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2007年7月 5日 (木)

人間ドック

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海辺の近くの検診センターで1泊の人間ドックを受けてきた。宿泊施設の窓からは45(フォーティ・ファイブ)が見え、持て余した時間を海辺の風景を眺めたり、軽い体操などで過ごした。泊付きの人間ドックとはいっても、検診自体は正味3時間ほどで終わる。余った時間はフィットネスクラブや読書、散歩などで過ごせるようになっている。いわば骨休みの日程なのである。

事前にわかっていたので、私は施設内のプールでひと泳ぎし、夜は読書に充てた。ここのところチェーホフ全集を読んでいる。彼の短編小説には様々な人間の営みが描かれている。もちろん動物を主人公にした作品もある。ただ彼の自己主張はほとんどない。淡々と日常の光景や風景が描かれていく。悲惨さを強調するわけでもなく、悲劇を誇張するわけでもない。ただそれらを含め、日常の出来事が事細かに描かれる。だから深刻さが滑稽に見えたり、正義や誠実さが愚かに見えたりもする。

誰でも感じたり、考えたり、悩んだりしたことのある内容が、作品のなかで展開される。舞台は違っても、共感できる部分がたくさんあるのである。何かに気づかせてくれているようでもあるが、それはなかなかことばにはできない。心の深いところに突き刺さっているようにも感じる。何度も読み返したくなるのは、多分、深く突き刺さった「何か」が、別な「何か」を触発するからであろう。その「何か」はわからない。しかし、それを確かめたくて再度読むことになる。そんな魅力をチェーホフの作品は持っている。どうしても指示代名詞的な言い方にならざるを得ない。

「六号室」は面白かった。何の生きる意味を持ち得ない読書好きな医者が、ある時、隣接する精神病棟を訪れ、その中のある患者と話す。その哲学的な批判的な物言いに魅力を感じ、毎日その患者と話すことが楽しみになり、病棟を訪れるようになる。そのうち医者も変人扱いにされ、精神病院に入れられ、殴られて2,3日の内に死ぬのである。一体、知識や分別、誠実さって何?と問題提起しているようにも見える。患者たちも含め、その変化していく意識が非常な説得力をもって描かれている。ここにも深刻さと滑稽さ、正義と不道徳とが混在しており、それに対してチェーホフは何ら価値判断は下していない。

人はいずれ死ぬ。何のために人間ドックなど受けるのだろう。と正常値を超えたデータの説明を医者から聞きながら、少し不思議な気持ちにさせられた。病院や健康診断にチェーホフは持っていくべきではない。

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コメント

[人間ドック]読みました。いいエッセイでした。
「六号室」は、亀ちゃんが一泊とはいえ病室で過ごしたから、なおリアリティがあったのでしょう。
ぼくは、今日から二泊三日で国際ブックフェアーを見てきます。
出かける前に、いいものを読みました。

投稿: 果樹園 | 2007年7月 6日 (金) 06時48分

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