詩の話
近くの水田ではもう早期水稲の田植えの準備が始まった。田に水を張った後、土が水に馴染むまでしばらくはそのまま放置されている。一面、鏡を寝かせたように空を映している。この光景を見ると、毎年、何かが動き出しそうな気配を感じる。
昨日は本多寿さんとみえのふみあきさん宅を訪問した。今年の「卯の花忌」の講演をお願いするのが口実であったが、いつもいろんな話を伺えるのが楽しみである。
「1960年代以降の詩はつまらなくなったね。50年代の詩に比べて、今から読み返してみると、色あせてみえる。時代の影響を受けるのはしかたないけど、広がりや深みがない。」というような話から始まった。荒地や列島、櫂など、戦後における同人詩の傾向や運動が話題に上がった。オートマチズム的な詩が、当時、流行ったとしても、広く暗唱される詩としては残らなかったのは、恐らく流行やムードで書いたからではなかったか。情緒や抒情の必要性も話になった。
60年代以降、安保を機に政治と文学も華々しく論議されていた。鮎川信夫と関根弘との間に論争があったことは初めて知った。体制翼賛も反戦平和も同じパッションがあるという鮎川の指摘は以前も聞いたことがある。そのベクトルに意味があるという関根の気持ちもわかる。詩を誰に読ませるのか。詩は飢えた子どもを救えるか。というテーマはこれまでも繰り返されてきた。なかなか結論はでない。しかし、詩は何かの目的のための手段ではない。
保守的な、常識的な思考では、言語芸術は生まれない。革新的で常識を覆すような詩はなかなか理解されにくい。しかしそこに前述した情緒や抒情が含まれていると、わからなくとも何となく共有できるのではないか。「嵯峨信之さんの詩はいいですね。」と水を向けると、「嵯峨さんは晩年まで詩が衰えなかった。珍しい詩人だった。」と応えてくれた。詩人は晩年になると詩の内容がまとまらなくなると、みえのさんはいわれた。恐らく、自らの体験や渡辺修三の「塩と天幕」「亀裂ある風景」などを想起されていたのだろう。
真の意味で口語詩を確立した高村光太郎や、詩としてはそれほどすぐれた作品はなかったという中原中也なども話題に上がった。たまたま三人ともデジカメを用意していて、最後に写真を撮りまくった。今のところみえのさんの体調は良いようで、卯の花忌の講演が楽しみである。テーマは「リアリズムの虚実」と決まっている。
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