ライフタイム
先日、延岡市で飲んだ後、最終の特急で宮崎市まで帰ってきた。東京から見えていた風狂子と詩の師匠でもある果樹氏も一緒である。「もう一軒行こう」ということになって久し振りに駅の近くにあるジャズのライブハウス「ライフタイム」に寄った。
12時前ですでにライブは終了していたが、マスターは快く店に入れてくれた。三人ともほろ酔い気分で、恐らくお互い勝手なことをおしゃべりしていたように思う。私はライフタイムでCDを出していたことをふと思い出して、酔いの勢いで買ってしまった。
宮崎で出すのだからとあまり期待もしていなかったが、これが驚いた。久しぶりにジャズボーカルを聴いたせいかもしれないが、思わず身を乗り出して聴き入ってしまった。その歌いぶりがビリーホリデイの情感を搾り出すような歌い方にも似ていたが、沖縄の与世山澄子とも違い、ブルージーで、ソウルフルで、かつ知的で、哀愁のなかにも、歌うことの喜びみたいな感動が伝わってきた。スローテンポな曲が多いこともあって、じっくり聴かせる。バックのピアノやギターのシングルトーンもボーカルに絡み心地よい。
「BLACKBIRD」Kuma Masako at LIFETIME BLACK TREE Records
久万正子(くままさこ)プロフィールより
幼少より歌うことが大好きで、すでに4歳にして歌手になることを夢見ていた。クラシック・ピアノと声楽を習い、後にジャズに転向する。高3夏、クラシックよりもっとポップな音楽がやりたいと 声楽の先生に相談したところ、ジャズを薦められ、ジャズに方向転換。大学進学拒否。 高校教師からは“頭がおかしくなった”と 危険人物視される。
1973年東京音楽学院“ジャズ科”に入学し、ティーブ・釜范氏に師事。1976年からはマーサ・三宅にも習う。翌年から、都内ジャズクラブ、ライブハウスで早くもプロとして活動を始める。1977年、プロとして活動を始める。歌えることが嬉しくて毎日毎日歌う。渋谷毅(P) 川端民生(B) 武田和命(Ts) 田村博(P) 津村和彦(G)他、多くのミュージシャンと出会い、彼らの音や姿、言葉(酒)から多くのことを学ぶ。
1993年、音楽上の行き詰まり、どうして歌ってるの? 何故この曲なの? 全てが分からなくなり、音楽活動に終止符を打つ。音楽とは無関係の会社に就職OL生活を楽しむ。2000年ごろから無性に歌いたくなる。勤務しながら月1~2回のペースで活動を開始するも、常に心にあるのはJazzとは何?!2004年 田村博(P)&津村和彦(Gui)のトリオをメインに活動開始。2007年2月 十数年振りに合った扇田正俊をProducerに、田村博(P)、津村和彦(Gt)で新宿『ジャズスポットJ』にてセカンドアルバムを録音。2008年9月、宮崎のライブハウス「LIFETIME」でサードアルバムを収録。
このプロフィールだけみても、錚々たるメンバーと組んで歌っていることがわかる。本格的な実力派といっても過言ではない。恐らく10年間ほどのブランクがその唄声に深みを与えているのだろう。なぜ、歌うのかということで相当悩み苦しんだ様子が窺える。これはなぜ生きているのかと同じくらい意味を持つ問いである。それを乗り越えた果てに自然に口について出てきた歌だけに、歌詞の解釈やメロディやリズムの表情に陰影が濃く表われている。失恋も含め、恋の唄がほとんどだが、それだけに情感豊かで、いろんな人生模様を想像させてくれる。
解説書によると母親の出身が宮崎らしい。現在はほとんど東京で活躍しているらしいが、たまに帰省してライフタイムで歌っているのかもしれない。今では私は朝夕の通勤途上で毎日のように聞いている。
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