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2008年2月11日 (月)

塔和子の世界

詩誌「黄薔薇」が送られてきた。岡山県で発行されている詩誌である。今号は塔和子さんの特集が組まれていた。塔和子全詩集3巻の刊行を記念に組まれたものである。

しらじらと続いている
この道の傍(かた)えに
一本の柱が現れたら
私は
柱が砕ける程抱きついてやろう
そして
頬ずりし
耳をくっつけて
柱のささやきを聞こう
その
地より天に直立する
立体の頼もしさに涎(よだれ)を流そう
その
動かない姿勢に対(む)かって
全身をぶっつけ
柱の愛撫を受けよう
ああその
唯ひとつ人間に残された支柱よ
依存の優しさよ
人間を待伏せしろ

塔和子の第一詩集「はだか木」の一編である。以前、映画「-闇を拓く光の詩-風の舞」を見たことがある。塔和子さんの半生を描いた作品である。13歳でハンセン病を発病。以来、故郷を離れて国立療養所大島青松園に強制隔離され、苛酷な人生を余儀なくされた。その生活のなかで詩に出会い、詩を生きがいにして、数多くの作品を創ってこられた。第15詩集「記憶の川で」で高見順賞を受賞されている。

1960年頃、永瀬清子さんに誘われて詩誌「黄薔薇」に参加されたという。最近まで私は塔和子さんを知らなかった。先の映画や高見順賞を受賞してから、にわかに全国に知られるようになったのではないか。

しかし、その詩は胸を打つ。掲載詩は三十代の頃の作品であろうか。平易な詩句ではあるが、内容は激しい。塔さんにとって柱とは何であろうか。敬虔なクリスチャンというから、神かもしれない。「唯ひとつ人間に残された支柱」という言葉からは純粋な精神、崇高な道徳律も感じられる。苦しみや迷い、寂しさや怒りなど、それらを突き抜けたところに現れる光明のようなものだろうか。最終連の「人間を待伏せしろ」という詩句も、なんと力強く、勇ましいのだろう。読者までが励まされてくる。

それほどまでに待ち焦がれている気持ちが、ただ一途に求める気持ちが、激しい言葉となって表現されている。自らを支えてくれる支柱を求めるのであろう。その対象(柱)を純粋に見据えているがゆえに、言葉は激しくとも、清澄で透明な世界が広がっている。

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