雛山
休日の昼下がり、綾町の「雛山まつり」に行ってきた。
町内17箇所で雛山が飾られ、見物人で賑わっていた。案内パンフレットによると綾の「ひな山」は江戸時代にはじまり、北麓の梅藪地区が発祥の地だという。山の神である女性をお祝いする祭りである。
「貧しい生活の中で、長女が生まれると親戚や隣近所の人たちが、粘土で土人形や木の枝で木製の人形などを作り、山や川で拾ってきた巨木や古木、奇岩、輝石を飾り付け、花木などを持ち寄って奥座敷に山の神が住む風景を再現したものがひな山の始まりであると伝えられている。」(パンフレットより)しかし、もっと別な背景があるように想う。
山はもとより母胎である。山や川で拾ってきた「巨木や古木、奇岩、輝石」とは、恐らく宿神であろう。巨木信仰や巨石信仰の名残りも感じる。奇岩、輝石はその造形や形象から陰陽五行の思想性も反映しているかもしれない。それらを集めて自然のエネルギーを取り込もうとしたのだろう。
さらにこれらを使ってひな山を創るのであるが、母胎再現のなかには当然、エロスも隠されている。巨木や古木は男根の象徴であったかもしれない。生殖、生産は豊穣を願う人間にとって必要欠くべからずのものである。そこにエネルギーも蓄積される。また必ず苔をひな壇の周囲に植栽するが、これも陰毛とみられないこともない。とすると、ひな山とは巨大なヴァギナではないか。雛段に並んだ面々は豊穣を約束する嬰児(みどりご)たちであろう。などと、かってな想像をしてしまった。
綾工芸村(綾町入野)の「ひな山」は巨大なものであった。自然の地形を活かして、水路を引き、雛人形も木材を使って、大胆に加工したものである。聞くところによると、いろんな人々の協力で作られたらしい。この共同作業ということも、ひな山造りの大事な要素であろう。女を祝うために、恐らく男たちが必死になって奉仕したことは疑いない。綾は照葉樹林の宝庫でもある。その山(女)を大事にすることのなかに、綾工芸の芸術思想や伝統技術を磨くベースがあるのではないかと思った。
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