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2006年3月21日 (火)

社日講

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下倉地区でも早期水稲の田植えが始まった。1週間ほどまえから田には水が張られ、苗の生育と気候などから、いつでも田植えが行える状態になっていた。今日は朝早くから田植機が水田に入り、うなりをあげていた。

そして彼岸の中日に今日は、春の社日講の日でもあった。このあたりでは春と秋の年二回彼岸を中心に社日講がもたれる。この下倉地区では「田の神祭り」とも呼ばれ、五穀豊饒と家内安全、無病息災などを祈願する。これはまた地区の寄り合いも兼ねている。

社日講には宿主1軒と、飲食等の準備をする講番と呼ばれる2軒が決められている。また地区内の各班には「おこしんさま」と呼ばれる木製の祠が保持され、社日講当日に宿主の家に置かれて拝まれる。

その「おこしんさま」は以前は各班毎に宮司がまわり、祈願祭(神事)が行われていたが、数年ほど前より粟野神社に持ち寄り、合同で行われるようになった。各班の出費や宮司の煩雑さからそのように変更された。各班の講番が「おこしんさま」を持ち寄って、3時から神事が行われた。講番のうち輪番で決められた班がその神事の直会の準備もする。

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その後、御幣2本を持ち帰り、宿主宅で社日講が行われる。頃合いをみて、地区内にある「田の神様」(石像)に班員数人がおにぎりや焼酎、肴、御幣などを持参し、お参りする。田の神におにぎりなどを供物としてなすりつける。以前は子ども達がお供え物目当てに集まり、大人がいなくなった後は競い合っていただいたという。田の神参りから宿に帰った者は、今年の稲の出来具合など神の宣託をおもしろおかしく報告する。

ただ高齢化がすすみ、社日講も寂しくなりつつある。また、新築の家ではかつての大家族を想定した間取りになっておらず、宿になることを敬遠するところも出てきた。宗教、信仰上の問題もあり、地区の寄り合いを兼ねることも難しくなっている。地域コミュニケーションを図る上で大事な行事であるが、これも時代の波に流されつつある。

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2006年3月 4日 (土)

ひな祭り

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初午祭から、あっという間に雛祭りも過ぎ、3月に入ってしまった。

穆佐小学校の校舎改修も急ピッチで進んでいる。1、2年生の教室や校長室、職員室、事務室など今月10日には完成検査ができそうだ。体育館も23日の卒業式には何とか間に合いそうである。ただ、地域の状況を見ると、廃屋になったまま放置されている家や解体撤去され空き地になっている土地も見かける。復興と傷跡が共存しながら、時が過ぎていく。

昨日は桃の節句であった。この東諸県郡地方では古くから「雛山」が知られている。長女が生まれると親戚や隣近所の人たち集まって部屋のなかに山の風景を再現する。粘土や木の枝で人形を作り、山や川でひろってきた巨木や古木、奇岩、輝石を飾り付ける。また花木などを持ち寄って、山の神が住む風景を部屋のなかに再現する。女性としての山の神を祝うとともに、女の子の成長を願う意味がこめられているようだ。綾町では毎年「雛山祭り」が行われる。昨年は近所の家でも初孫に女の子が生まれたと雛山がつくられていた。山の神と女性とが結びついた何か奥深い年中行事である。

ひな祭りというとどうしても「流し雛」を思い浮かべる。中国地方の流し雛が有名であるが、土製の頭に赤い紙の衣を着せ、一対の雛に菱餅や桃の花枝などの供物を添えて川へ流す。節供の日ばかりでなく、急病人が出たときなどもこの雛が流されたという。人型をかたどった紙人形や土人形に、諸々の罪・汚れ・病魔などを封じて川に流す風習である。いわば人の形代(かたしろ)を流すのである。この習俗もまたその背景に人の業を反映する何かが隠されているような気がする。

少し残酷であるが、ある詩人はこれは間引きした胎児を川に流した形跡ではないかとも想像していた。詩人の想像力であるが、そのことを知ってから妙に「流し雛」が印象に残っている。

いずれにしろ、ひな祭りには謎に包まれた祈りや願い、怨念が潜んでいるような気がする。我が家にも娘がひとりいるので、変に恨まれないようにささやかながら桃の節句を祝った。

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