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2006年2月11日 (土)

初午祭

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毎年2月11日に「初午祭」が、下倉地区の粟野神社で行なわれる。今年は午前10時より神事が始まった。まず社殿において、神主を筆頭に、氏子総代、公民館組織の各代表が集まり、神事が執り行われる。育成部代表は奉納用に焼酎二本を持参する。初午をやる子供たちも同席してお払いを受ける。神事は祝詞、お払い、神楽舞等が行なわれた後、境内において「お田植神楽」が奉納される。これらの神事だけで1時間近くかかる。

「お田植神楽」は牛をかたどった面と黒い衣に中に男の子がふたり入り、手綱や鞍、代掻きをつけ、前後に大人ふたりが付く。太鼓と笛が響くなかで境内を三回をまわる。牛になった子供は大きな声で「も~うっ!も~うっ!」と叫びながら、たまに尻尾をふったり、牛の真似をして面白い所作をするよう指導される。その後、氏子総代がもみを播き、集まった人々が、松の葉を苗に見立てて、田植えの仕草をしながら境内に植えていく。毎年、その方角が異なり、神主がその方向を指示する。これで一連の神事は終わるが、その後、総代ほか大人たちは社殿にあがって直会(なおらい)をする。

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子供会の行事として、その後、初午回りが行なわれる。初午とは「お田植神楽」で使用した牛のお面と黒の衣を身にまとって、各家庭を回り、お賽銭を集める行事である。原則としてその年度の最上級生(6年生)の男の子がその役をするようになっているが、都合でできない場合は5年生以下でもよい。「も~うっ!も~うっ!」と叫びながら、各家庭を回る。 各家庭では庭先で待っており、やってきたら牛の口からお賽銭をいれる。牛から頭等をなでられたら、その1年は無病息災といわれている。声を大きく出さないと、地区の人達は何の行事か分からないし、準備するのに時間がかかる。お菓子や果物を準備して待っていてくれる家庭もある。 集まったお賽銭は一応氏子に預け、氏子の判断で回った子供にいくらか配分される。

本来は新年になってはじめての午(うま)の日に行なわれるが、今は2月に行なっている。全国的には稲荷信仰の祭りといわれているが、必ずしも稲荷の祭日とは限られていない。日取りも地方によって異なる。二月初午には団子など特別な食物を作り、または茶を飲まないなどという地方もあり、馬を飾って山上の神社に登り、参拝する地方もある。今は混濁してもとの形はよくわからないが、彼岸や社日などと同じく、春の農事に先がけて豊年を祈る祭りであったかと思われる。

2月11日は「建国記念の日」で祝日でもあり、この初午行事はこの建国記念と牛馬の安全祈願、五穀豊穣、無病息災などを祈願するという。古くは新春に行なわれる予祝行事の色合いもあったのではないだろうか。以前は一週間ほど公民館に泊まり込み、馬を駆り立てて行なっていたという。県内ではこの行事を残している地区は少なく、特に「お田植神楽」は稲作祈願として珍しい。

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2006年2月 5日 (日)

京町二日市

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私の実家はえびの市京町温泉にある。4,5日は南九州最大といわれる「京町二日市」があった。両日とも天気にも恵まれ、所用でたまたま帰省していて、ぶらりと出かけた。

私にとって二度目であるが、年々盛んになってきているように感じる。海産物の露店が多いように感じるのは、そこが海岸から遠く離れた盆地であるせいかもしれない。瀬戸物、お茶、刃物類、竹製品、漬け物、植木など、田舎ならではの市風景である。値段も交渉次第と売り手と客のコミュニケーションがあちこちで繰り広げられる。近くに寄ってそれらを聞いているだけでも楽しい。

京町温泉にこれだけ人が集まるのは一年のうちこの日だけである。毎年二日間で20万人以上は集まるといわれる。主催の市商工会議所では今年は25万人を見込んでいた。車のナンバーを見ると遠く福岡や熊本、鹿児島からもやってきている。特に珍しいものが並ぶわけでも、値段が特別安いわけでもない。何か昔ながらの市風景を楽しみに来ているといった感じである。人が集まるから来るのだろうが、年輩者には何か郷愁を感じさせるのだろう。年輩者にとってその雰囲気は感激ものであるらしい。

市に合わせて「南九州駅伝競争大会」も行われた。えびの市真幸地区体育館前から都城市役所玄関前までの61キロあまりを7区間でつないでいく。これも年々盛んになる。今年は60周年記念ということで、福岡から高校駅伝で有名な大牟田高校も参加していた。選手や関係者も前日から近辺に宿泊していた。どこの温泉宿も満杯の状態と聞いた。

年々少子高齢化で独居老人世帯も増えている。京町温泉も例外ではない。でもこれだけ二日市で人を集めるのだから、何か活性化のために打つ手はあるように思う。温泉とスポーツを活かした施設や競技場、ジョギングコースを充実させるとか、町全体を郷愁をさそう街並み(植裁など)にするとか、郷土料理や野の草花を活かした店をもっと奨励するとか、温泉や川内川、霧島連山の風景を活かした句会や歌会を主催(山頭火の句碑もある)するとか、いろいろあるように感じる。

私は何より川内川の流れるここの盆地風景が一番気に入っている。朝夕、土手を散歩しながら眺める霧島連山の風景は格別である。この風景は何物にも代え難い。この温泉と風景をいかさない手はないと思う。

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2006年2月 1日 (水)

移転問題

穆佐小学校の「校舎建て替えに関するアンケート結果」が配布された。回答率79%で関心の強さを示していた。それによると「現在の場所で早急に建て替えをした方がよい」という質問に対しては、賛成21%、反対50%、無回答29%であった。また「移転して水害の心配のない場所に建て替えをした方がよい」とう質問に対しては、賛成82%、反対12%、無回答6%であった。全体的に移転改築を求める意見が多い結果となった。

台風被災を受けた直後であるだけに、学校の衛生・安全面の確保が一番の理由に上げられていた。一方、移転反対派は穆佐小学校卒業の保護者が多く、母校がなくなる寂しさと移転にかかる費用の大きさが上げられていた。しかし、ここには災害復旧による校舎改修と、耐用年数と耐震診断による改築が混同されている印象も受けた。台風被災がなくても、高岡町としては高岡小学校の改築後は穆佐小学校と計画が立てられていた。市町村合併もなく、台風被災がなければ、恐らく今の場所で校舎改築がなされたであろう。

また、台風被災に関していえば瓜田川のポンプアップ施設を新設する計画も提案されており、それらの情報が周知されないなかでの調査であっただけに一部混乱もみられた。より具体的な資料提供や情報公開がなされ、再度、調査が行われるならば、もっと違った意見や結果が出てくるかもしれない。

いずれにしろ、地域の学校としての安全・衛生・避難面での機能を充実させる意見は、移転の有無に関係なく多かった。また子どもの通学距離や少子化による他校との統合合併にも触れたものがあった。折角、移転問題が浮上しているのであれば、穆佐地区全体の地域発展を視野に入れた意見が出てもよいと思った。この地区の産業や自然、歴史、地理的条件などを考慮して、安全で住みよい地域づくりを目指すべきである。そのなかで、小学校の校舎移転改築問題が論議されるべきであろう。

その場合、やはり穆園広場や穆佐城はひとつの大きな核になると思う。福祉文化施設を充実させるなかで、小学校の機能や場所が検討されるべきである。小学校の校舎移転だけを独立して考えてもあまり意味はない。地域コミュニティ全体として小学校をとらえ、きたるべき少子高齢化社会にふさわしい地域社会をつくるべきである。自由な発想で、今後いろんなビジョンやスケッチが出てくることを期待したい。

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