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2006年11月12日 (日)

百足塚古墳

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最近、古墳探索をしている。今日は、新富町の百足塚古墳に行ってきた。
先日の新聞に、ここから発掘された埴輪が復元され、展示されていることが載っていたからである。新富町文化会館のロビーに大小さまざまな埴輪が60体ほど並べられていた。

特に興味をひいたのは「ひざまづく男性」と名付けられた埴輪であった。正座して前屈し、両手を前について、口を開けている。説明では、祝詞を捧げているか、語り部として首長に物語りを語っているのか、何かの報告なのか、はっきりしないが、神事を執り行う場面であることは疑いないという。

5,6世紀頃、語り部なる職業があったことは知られている。神のお告げ、つまり神の語りを仕事としていたという。そこから上代文学や物語が発生していったと折口信夫は述べている。埴輪を見ていると、その場に立ち会っているようで、神妙な面持ちになった。

もう一つは、現在は県外の巡回展で持ち出されているということだったが、性器を見せる女性像であった。パンフレットには「神懸かりした女性は踊りながら着衣が乱れ、性器を露出させている」と説明してあったが、これも神事を行う場面の一群の埴輪と一緒に見つかったという。右手で着衣の裾を持ち上げ、明らかに性器とおぼしき割れ目を意図的に見せている埴輪である。天鈿女命(アメノウヅメノミコト)を持ち出すまでもなく、性はかつて神事にとって重要な意味を付与されていた。全国で出土したのはここだけだという。

さらに、新聞等では報じられていたが、神事に使ったという太鼓単体の埴輪である。これも全国でここだけだという。太鼓の響きはこころをふるわす。神社で神事が執り行われる時は必需品である。古代より太鼓の響きが聞こえるようであった。

古墳の周囲から発掘された、結界として使われたと思われる円筒埴輪の数は、ここでは1000体をくだらなかったという。そのレプリカを近くの小学生たちが作り、百足塚古墳の前に並べてあった(写真参照)。家形埴輪も寄せ棟、入母屋、倉庫、高床など、甲冑埴輪もかつての武具がかたどられ、さまざまな衣装を身につけた人物埴輪、さらに狩猟の様子や動物の埴輪など、古代人の生活を彷彿とさせる遺品が展示してあった。

その後、現地を訪ねて行ったが、百足塚古墳を含む周辺の祇園原古墳群には、大小様々な古墳が点在しており、ほとんど発掘調査は行われていないという。大和朝廷と南九州との関係交流や生活道具の変化などがさらに明らかになっていくだろう。秋のひととき、古代人がどんな思いでこの地に生活していたのか、想いに耽った。

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