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2009年8月22日 (土)

想像力

「おとうさん、この詩、ぜ~んぜん、わかんな~い!」と、使っている教科書を持って、娘がやってきた。石垣りんの「挨拶」という詩である。よく知られた詩らしいが、私も初めてのように読んだ。


挨拶ー原爆の写真によせて


あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二五万の焼けただれのひとつ

すでに此の世にないもの

とはいえ
友よ

向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の後もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を

その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ

地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか

しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる

一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く、私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。

娘がいうには、「これがなぜ挨拶なのか、最初の、あ、ってなに? 友って誰なのか、なぜ、すがすがしい朝の顔になるのか」など、結局、なにがいいたいのかよくわからないというのである。私は教師ではないので、この教材をどのように読み取らせ、考えさせるのかわからないが、最初に思ったのは「想像力」ということであった。副題に「原爆の写真によせて」とつけられているので、そこからすでに詩は始まっている。

恐らく、作者は被爆者の写真を見せられて、原爆のことを思い、亡くなったひとりの人間を思い浮かべたのであろう。「友よ」というよびかけは、身近な友人かもしれないし、世界中の、今、生きている私たちに対する呼びかけかもしれない。「向かい合った互いの顔」は、写真のなかの被爆者の顔にも読み取れるが、あとに「すこやかな今日の顔」や「すがすがしい朝の顔」と出てくるので、今、生きている、あるいは職場や学校で朝、出会った友の顔かもしれない。

「明日の表情をさがす」ということばに、とまどいを感じるが、ここでも想像力が試される。「地球が原爆を数百個所持して」いるという事実は、明日を単純には信じられない恐ろしさを伝える。だから「りつぜんとするのだ」。そのことを思う時、朝の顔も決して、安らかで、美しい状態におられるはずがないと作者は考えるのである。

「しずかに耳を澄ませ」からは、まさに想像の世界である。世界を、現実を、見渡せば、戦争の気配はいくらでも見出すことができる。そして原爆が落とされた八時一五分は毎日やってくるのである。それはまた繰り返されるかもしれない。そのことに作者は思い至っている。亡くなった被爆者も、その日もいつもと同じように朝起きて生活を始めようとしていたはずだ。それは、今、生きている私たちと何ら変わりはない。だからこそ、油断してはならないといっているのである。

「油断するな」ということは、「想像力を鍛えよ」ということと同義である。読者の想像力が試されているのである。詩はまさに想像力の世界である。この詩は特にそのことを考えさせられる。

実は、この詩に関して、随筆集「ユーモアの鎖国」にこんなことが書かれている。
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第二次世界大戦後、食糧も娯楽も乏しかった時期、文芸といった情緒面でも、菜園で芋やかぼちゃをつくるのと同じように自給自足が行われ、仲間うちに配る新聞の紙面を埋める詩は、自分たちで書かなければならなかった。

実際、私も勤め先の職員組合書記局に呼ばれ、明日は原爆投下された8月6日である。朝、皆が出勤してきて一列に並んだ出勤簿に銘々判を捺す、その台の真上にはる壁新聞に原爆投下の写真を出すから、写真に添える詩を今すぐここで書いてもらいたい。と言われ、営業時間中、一時間位で書かされたことがありました。

題名は、友だちに「オハヨウ」と呼びかけるかわりの詩、という意味で「挨拶」としました。あれはアメリカ側から、原爆被災者の写真を発表してもよろしい、と言われた年のことだったと思います。

はじめて目にする写真を手に、すぐに詩を書けという執行部の人も、頼まれた者も、非常な衝撃を受けていて、叩かれてネをあげるような思いで、私は求めに応えた。どういう方法でつくったという手順は何もなく、言えるとすれば、そうした音をあげるものを、ひとつの機会がたたいた、木琴だかドラムだか、とにかく両方がぶつかりあって発生した言葉、であった。それがその時の空気にどのように調和し得たか。

翌朝、縦の幅一米以上、横は壁面いっぱいの白紙に筆で大きく書いてはり出されました。皆と一緒に勤め先の入口をはいった私は、高い所から自作の詩がアイサツしているのにたまげてしまいました。何よりも、詩がこういう発表形式で隣人に読まれる、という驚きでした。
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このエッセーを読むと、この詩が職場の組合掲示板に書かれたものであり、現実に朝、同僚と顔を合わせていたことがわかる。だからこの詩のタイトルも、朝の「挨拶」なのだ。最終連「油断していた」ということばの持つ、悔恨と懺悔、そして未来への警告などいろいろと考えさせられる。

ところで、娘がどのように理解したか、自信はない。

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2009年8月 1日 (土)

真空管アンプ

Caun3120年来、真空管アンプを聴いている。
自作することはないが、手作りの温かさ、形のやわらかさ、点灯するほのぼの感は音の表情にも表れる。主にジャズとクラシックを聴いているが、音楽というより、シングルトーンの、あるいはシンフォニーの、音の実在感に想像力を刺激される。

 ことばと同様、ひとつの音階、音調が、次へと展開するときの、こちらの想像力を越えたものに出合った時の、感動みたいなものがたまらない。その感動や調子は文体にも影響してくる。音楽をよく聴いている時は、文体も躍動感にあふれ、多彩になってくる。いわば、ノリというやつである。最近、Mc275_2 音楽を聴かなくなって、どうも文章を書くのが億劫になったような気がする。

最近、あまりオーディオを相手にする時間がなくなったこともある。
オーディオルームを子ども部屋に明け渡され、リビングに置き換えたことで、ひとりボリュームを上げて聞くわけにはいかない。まして真空管は暖まるまでに時間がかかる。よほど家人が留守で、たっぷり時間がないとオーディオに向かう気はなくなる。それに夏場は窓を開け放しているので、ボリュームを上げると近所迷惑が気になる。それと実は中古品を使っていたので、故障が頻発し、壊れたままになっていたのである。

Cavt88_2 この三日間、夏季休暇を利用して、思い切ってオーディオを買い替えた。なにしろパワーアンプはトランスが重くて30kgはする。簡単には動かせない。暑い中、汗だくになりながら、ラックを動かし、結線を外し、たまった埃の掃除をしと、それこそ、家人が留守でないとできない。贅沢なことだが、すべてを忘れ、ひとつのことに没頭できる時間は貴重である。

プリアンプはカウンターポイント3.1を愛用しているが、パワーアンプは以前ウエスギのBROS-10から、マッキントッシュ275に買い替えた。中古品ではあったが、評判のアンプでもあり、確かに音は濃密で、ラッCavkt88_2 パの音も、弦の響きもリアリティがあった。何より、その臨場感は演奏の現場にいるようで、ひとり悦に入っていたものである。あまりにも心地よいと、つい眠ってしまうが・・・。

ところが、そのトランスがちょっとした誤操作でショートし故障してしまった。交換品を探してもらったが見つからなかった。しかたなく馴染みのオーディオ店に置いてあったCAVのT-88に買い替えた。同じKT-88を使ったインテグレーテッドアンプである。現在、真空管の製作は中国が本場で、これも中国で作られたらしい。なんでも、ある飛行機のパイロットの趣味が高じて、このPios969_2 アンプを製作したという。まだエージングが効いていないので、なんとも言えないが、値段の割には作りは重厚で、3極管と5極管の切り替えができ、多彩な音色が出せそうである。

また、CDプレーヤ(マランツCD-15)のピックアップも故障して、使えなくなっていた。これも交換部品がないということで、店に置いてあった中古品のDVDプレーヤーを購入した。パイオニアのS969AVIである。マランツも重厚で、変な話だが、何よりリモコンの形状が気に入っていた。形や感触が少しエロチックで、こんなリモコンは見たことがなかった。他の家電製品もリモコンの形状にもっと遊び心を持たせるべきである。本体の作りも頑丈でシンプルなデザインも気にいっていた。見た目も綺麗で棄てるのはほんとに勿体ない気がしたが仕方がなかった。

MC275やCD-15のように、評判の名器は永年使えるように交換部品の在庫を十分に確保してもらいたいものである。一部品がないために、全体を廃棄するのは実に勿体ない話である。さて新調したオーディオラインの肝心な音だが、はっきりいってまだわからない。できるだけ電源を入れてエージングに時間をかけようと思っている。音楽を浴びることで、海馬がリフレッシュすることを期待している。

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