翁草
庭に出てみると翁草が花をつけていた。
もうずいぶん前に人様よりいただいて岩陰に植えていたが、花もつけず、そのまま放置していた。一昨年、ふと思いついて日陰からいくらか陽のあたる場所に移植してみた。すると早速次の年の春に花をつけたのだ。
今年は二年目に当たるが、春が近づきしっかりと花をつけていた。この翁草はキンポウゲ科の多年草で、絶滅危惧植物Ⅱ類に指定されている。最近では目にすることも難しく「幻の山野草」になりつつある。春到来の3月頃になると、可憐な美しい花を咲かせる。5月上旬頃になると(花期が終わり)種子をつけるが、一粒一粒の種子の先端に、2cm位の白い糸状の綿毛のようなものをつける。この時の様子が高齢者(翁)の白髪のように見えることから「翁草」と命名されている。
渡辺修三の詩集「山ノコドモタチ」(未発表)のなかに「オキナグサ」がある。
ハル 四月ノコロニナルト ノハラニ タクサン オキナグサノハナガ サキマス。 オキナグサハ アナモネトイフハナニ ニテイル ウツクシイハナデス。コノハナハ ウシモ ウマモ タベマセン。オキナグサノ ハナガサクト 山ノムラニ ハルガキマス。
渡辺修三は延岡市尾崎町に生まれる。1921(大正10)年旧制延岡中学を卒業、早稲田大学英文科に入学。西条八十に師事し、村野三郎らの詩誌『棕櫚の葉』や佐藤惣之助の『詩之家』に参加し、久保田彦穂(椋鳩十)、潮田武雄とともに『詩之家』の三羽ガラスといわれた。(略)渡辺家は代々庄屋だったが、明治時代に入り、父民三郎の代になると酒造業を営み、後に山林業に転ずる。民三郎は徳富蘇峰の「国民新聞」を愛読し、1899(明治32)年、26歳の時に初めて徳富蘆花に出会い、終生師事し親交を重ねた人である。生家の書庫には2万巻の書物があったという環境で育った修三は、中学時代からトルストイ、シェンキイッチ、ツルゲーネフなどを読み、すでに漢詩や詩歌を書いていた。また、兄謙二郎は画家、弟小五郎は彫刻家であった。2人とも若死にしているが、それぞれに優れた才能を開花させての死であった。(みやざきの百一人より))
先の「オキナグサ」はこの野草のスケッチであるが、この花を見るたびに私は、渡辺修三が見つめた時の心境に想いを馳せる。家の都合で帰省し、黒岩園という茶園を継ぎ、延岡の地で詩作を続けた渡辺修三の詩境が反映されていないだろうか。単純な詩句ではあるが、「山ノムラニ ハルガキマス」というい最終連に万感の思いを感じるのである。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)