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2008年11月 1日 (土)

中村地平の想像力

中村地平生誕百年記念行事が県立図書館で行われた。
地平は1908年に宮崎市大淀町に生まれる。本名は冶兵衛(じべい)であった。資料によると、旧制宮崎中学校を卒業後、旧植民地の台湾総督府立台北高等学校に入学し、4年間の台湾生活の後、東京帝国大学文学部美術史科に入学している。同学年には太宰治がいた。井伏鱒二に師事し、佐藤春夫に見出され、文壇デビューする。都新聞社(現東京新聞社)の記者を経た後、文筆生活に入る。南九州の風土や生活を題材にした作品(「土竜どんもぽっくり」「南方郵便」)で何度か芥川賞の候補になる。南方の気候風土や原始的生命力への憧れなどから「南方文学」を提唱する。

1941年従軍作家としてマレー半島を南下するが、東南アジアでの日本軍の蛮行に衝撃を受け、その後、「南方文学」を破棄する。終戦の前年に宮崎に疎開し、日向日日新聞記者を経て、1947年から宮崎県立図書館長を務めている。その後、1957年から父親が社長を務める宮崎相互銀行の取締役として就任する。1963年心臓麻痺で死去する。享年55歳であった。

地平の生前を知っている人たちによるエピソードや人柄、業績などが紹介された後、岡林稔氏による「最近の中村地平研究について」の紹介があった。特に台湾出身の大学院生や学者による研究が盛んだという。ジェンダーの視点からの批判や南方憧憬の本質論など多彩な研究が進められている。それらの印象では、中村地平の南方文学が東南アジアへの侵略戦争とタイアップしていたことや、台湾の現地人や女性に対する差別意識があったこと、さらには彼の南方ロマンチシズムが情緒的で安易な理想郷願望に過ぎないことへの批判が中心になっているように思えた。

この種の記念行事は、その作家の生まれ育った気候風土や文化から創出された作品をどのように批判継承していくかがテーマであるように思う。かつて文学の戦争責任論が盛んに論じられた時期があった。時代背景や当時の置かれた状況を無視して批判断罪するのは簡単である。裕福な家庭に育った境遇など、その限界性を指摘するのも簡単である。多様な視点はテクストの読みを豊かにしてくれるだろう。それらの研究を否定するものではない。ただ、この記念行事にいくらかの不満を抱いたのは、地平の何を批判継承していくかがあまり浮き彫りにされなかった点である。

子ども向けに書かれた作品に悪者は登場しないという評価する指摘があったが、それが南方における悲惨な体験から出した結論であったにしてもわたしにはそれは逃避や責任回避にしか映らなかった。また晩年家族を大事にすることを自らの目標にしたとの指摘もあったが、そこから文学的な豊かさがどのように展開されるのか疑問に感じた。わたしが地平から批判継承したいと思うのは彼の想像力である。この地における気候風土や人情、生活から引き出される想像する力である。この地に生活してみないと実感できない雰囲気や忌避感がある。そこからどのような想像力を鍛えていくかにわたしの関心はある。中村地平の「南方文学」はその格好の題材である。

悪の存在しない世界はない。家族の絆があっても死の恐怖や寂寥は解消しない。世界同時性で悲惨な出来事が多発している。身近な日常は世界とつながっている。そのような現実に生きる者として想像力は欠くことのできない要素である。地平の描いた「南方文学」はもっと別な形で、その想像力を生かせるのではないか。文学者として、文化行政担当者として、経営者として、今日はさまざまな思い出話があった。それらを描いた中村地平の想像力は何であったのか。この地に生活するものとして地平から学ぶべきものはそんなことであろう。

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