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2007年6月14日 (木)

後戸の神

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職場の近くに宮崎神宮がある。 昼休みの丁度良い散策コースにもなっている。宮崎に住んでいながら、本殿に参ったのは今年が初めてであった。周囲は鬱蒼とした森になっており、探鳥会などがよく行われている。神宮の一角には県立博物館や民家園などもあり、近くのサラリーマンなどが昼休みのひとときを過ごす姿がよく見受けられる。やはり樹木をみたり、野鳥の囀りを聴いたり、腐葉土の匂いを嗅いだりするのも悪くない。

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先日も昼休みの30分ほどを歩いてみた。境内の広場でヨガをやっている人、ベンチに座っておしゃべりをしている女性たち、ジャージ姿でジョギングをする人などがいたりで、結構、賑わっている。本殿の外に神宮会館や結婚式の式場、神武天皇の東征を忍ぶ「おきよ丸」の複製、ボーイスカウトの建物などがある。しかし私の目を惹いたのは「稲荷神社」であった。

神社には本殿の裏や境内の片隅によく稲荷社、あるいは祠がある。宮崎神宮も参道の右手に稲荷神社があった。稲荷信仰はもともとは土着の農耕神(あるいは自然神)に、大陸から渡来した秦氏一族の信仰や仏教(弘法大師)などが絡みつき、農業から工業、商売まで信仰が拡大されて今日に至っている。

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しかし、なぜ本来の神社神殿とは別に、この稲荷社や馬頭観音などの祠が併設されているのだろう。もともとあった土着の神が追いやられて、脇に置かれて、後から国家形成とともに神格化した天皇や神話上の神々が本殿に祭られることになったということだろう。稲荷神など、もともとは縄文から弥生期にかけて自然崇拝とともに信仰されてきた古層の神ではなかったか。稲荷も馬頭も、動物神あるいは神の使いとしての性格も備わっているが、荒れると人に災いを及ぼす荒ぶる神でもある。

そう考えると稲荷神なども、中沢新一が展開したように宿神としての性格、超越的世界から自在に越境し、エネルギーを送り込む機能を備えているのではないか。本殿のご神体そのものは、神の降臨にしろ、寄り来る神がいなければエネルギーが枯渇してしまうのである。脇や裏に追いやられているが、実は古層の神々が巨樹の洞や岩穴、植物の根茎を通って超越的世界から現実の世界へと越境し、本殿に祭られて神を後から揺り動かしているのである。稲荷社など境内では隠れるように佇んでいるが、後戸(うしろど)の神として、それは消すことのできない神なのであろう。

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