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2006年1月26日 (木)

お手伝い

「お手伝いをしていた子は伸びる」と、女子バレーの大林素子さんが何かの番組で言っていた。お手伝いをしていた子は、何をすれば相手の役に立てるか、次は何をするべきかを常に考えるという。そういう訓練が自然にできているのだという。チームワークではそれがとても大事だという。

手伝いの語源ははっきりしないが、テツタフのタフはどうも「問う」のようだと柳田國男がいっていた。「何ができるかなあ、何をしてもらいたいかなあ」と相手に問うことが、手伝いの始まりなのかもしれない。相手に働きかけて問うことが手伝いの根本だとすると、小さい頃からお手伝いをよくしている子が、チームワークに貢献するという話はうなずける。

問うことは自立の始まりである。手伝いから日常生活の基本的なことがらをたくさん学んだような気がする。食事の配膳に始まり、風呂掃除、洗濯物の取り込み、部屋の片付けなど、考えてみればひとつひとつが生きる上で必要なことがらであった。仕方なくやったものもあったが、後から考えれば、それらが役に立った。

振り返って、最近は子ども達にあまりお手伝いをさせなくなった。塾や稽古ごと、部活、勉強優先で、肝心な生活の基本さえ経験させなくなっている。幼稚化の延長がいわれる所以ではないか。それは結局、生活の場で自らが「問う」ことを奪ってしまっていることになる。そんな経験不足が、会話力や生活力の減退にまでつながっているような気がしてならない。

お手伝いの減少が、ま・ぬけをつくっていないか。誰かがやってくれる。何もしてくれない社会が悪い。短絡的で刹那的な、そんな気弱な人間が増えている。今からでも遅くはない。できるだけ子ども達に手伝いをさせようと思う。子どもがかわいそうだといって、つい親がやってしまうことないか、それが自立の芽を摘むことになっていないか、反省してみたい。

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2006年1月23日 (月)

模擬店

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22日(日)穆佐小学校の参観日に合わせて、PTA主催の模擬店やバザーが行われた。今年度は9月の台風被災や12月の指定研究授業などにより、1月での開催となった。学校は復旧工事が始まっており、グランドや体育館が使えないため、近くの団地センターを借りて行われた。前日の準備は冷たい雨のなかでのテント張りやバザー用品の整理であったが、おやじ会のメンバーを中心にたくさんの加勢があった(ハウス園芸農家はキュウリの種植えで繁忙を極めていた)。当日は何とか快晴に恵まれたが、寒風が吹きすさぶなか、暖をとりながらの模擬店であった。

今回もおやじ会による「おやじ鍋」が好評で、前日からの仕込みと当日の味付けまで、男どもがワイワイやりながら楽しんでいた。1杯200円のおやじ鍋は、寒かっただけに人気であった。大体、男が料理する時は材料費にいとめをつけないため、食材から調理用品まで高級品にも手をつけ、つい買いこんでしまう。その結果、完売はしたものの売り上げはトントンであった。でもその過程が楽しかった。今年は例年参加する味付けのベテラン(遠洋漁業の調理人)が不在で、具の入れ方や順序はまったく適当であったが、それなりに味付けができていた。

夜のPTA会長、おやじ会会長主催による打上会には学校の先生方も駆けつけ、大いに盛り上がった。学校近くの、ここも台風被災でやっと開業にこぎつけた馴染みの居酒屋で行われたが、スポーツ少年団の新年会も行われており、入り交じっての飲み方となった。教育論議から、仕事や家庭の話、市長選挙や政治の話と話題はつきない。しゃべり過ぎて、私も翌日変声期の声であった。

でも印象に残ったのは、やはり悲しい話である。リストラや離縁、事故など、話を聞けば、それぞれが悩み苦しみを抱えている。話すことでいくらかでも軽くなるのだろう。誰かに聞いて欲しいこころの痛みを、こんな時におおいにはき出してくる。それでどうなることでもないが、聞いてもらえることでつながりも確認でき、励まされもするのである。

顔の表情やその人の肉声が、また地区のつながりや支え合いの土壌になっていく。ネットとは別の醍醐味である。

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2006年1月20日 (金)

電子メール

この地区のことだけを考えると、ブログや電子メールが必要なのかどうか疑ってしまう。日頃の情報はかなりの程度、直接の会話から入ってくる。医者や看護婦、スーパーの店員、ファミリーレストランのウェイトレス、ガソリンスタンド、、クリーニング店、宅配等、同じ地区の人達が働いており、日常的に出会う場は多い。そこから必要な情報はある程度収集できるので、ブログやメールを知らなくても困らない。

だから地区情報ということからいえば、あくまでこのブログや電子メールは補助手段に過ぎない。またお年寄りや年輩者が多く、これらを使える環境も乏しい。普及度というより、必要性の度合いからいえば低いであろう。もっと環境が整備されれば、いろんな使い方もされるであろうが、現在、この地区内でのブログや電子メールの用途は少ない。

ところが子ども達はそうではない。学校から帰宅するとまずパソコンの前にすわり、メールのチェックをする。ほとんど寝るまで点けっぱなしで、ケータイとのメール交換などに興じている。学校でも直接会って話もするのであろうが、送る方も受ける方も好きな時にできるし、また止めることもできるので、別の魅力があるのだろう。

いずれ電話と同じような存在になるのだと思うが、直接対話のできない子ども達が増えている現実を考えると、少し考え込んでしまう。バーチャルな世界で棲息する時間が増えて、リアルな体験が乏しくなっていくことへの懸念がどうしてもぬぐえない。倫理や価値観も含めて、何かが根本的に変換されていっているように思う。

子どもを巻き込む事件やライブドアの提起した問題も含めて、世界観の捉え直しが迫られている。

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2006年1月18日 (水)

不審者

各種の子どもを守ろうキャンペーンを読んでいて、もう一つ気づいたことがある。それは不審者というくくり方である。そもそも不審者という性格づけはあいまいである。何をもって不審者とするのか。子どもにとって、知らない人はみんな不審者となる。ことここに至って、見知らぬ土地で安易に子どもに道は尋ねられない。

不審者が存在するという認識だけが強くて、不審者を生んでいるという認識は薄い。なぜ不審者なるものが生まれてくるのか。その根を絶やすことはできなくても、不審者なるものを少なくする方途を探らなければ、いくらキャンペーンを張っても限界がある。

事件を起こす犯罪者との関わりで、最近、とみに脚光をあびているのが精神医学者である。犯罪者の生い立ちや境遇、家庭環境などから、事件を起こすに至った要因を説明しようとする。個人の性格や病理に帰して、犯罪の因果関係を解こうとする。それでことが終わるだろうか。

地域でも自治会に参加しない人がいる。地区費を納めない人がいる。地区活動に関わらない人がいる。すれ違っても、ことばを交わすこともなく、不審者にしてしまう実態はないだろうか。あるいは身体、精神障害者に対しても、足手まとい、邪魔者扱いして、排除する傾向はないだろうか。

地域、学校、職場での、日頃からの排除意識が、不審者をたくさん生んでいるように思えてならない。生まれつきの不審者はいない。もちろん犯罪者もいない。どこかでつくられているのだ。生み出す背景があるはずである。

「つらいねえ」とか、「なんとかなるよ」とか、「それでいいんだよ」とか、「あんたがいると助かるよ」とか、小さいときから声をかけてくれる大人がいると、不審者や犯罪者は生まれにくくなるのではないだろうか。不審者の声かけ事案に注意して見回りすることも大事だが、もっと何かなすべきことがあるような気がする。

子どもの自立をうながすこと。励ましの声かけをすること。不審者に対して目を凝らすのではなく、身近な者に対するまなざしが、遠回りのようだが犯罪を減らす近道になるのではないかと思う。

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2006年1月16日 (月)

察知力

正月明けから風邪を引き、体調を崩していた。今年の風邪はしつこく、喉の痛みがなかなか直らず、あっという間に2週間が過ぎた。

その間、穆佐小学校では10日に企画委員会があり、学校参観日、PTAバザーに向けての話し合いが行われた。下倉子ども会は15日(日)に空きビン回収があり、午後は親子も含めたボーリング大会を行った。学校施設の災害復旧工事もやっと始まった。

昨年暮れから、子どもの安全を守るいろんな取り組みが紹介されている。しかし、それら様々なキャンペーンを読んでみて、どうもそこに肝心な子ども本人が不在なのに気づいた。小さい子どもは何もできないというとらえ方、不審者を寄せ付けないようにみんなで見張ろうといった趣旨で、周囲の大人達が過剰反応して騒いでいるような印象を受けた。

危機意識はよい。しかし、子ども達は子ども達なりに自力をつけないとダメだと思う。「生きる力」とは危険な状態にあったとき、どう切り抜けるかという判断力や実行力をともなうものであろう。危険を察知する能力や大人に騙されない知恵と勇気を持つ必要がある。小学生にもなれば、遊びや社会との交わりのなかで、自然に学んでいくものだと考えているが、あえて危険な目に遭わせる、突き放しも必要だろう。それらの体験が少なくなっていることが気がかりである。親は積極的に子どもを連れ出し、実体験のなかで危険を察知する能力を教え、鍛えるべきだろう。

息子が小学校2,3年生の頃であった。大淀川の河川敷公園で遊んでいてふてくされ、「帰るよ」と幾らいってもきかないので、息子ひとり置いて他の家族は車で帰宅したことがあった。自宅までは10キロ以上もある距離である。1時間ぐらいして迎えに行こうと考えていたが、結局、妻がしびれをきらし、30分ほどで迎えに行った。ところが、途中でとぼとぼとひとりで帰ってくる息子と出くわしたという。幼稚園時代の遠足でバスに乗っていった道筋をうろ覚えに覚えていて、家までの道のりを辿っていたらしい。

残された後、いろんなことを考えたらしい。ひとり残された心細さと日暮れが迫る怖さと、後で聞くとふてくされた反省などはしなかったというが、とにかく家に帰れねばと考えたらしい。歩き出すと遠足の時の記憶が蘇り、半分は恐怖と、半分は興味とで、遠い道のりもそんなに遠いとは感じなかったという。冒険といえば冒険であった。

娘であったら、どのようなに対応しただろうか。そこまではできなかったかもしれない。しかし、その場でひとり残していくという話をして、ひとりになる怖さや心細さを想像させた後、「怖いおじさんがさらっていくかもしれないよ」とか、「やさしそうなおばさんも、実は魔女かもしれないよ」と付け加えたかもしれない。「そうなって欲しくないから、一緒に帰ろう」といって、恐らく連れて帰っただろう。

そんな話をするには、やはり戸外でないとあまり効果がないように思う。身につまされないであろう。まずその場と雰囲気が大事である。子どもは子どもなりに、危険を察知する能力や想像力を鍛えてやらねばならない。周りの大人が見守るのはあくまで補助的な手段である。キャンペーンではその主客転倒が気になった。

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2006年1月 3日 (火)

ま・ぬけ

田舎暮らしはスローライフである。この高岡町下倉永も今年から宮崎市に合併された。しかし、周囲は田園風景が開け、牧歌的な地域である。もちろん、道路は整備され、ここから宮崎駅まで早朝だと15分程で行ける。近くにスーパーやコンビニ、ファミレスが立ち並び、生活用品やインスタント食品、店屋物はすぐに手に入る。

ご近所や農家の方から野菜や果物をよくいただく。しかし、獲れ立てを調理するには手間暇かけねばならない。土を落とし、皮をむき、時にあく抜きをし、時間をかけねば食にありつけない。女性達の立ち話も長い。なかなか話が終わらない。妻にいわせるとそれが大事だという。確かに地域の寄り合いも多い。四季折々の行事もあるし、その準備には時間がかかる。スローライフというがのんびりではない。時間的には結構忙しい。時間がかかるからスローライフなのだ。

「まぬけ」ということばがある。拍子抜けが転じて、愚鈍とかいう意味になった。ところがよく考えてみると、経済効率性の結果、人間的にはまぬけが増えたのではないかと思う。便利さ、合理性のみが追求され、手間暇かけないことがよいことだといった風潮が蔓延していった。その結果、手順や作法、物事の道理さえわからなくなってしまっている。時間を短縮していった結果、何か大事なものが抜け落ちてしまったように思う。

時間、空間、人間、手間、世間など、間を使った漢字はたくさんある。振り返ってみると、効率性の名のもとに、なんと「間」抜けが多くなっていることか。人間も、その「間」がなくなって、単なるヒトになってしまっている。時間も、間がなくなって、一瞬一瞬の時刻になってしまっている。つながりや流れが無くなって、すべてが切れ切れになってしまっている。おそらく、そんなことも含めてスローライフ(間)が見直されているのだろう。

日本の文化は間の文化だともいわれる。演劇や舞台でも、間の重要性はしきりにいわれる。かつて旧家には仏間や床の間なるものもあった。長廊下や濡れ縁なども西欧建築からいえば、無駄な空間かもしれない。間は沈黙でもある。静かな孤独の時間でもある。白と黒を明確に区別しないフィジーな時空でもある。そこに豊かさが生まれた。

田舎暮らしがスローライフなのではない。大事なのは生活態度なのだと思う。やっぱり大変だけど、手間暇かけたものには愛着がわく。酒もじっくり寝かせたものは旨い。男と女の間柄も時間をかけて深くなる。苦労することで成長する。子育ても待つことが大事だといわれる。待つことで忍耐も生まれる。

いろんな「間」が抜けた結果、女児殺害事件にまで発展しているように思う。もう一度、「間」の重要性をとらえ直す必要があるような気がする。

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2006年1月 1日 (日)

初詣

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2006年の元旦は雨降りになったが、暖かい年明けとなった。
12時前には、近くの粟野神社に初詣に出かけた。奉納殿ではすでに宮司による新年の祝詞が始まっていた。そのうち、多くの参拝客が訪れ始めた。毎年、かなりの人でごったがえするので驚く。恐らく、この地区の出身者や関係者がかなりの数、帰省するのであろう。鳥居の外まで行列ができるほどだから、通常の2,3倍は人口が増えている感じである。今年は雨だというのに例年と変わらないほどのにぎわいであった。

境内では暖取りのたき火が焚かれる。また古いお札や破魔矢などの焼き場も別に設けられている。振舞酒や甘酒をいただきながら、久しぶりに会うのであろう幼なじみや同窓生などがたき火の周りで談笑していた。この地区出身で都城市に住む知人は、「あいつはオレとおない歳だ。」とか、「この境内は以前はもっと鬱蒼としていた」とか、昔を懐かしむようにいろいろ教えてくれた。中学生や高校生も、この時ばかりは夜遅くまで友達と談笑できるので、お互い声を掛け合って出かけて来るようだ。

故郷とかふるさとというのは、やはり特別の愛着があるのであろう。人をつなぐ何かがあるのかもしれない。無病息災、家内安全ということばが例年になく現実味を帯びた年明けになった。

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