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2008年7月13日 (日)

ちはやぶる

Img_3486  今日も一日、娘のテニス練習につきあわされた。宮崎市の天神山公園テニスコートで、県大会出場校5校が集まり、総当たり戦での練習試合であった。テントの準備から弁当の手配まで、保護者会がお手伝いをする。試合を観戦しながら、上位校の練習態度や指導者の姿勢、ジュニア時代の成績や高校への進学など、いろんな情報や感想が飛び交う。こんな暇ないのにと思うが、これが部活動生をもった親の務めなのだろう。

 今日も試合を観ながら考えた。スポーツはスピードが命である。早いボールにはやはり手が出せない。ネットすれすれのライナー性ボールがコーナーをついてくれば、それに追いついて打ち返すのは容易ではない。それだけラリーの応酬には見応えがある。プロのプレーヤーになると、観客は玉を追いながら、目が回るということにもなりかねない。速さは人間の感覚を狂わすのだ。

 魔球というものがある。一瞬、目の前からボールの形が消える。瞬間移動するくらいの速さは人間の認知を超えるものであろう。しかしその認知を越える速度の存在を人間は本能的に察知していたのではないか。でもなぜ、速さを競い合うのだろう。速さに対する憧れとは何なのだろう。どうもそれは人間を超越する力への接近なのかもしれない。

 これも鎌田東二の受け売りだが、「ちはやぶるとは神にかかる枕詞で、ち(霊、血、風、道)+はや(速)+ぶる(振る)、つまり霊から物質までもつらぬいている根源的な生命力が、すさまじいスピードでスイングし、スピンするさま」であるという。一種の神懸かり状態がちはやぶるなのだという。

 神秘体験、臨死体験にスピード感はつきものだといわれる。エクスタシーもスピード感と切り離せない。スポーツの恍惚感とはまさにスピードの爽快感なのかもしれない。先週、修学旅行から帰ってきた娘は遊園地で初めて絶叫マシーンに乗ったという。「怖かったけど、てげ、面白かった。気分がよかった」といっていた。人間の身体には、ここにも認知を越えた、わけのわからない異物が潜んでいる。

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