卯の花忌
6月2日(土)に詩人の本多利通を忍ぶ「卯の花忌」が延岡市で行われた。(写真は本多家の墓地の後ろに植えられた卯の花。今年はかろうじてまだ咲いていた。)
本多利通は1989年(平成元年)6月4日午前2時頃、酒を飲んで帰宅途中、延岡市古川町の自宅手前で自転車もろとも田んぼに転落、そのまま窒息死した。享年56歳であった。生前、詩集「火の椅子」「形象と沈黙」「火の枝」「鳥葬」「老父抄」などを上梓、その詩は農民の子として、消防士として、詩に殉じる者として(生涯、独身であった)、リアリズムに溢れる力強い作風が特徴であった。
その本多利通に私は20代の頃出会い、たまたま住まいが近くであったこともあってよく声をかけてもらい、また飲みにも出かけた。延岡市には佐藤惣之助等と活躍した渡辺修三というモダニズム詩人がおり、戦後、彼を中心にこの地において現代詩が開花したといっても過言ではない。そのレベルの高さは全国でも注目を浴びていたと聞く。私はそれらの話しをよく伺ったが、当時詩作はしておらず、別の世界のように感じていた。今思えば、もっと真剣に聞いておくべきだったと後悔している。
この「卯の花忌」には、これまで片岡文雄や浜田知章、鈴木比佐雄、吉田加南子、西一知などの詩人が訪れ、講演をしている。もちろんかつての詩誌「赤道」の同人であった田中詮三、杉谷昭人、みえのふみあきなどもシンポジウムに参加、故人となった高森文夫や金丸桝一も偲ぶ会には出席していた。今年は詩人でもある実弟の本多寿さんが最近見つかったノートを資料に、本多利通の詩作品の詩想(思想)や背景について語った。
よく聞かされた「通常語をもって原語を鳴り響かせろ」の出典や、「原像の原始原型」「集合的無意識」のとらえ方、「寄物陳思」の着想、体験と記憶など、ノートに書き写された読書記録から彼の作品が解き明かされた。そういえば、生前「これを読め」と勧められた作家や作品名もあり、その当時、そんなことを考えていたのかと改めてその思想の深さに感嘆した。私もすでに彼が亡くなった56歳になったが、遅すぎた詩作開始ばかりでなく、読書体験の乏しさと認識の軽さはどうしようもない個人差として受け止めざるを得ない。ああ~。
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コメント
不思議な体験を「卯の花忌」に行くたびにします。今回もそうでした。そのことはいずれ書くつもりですが、蛍の時のようにやはり気分が異様になって
ぐらぐらと揺れる世界を感じました。おそろしい磁場が延岡付近にいまだ存在しているようです。
投稿: 風狂子 | 2007年6月 5日 (火) 20時32分