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2006年1月16日 (月)

察知力

正月明けから風邪を引き、体調を崩していた。今年の風邪はしつこく、喉の痛みがなかなか直らず、あっという間に2週間が過ぎた。

その間、穆佐小学校では10日に企画委員会があり、学校参観日、PTAバザーに向けての話し合いが行われた。下倉子ども会は15日(日)に空きビン回収があり、午後は親子も含めたボーリング大会を行った。学校施設の災害復旧工事もやっと始まった。

昨年暮れから、子どもの安全を守るいろんな取り組みが紹介されている。しかし、それら様々なキャンペーンを読んでみて、どうもそこに肝心な子ども本人が不在なのに気づいた。小さい子どもは何もできないというとらえ方、不審者を寄せ付けないようにみんなで見張ろうといった趣旨で、周囲の大人達が過剰反応して騒いでいるような印象を受けた。

危機意識はよい。しかし、子ども達は子ども達なりに自力をつけないとダメだと思う。「生きる力」とは危険な状態にあったとき、どう切り抜けるかという判断力や実行力をともなうものであろう。危険を察知する能力や大人に騙されない知恵と勇気を持つ必要がある。小学生にもなれば、遊びや社会との交わりのなかで、自然に学んでいくものだと考えているが、あえて危険な目に遭わせる、突き放しも必要だろう。それらの体験が少なくなっていることが気がかりである。親は積極的に子どもを連れ出し、実体験のなかで危険を察知する能力を教え、鍛えるべきだろう。

息子が小学校2,3年生の頃であった。大淀川の河川敷公園で遊んでいてふてくされ、「帰るよ」と幾らいってもきかないので、息子ひとり置いて他の家族は車で帰宅したことがあった。自宅までは10キロ以上もある距離である。1時間ぐらいして迎えに行こうと考えていたが、結局、妻がしびれをきらし、30分ほどで迎えに行った。ところが、途中でとぼとぼとひとりで帰ってくる息子と出くわしたという。幼稚園時代の遠足でバスに乗っていった道筋をうろ覚えに覚えていて、家までの道のりを辿っていたらしい。

残された後、いろんなことを考えたらしい。ひとり残された心細さと日暮れが迫る怖さと、後で聞くとふてくされた反省などはしなかったというが、とにかく家に帰れねばと考えたらしい。歩き出すと遠足の時の記憶が蘇り、半分は恐怖と、半分は興味とで、遠い道のりもそんなに遠いとは感じなかったという。冒険といえば冒険であった。

娘であったら、どのようなに対応しただろうか。そこまではできなかったかもしれない。しかし、その場でひとり残していくという話をして、ひとりになる怖さや心細さを想像させた後、「怖いおじさんがさらっていくかもしれないよ」とか、「やさしそうなおばさんも、実は魔女かもしれないよ」と付け加えたかもしれない。「そうなって欲しくないから、一緒に帰ろう」といって、恐らく連れて帰っただろう。

そんな話をするには、やはり戸外でないとあまり効果がないように思う。身につまされないであろう。まずその場と雰囲気が大事である。子どもは子どもなりに、危険を察知する能力や想像力を鍛えてやらねばならない。周りの大人が見守るのはあくまで補助的な手段である。キャンペーンではその主客転倒が気になった。

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