓参に行ってきた。実家は城山の近くにあり、久しぶりに近辺を散策してみた。城山公園、文化センター、内藤記念館と巡り、大瀬川や五ヶ瀬川を眺めながら、往事のひとときを偲んだ。

先の台風14号の時は実家の義母も避難したという。幸い実家は床下浸水で大事には至らなかったが、五ヶ瀬川流域は相当な被害を受け、市内でも延岡養護学校や近辺の知り合いは大変な被災であった。こちらもその後あまり報道されないが、台風の傷跡は今なお深い。

この穆佐地区には日之影出身の方もおられ、聞くところによると、実家は今なお仮設住宅住まいだという。山あいの町だけに、急峻な傾斜地にところ狭しと家々が並び、それらが一瞬のうちに流されたという。例の高千穂鉄道も支援の輪が広がりつつある。私もかつて何度か利用して、祖母、傾山登山や夜神楽見学に出かけたことがあり、その廃止は他人事ではない。

その高千穂鉄道を支援するチャリティコンサートや集いが各地で行われている。関連するブログを検索中、「最近気になる高千穂鉄道」というブログに出会った。影待駅に置かれたノートのことや全国から寄せられる存続への熱い思いに胸を打たれた。お金では計れない何か大事なものを取り戻そうとする意欲を感じた。

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2005年12月 2日 (金)

会話力

私は会話が苦手である。生来の恥ずかしがり屋で無口である。引っ込み思案で、人前に出るのも好きではない。と、日本人の7割は思っているという。もちろん、私もそのひとりだが。だからこんなブログや書き物に手を染めるのだろう。オタクではないが、ひきこもりの要素は充分に備えている。

会話力を持ちたいと思う。地域力もそれなしでは成り立たない。コミュニケーションが大事というがなかなか難しい。同じ地域に育っても、人により、生い立ちや境遇、立場、考え方に違いがある。それらをどれだけ理解できるか、まったくもって自信はない。家族も同じである。共感できたと思っても、勝手にこちらが思い込んでいる方が多いのかもしれない。

会話が成り立つためには、「自分が好きだ」という自尊感情が必要ではないかと思っている。どんな人?どんなこと?何を感じたの?そんな疑問や応答のできる必要条件に、自尊感情があると思う。自虐的な人や自分を卑下する人、あるいはまったくその逆の人との会話は長続きがしない。

自分が好きだということは一体どういうことだろう。自慢とは違う。それは自分がいることで、周りの人の役に立っているという意識ではないだろうか。ボランティアの快感もそこにある。相手に対しても、そう思わせることが大事だろう。「アンタがいるから、大助かりだよ」といえば、本人も悪い気はしないし、聞く耳を持つというものだろう。そこに会話が成り立つような気がする。夫婦、親子、先生と生徒でも同じだろう。

会話力を鍛えるためには、自尊感情をいかに深められるかにかかっていると思う。それがネットワークの究極だろうし、大げさにいえば生きる意味でもあるような気がする。自分が何をしたいか、ではなく、自分に何を求められているかということだろう。その模索が「自分探し」なのかもしれない。

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