近くのギャラリー「鬼楽」で、鬼塚良昭さん(彫刻)と鬼塚拓郎さん(陶芸)親子による「2人展」が催されている(5月20日~6月3日)。鬼塚良昭さんについては以前紹介したが、息子の拓郎さんは陶芸をやっておられる。お二人とも遊び心満載で、木や土などを題材に、型にはまらない自由な発想を楽しんでおられる。また仕上がった作品もその置き方、見方、組み合わせなどでイメージがどんどん広がっていく。それも遊びの世界である。
先日もギャラリー「鬼楽」で本多寿氏も交えて飲んだ。鬼塚先生はとにかく出会いと語らいを大事にされる。いつもいろんな刺激をいただくが、地元大学の講義で学生達にこんなことをいったという。それは「汗をかけ、恥をかけ、手紙をかけ」ということであった。
人間は労働が基本だといわれる。それは生活を大事にするということである。作品は一見抽象的だが、きわめてリアリティに富んでいる。それは自然や生活のなかに埋もれている形を取り出されるからである。それを発見する眼が大事なのだ。
確かに差し出されるさまざまな木片や石の欠片なども、人工的に創り出そうとしてもとてもかなわない造形がいくらでもある。それを見つけるためには自然や生活に眼を向けなければならない、外に出て歩くことも大事である。見出した素材と格闘するためにも手を動かさなければならない。観念だけでなく労働という汗することのなかに、美しさを発見していこうとする姿勢がうかがわれる。
そして自分をさらけ出してみること。それが自らを高める第一歩なのだ。恥を恐れていてはいつまでも成長しない。どんなに稚拙な作品でも、他人に見てもらうこと。いろんな批評をもらうことが大きな糧になるのだという。出会いと語らいを大事にされるゆえんである。
芸術も基本はコミュニケーションである。創る行為も、見せる行為も、批評する行為も、すべてはことばが関わってくる。どんなに抽象的な作品でも、伝わりやすさを生み出すのは、どれだけ自然や人間、生活に関心をもち、語らっているかだろう。
そのコミュニケーション(対話力)を鍛えるために「手紙をかけ」といわれるのだ。創作過程におけるイメージや葛藤もことばが介在している。鬼塚先生は作品の題にとてもこだわられる。ことばを大事にされるからである。そのタイトルからもイメージが広がる。それはとても詩的である。ことばと造形によってさらに想像力を掻き立てられる。
話を聞くたびに、いつもいろんな刺激をもらっている。