ゆく旅
いよいよ大晦日となった。
身辺の整理をしながら、ゆく年くる年に想いを馳せる。
年末に岡山から出されている詩誌「ネビューラ」(代表、壷阪輝代)が届いた。そのなかの一編「ゆく旅」(日笠芙美子)が印象に残った。
ゆく旅
稲の切り株のうえに
冬の陽が落ちている
じっとたたずんでいる一羽の白鷺の
背中のあたりから日暮れて
ぽつんと明りが灯る家がある
いくつもの夜を越えて
今夜はたどり着く戸口
暖まってゆきなさい
父が蕎麦をうっている
母がテーブルを拭いている
ふたりとも楽しそうに
蕎麦をすすめる
ああ
ゆであがった蕎麦であふれてしまう
止まり木のようなテーブルで
ひととき 声のない会話をしている
若い父と母と
年月を重ねた娘と
ギイーギイー
鳥の声が夜を渡って行く
永遠のような一瞬
やさしくあたたかいものが
喉元を通り過ぎてゆく
たぶん現(うつつ)も一瞬なのだろう
白鷺たちのねぐらだった鉄塔で
木枯らしが羽音をたてている
夜をゆくものたちが聞いている
生きるということ、歳を重ねるということ、日々の暮らしを過ごすということ、そんなことを想起させる。そのなかでふと想い出す父母の記憶。そのやさしさあたたかさに日々の孤独や苦渋が救われる思いがする。ただその人生も一瞬なのだという死生観が胸を打つ。決して厭世感などではない。白鷺は作者自身かもしれないし、今世紀を生きる人々(人類)かもしれない。しかしそれを見つめている「夜をゆくもの」は日笠さん自身であることは疑いない。最近の日笠さんはますます充実している。来年また、どんな作品にめぐりあうか楽しみである。
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