里山づくり
「ひむか里山の森づくり」に参加した。
住居近くの国有林が「悠々の森」に指定してあり、NPO法人が里山づくりを目指しているのである。
里山とはかつて生活の糧を得る場所であった。薪炭材やお椀、家具、椎茸の原木、下駄、薬用、食料、櫛、箸、玩具など、生活に必要な道具類を提供する場として親しい場所であった。
それだけ人間と樹木との対話がなされていたはずである。当時の面影をいくらかでも体験できたらと思い参加してみた。
「木」は「気」だとも言われる。樹木は人の映し身でもある。その姿形を人間のそれと対応させてとらえてきた。芽は目、葉は歯、花は鼻、実は耳など発音も似ている。 樹木と人間とは同じものから分かれたという観念があったのかもしれない。恐らく、黒潮に乗って南の島々からやってきた痕跡がその命名に残っているのだろう。
だからそれはもの言う存在なのである。日本書紀にも「葦原中国は、磐の根、木の株、草の葉も、なおよく言語(ものい)ふ」とある。そのものいいに人々は耳を傾けてきたはずである。 巨木を見ると霊的なエネルギーを感じるのは日本人だけではないだろう。
紀(木)の国の巨人、民族学者の南方熊楠(みなかたくまぐす)の名は、家系として楠の木を祖霊としてきたことからつけられたという。群馬県にも一本の赤松を祖霊神として崇めている一族があり、毎年、氏神祭りを行うという。 樹木に関わる民間伝承には、神社仏閣にかかわらず、信仰と暮らしに密接に関連する内容が多い。樹木の人間の暮らしに与える恩恵は計り知れない。
楠は中国原産で、仏教伝来(仏具や柩などの材料)とともに、南方から入ってきたということを聞いた。だから尾根筋の路沿いにこの木をよく見かけられるのだという。常緑高木で信仰に関係してきたことなどから、御神木として自然崇拝の対象にもなったのだろう。
今日は山の神に許しを乞いながら、雑木の伐採と整理を行った。生活と密着した里山づくりは様式の変化などからなかなか困難かもしれないが、山に入ることで樹木との対話が続けられたらと思う。
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