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2008年5月15日 (木)

半泥子

Pht_special_thb01_2 県立美術館で「川喜田半泥子と人間国宝たち展~桃山ルネッサンス 陶芸の近代化~」を観てきた。(写真は伊賀水指 銘「慾袋」 川喜田半泥子)

「東の魯山人、西の半泥子と称された川喜田半泥子は、三重県津市の素封家に生まれ、百五銀行の頭取など財界人として活躍する一方、数寄風流人として、陶芸・絵画・書・茶などにも通じる。また、近代陶芸を模索する荒川豊蔵、三輪休和、金重陶陽らと交遊し、彼らの精神的な指導者でもあった。この展覧会では、志野、萩焼、備前焼、唐津焼の人間国宝らの作品に、彼らを支援した川喜田の陶芸や書画をあわせて約170点を紹介。(パンフレットより)」とある。

半泥子の外、荒川豊蔵や金重陶陽、三輪休和、魯山人らの作品が展示したあった。風流人としての半泥子の作品には釉薬の色彩やデザインよりもその造形に惹かれた。型にとらわれず自由に遊んでいる様子が心地よかった。微妙なゆがみやへこみが人間的な素朴さを感じさせた。半泥子は満1歳のときに、祖父と父を相次いで亡くし、祖母を後見として育てられているので、内面の屈折があったのだろう。意図的な亀裂やひび割れの造形も多い。ただ、さすがに旧家の跡取りだけあって、デザインそれ自体に「粗野を装った贅沢」が少し感じられた。(この半泥子については松岡正剛も書いている。)

他の作家のなかで特に惹かれたのは荒川豊蔵の作品である。色、形、描写に自己主張がない。抑制されたその技法に、思わず手に取ってみたくなった。気品や深みがあり、しかし決して気高くはない。茶器のふくらみ、やさしさ、淡い色合いなど、見飽きなかった。若い頃、絵描きを目指したらしく、展示してあった書画も質素で、動きやユーモアがあり、遊び心も感じられた。

「荒川豊蔵、明治27年(1894)~昭和60(1985)、岐阜県土岐郡泉村(現、多治見市)生まれ。昭和5年美濃大萱の古窯跡で志野の陶片を発見した荒川豊蔵は、桃山陶再現の火付け役となり、古典復興の主導者として活躍した陶芸家である。唯一陶片を手掛かりに、素材・窯・技術など全てに自然に徹した作陶姿勢を貫き、試行錯誤を重ねながら志野・瀬戸黒・黄瀬戸の再現に尽力した。とくに志野では、長石釉に緋色がほのかに映える「豊蔵志野」ともいえる逞しく温雅な独自の作風を確立した。昭和30年志野・瀬戸黒の技術で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、また同46年には文化勲章を受章している。」とある。

若い頃、北大路魯山人に招かれ鎌倉でも窯を開いているが、人間国宝に認定されるまでは、経済的に苦しい生活が続いたようだ。岐阜県可児市には「荒川豊蔵資料館」もできている。

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2008年5月11日 (日)

柳絮(りゅうじょ)

Img_3435 GWは退職されたM先生の慰労会ということで湯布院に出かけた。

私は初めてであったが、天候もよく、人も多かった。磯崎新設計の駅舎もさることながら、由布岳の山容や金鱗湖から流れ出る小川、その両側に並んだ温泉宿の風情もなかなかよかった。民芸を主体とした土産物屋や雑木林のなかを散策しながら、金鱗湖まで歩いて行った。

湖畔に佇んでいるとき、M先生が「あっ、柳絮が飛んでいる」といわれた。それは湖畔に植わった柳の木から飛んでいる綿毛であったが、それを柳絮(りゅうじょ)というのだとは知らなかった。

ネットで調べてみると、中国は街路樹に柳が使われており、漢詩の題材にもよく出てくるという。漢詩では「柳」は「別離」の象徴で、旅などで別れる人々が柳の 枝を折り、送りあって別れを惜しんだともいう。柳絮を題材にした恋歌もあるということだが、ネットでは下記の詩がよく紹介されていた。

和孔密州五絶 東欄梨花    蘇 軾
   孔密州の五絶に和す  東欄の梨花

梨花淡白柳深青 梨花(りか)は淡白にして 柳は深青なり
柳絮飛時花満城 柳絮(りゅうじょ)飛ぶ時 花は 城に満ちたり
惆悵東欄一株雪 惆悵(ちゅうちょう)す 東欄 一株(いっしゅ)の雪
人生看得幾清明 人生 看(み)得るは幾(いく)清明(せいめい)か

・柳絮=白い綿毛をもった柳の種子が雪のように散るさま。
・惆悵=恨み嘆く、いたみ悲しむこと。
・一株雪=雪のような白い花を咲かせている一本の梨の木。
・清明=二十四節気の一。三月節気。今の四月五日頃。万物清く陽気になる時期という意。

蘇 軾(そ しょく)は宋代第一の詩人。名文家で、蘇 東坡とも呼ばれている。代表作に「 春宵一刻 値千金・・・(春夜)」がある。

湯布院はある種、郷愁を誘う雰囲気がある。由布岳が目の前に聳え、小川や雑木林、民家風の温泉宿など、山里という地理的環境を活かした街創りををしているのであろう。

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