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2009年6月14日 (日)

ライフタイム

先日、延岡市で飲んだ後、最終の特急で宮崎市まで帰ってきた。東京から見えていた風狂子と詩の師匠でもある果樹氏も一緒である。「もう一軒行こう」ということになって久し振りに駅の近くにあるジャズのライブハウス「ライフタイム」に寄った。

12時前ですでにライブは終了していたが、マスターは快く店に入れてくれた。三人ともほろ酔い気分で、恐らくお互い勝手なことをおしゃべりしていたように思う。私はライフタイムでCDを出していたことをふと思い出して、酔いの勢いで買ってしまった。

宮崎で出すのだからとあまり期待もしていなかったが、これが驚いた。久しぶりにジャズボーカルを聴いたせいかもしれないが、思わず身を乗り出して聴き入ってしまった。その歌いぶりがビリーホリデイの情感を搾り出すような歌い方にも似ていたが、沖縄の与世山澄子とも違い、ブルージーで、ソウルフルで、かつ知的で、哀愁のなかにも、歌うことの喜びみたいな感動が伝わってきた。スローテンポな曲が多いこともあって、じっくり聴かせる。バックのピアノやギターのシングルトーンもボーカルに絡み心地よい。

Bb_2 「BLACKBIRD」Kuma Masako at LIFETIME BLACK TREE Records

久万正子(くままさこ)プロフィールより
幼少より歌うことが大好きで、すでに4歳にして歌手になることを夢見ていた。クラシック・ピアノと声楽を習い、後にジャズに転向する。高3夏、クラシックよりもっとポップな音楽がやりたいと 声楽の先生に相談したところ、ジャズを薦められ、ジャズに方向転換。大学進学拒否。 高校教師からは“頭がおかしくなった”と 危険人物視される。

1973年東京音楽学院“ジャズ科”に入学し、ティーブ・釜范氏に師事。1976年からはマーサ・三宅にも習う。翌年から、都内ジャズクラブ、ライブハウスで早くもプロとして活動を始める。1977年、プロとして活動を始める。歌えることが嬉しくて毎日毎日歌う。渋谷毅(P) 川端民生(B) 武田和命(Ts) 田村博(P) 津村和彦(G)他、多くのミュージシャンと出会い、彼らの音や姿、言葉(酒)から多くのことを学ぶ。

1993年、音楽上の行き詰まり、どうして歌ってるの? 何故この曲なの? 全てが分からなくなり、音楽活動に終止符を打つ。音楽とは無関係の会社に就職OL生活を楽しむ。2000年ごろから無性に歌いたくなる。勤務しながら月1~2回のペースで活動を開始するも、常に心にあるのはJazzとは何?!2004年 田村博(P)&津村和彦(Gui)のトリオをメインに活動開始。2007年2月 十数年振りに合った扇田正俊をProducerに、田村博(P)、津村和彦(Gt)で新宿『ジャズスポットJ』にてセカンドアルバムを録音。2008年9月、宮崎のライブハウス「LIFETIME」でサードアルバムを収録。

このプロフィールだけみても、錚々たるメンバーと組んで歌っていることがわかる。本格的な実力派といっても過言ではない。恐らく10年間ほどのブランクがその唄声に深みを与えているのだろう。なぜ、歌うのかということで相当悩み苦しんだ様子が窺える。これはなぜ生きているのかと同じくらい意味を持つ問いである。それを乗り越えた果てに自然に口について出てきた歌だけに、歌詞の解釈やメロディやリズムの表情に陰影が濃く表われている。失恋も含め、恋の唄がほとんどだが、それだけに情感豊かで、いろんな人生模様を想像させてくれる。

解説書によると母親の出身が宮崎らしい。現在はほとんど東京で活躍しているらしいが、たまに帰省してライフタイムで歌っているのかもしれない。今では私は朝夕の通勤途上で毎日のように聞いている。

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2009年6月11日 (木)

梅雨空に

Img_3983 例年に比べ、10日以上も遅れて一昨日、梅雨入りした。本日の午前中まで、降ったり止んだりの空模様であったが、午後からは晴れ間も覗き、夕方7時前、職場を出る頃には空一面のうろこ雲が広がっていた。

うろこ雲は秋の季語となっており、秋台風の頃、温暖前線や熱帯低気圧の接近時によくおきるらしいが、気候条件によっては年中見ることもできる。巻積雲ともいう。今日のうろこ雲は梅雨前線の通過とともにおきたのかもしれない。

うろこ雲を見ると空の広さを感じる。青をバックに、白い点々とした巻積雲が、どこまでも目の前に広がり、果てのない空をイメージするのだろう。積乱雲やすじ雲では空の広さは感じさせない。点描画のようなうろこ雲の広がりが、空というものの造影を浮き彫りにする。

そしてそのうろこ雲の美しさがなぜか心を揺さぶる。空の広がりが哀しみのようでもあり、切なさのようでもあり、寂しさのようでもある。上空は風が強いのだろう。引きちぎられ、離れ離れにされていく雲のひとつひとつに、寂寥や孤独を感じるのかもしれない。

うろこ雲の下に灯りの点き始めた街が映る。電柱や電線、信号、看板など、不況下の人の生活が広がっていく。空と雲と電線の陰影が、より一層を生きて在ることの感慨を強めてくるのだろう。丁度、夕暮れ時でもあり、少し感傷的になった。でも、刻は動いている。

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2009年6月 7日 (日)

運動公園駅

Img_3958 木花の運動公園駅は、片面単線だけの小さな無人駅である。簡易な上屋が有るだけで、改札口もない。駅舎の階段を上がると近距離きっぷの券売機が設置されており、もちろん電車が近づいても警報や放送もない。1日の平均乗車人員は58人とある。

先日、その運動公園駅から乗車する機会があった。土曜日の昼下がりであったが、高校生らしい乗客が数人いるだけで、それぞれケータイを操りながら、電車が来るのを待っている。実にのんびりした光景である。ホームに風が吹きわたり、静かである。

そのプラットホームの前面に広がる青田に見とれた。青々とした田の向こうには、加江田渓谷の双石山、花切山、斟鉢山の山並みが坐している。初夏の風がそよぎ、その風に青田が波打っている。風と青田が戯れている。風が吹くたびにところどころの青田が白くひるがえり、山の方角に向かって誰かが通り過ぎているようにも見える。

自然の風景は見ていて飽きない。明るい日差しと空に浮かぶ雲、青田の緑に、山の陰影。ふと気づいたのは広告類がまったくないということである。たまたま田園には人影もなく、農機具の姿もなかったが、それが自然の存在感を高めているのかもしれない。

とはいっても、風景は人の力で出来上がる。この青田にしても、山(樹相)の姿にしても、すべて人の力が加えられて風景が作られている。コツコツと大地を耕し、田植えをしてきて、あるいは植樹や枝打ち、下刈を繰り返してきて、これらの風景は出来上がるのだ。そこに人の気配を感じるから、暖かみも抱くのであろう。無意識のうちに人の姿を想定している。

しかしそれをさせているのは、ひょっとするともっと大いなるものなのかもしれない。蟻や蝶が動き回るように、私たちも無意識のうちにいろいろな行動を取っている。さきほど田の上を通り過ぎていったのは、この実相を動かしている大いなるものだったのかもしれない。

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