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2009年10月25日 (日)

前田ちよ子の詩

秋になると特に、多くの詩集や詩誌が贈られてくる。こちらも贈っているのでお互い様だが、すべてに眼を通すというところまではいかない。できるだけ返事を書こうと思うが、詩集のお礼だけで精一杯である。ただ、それらとは別に仲間内で評判になる詩集や作品がある。次の作品はそのうち、私の印象に残ったひとつである。


   伝 承

 神は一匹のやせた黒い犬におなりになり、夜も近い夕
暮の街をお通りになられたことがありました。夏でした
のでそろそろ涼風も立っているのですが、その日はたい
そう暑かったので、人々にはいささかうんざりと疲れた
一日でしたでしょう。街の真中を耳も顔も伏せられて歩
まれ、もうすぐはずれまでいらして、神はふと犬の眼の
高さで振り返られました。

 その時人々は何をしていたのでしょうか。ひとり者が
魚の頭を落し、母親がぐちり、女がパセリをちぎり、兄
がわめき、弟が泣き、父親が酒でくずれ、病人がうなり、
妻が家を出、誰かの溜息がもれ、老人が薬を飲み、姉妹
がかなきり声で歌い、赤ん坊がひきつけ、夫が食卓をひ
っくり返す所でしたのかもしれません。
神はそっと眼をおはずしになると街から出て行かれまし
た。

 人々は知ってをりました。神が時々犬になり、虫にな
り、鳥になって人々を垣間見てをられることを。それも
自分の見られたくない時にどうしていつも見られてしま
うのか。その度に、愛しなぐさめてほしい方から更に遠
のいてしまった人々の、自らへの怒りはふるえるほどさ
みしいものでしたでしょう。

 と、街のどこからか一つの石つぶてが低いうなり声を
たてながら歩む犬に向って行ったのです。その真直に飛
んで来るつぶてを、神がどのようにしてお受け取めにな
ったと━━あなたはお聞きしていますか。

          前田ちよ子詩集『昆虫家族』より


前田ちよ子は2008年7月に亡くなっている。東京生まれであるが、後に富山に転居している。享年59歳であった。生前、「ペッパーランド」という詩誌に参加し、『青』『星とスプーン』『昆虫家族』の詩集を上梓している。

この詩人の特徴を示す作品はもっと別にあるが、問いの深さ、歎きの強さ、何より純粋さが感じられるひとつとして印象に残ったものである。

神が一匹の黒い犬としてこの世に現れる。そして人間の生活を犬の視点から眺めている。見られていることを人間も知っているが、それがいつもどうしようもない辛さや寂しさ、怒りなどにふるえている時であるという。やさしく愛され、慰めて欲しいと願っている時に、神はただ見るだけで、黙って通り過ごそうとする。その神(黒い犬)に対して石つぶてが飛ぶ。そのとき、神は何を思ったのか、という問いを読者に投げかけている。

新鮮なのは神に対する疑問という逆転の発想である。この世からなぜ悲しい出来事がなくならないのかという根源的な問いを、神に対する懐疑という形で表現している。その問いを神の立場に立って考えようとしている。全能であるはずの神がなぜ黙って何もしないのか。神は何を考えているのか、という問いを自らの課題としてとらえようとしている。

タイトルの「伝承」(言い伝えや語り伝え)という詩句も意味が深い。伝承を問いの言い伝えとして捉えている。しかもそれは不条理としての謎、あるいは人間の生きざまのより深遠な問いとしてである。「ひとり者が魚の頭を落し、母親がぐちり、女がパセリをちぎり、兄がわめき、弟が泣き……」そういう繰り返される日常生活の背景に神を据え、無垢な魂をぶつけている。なぜそうなるのか、悩み、苦しみ、歎いた苦い体験があったのかもしれない。

印象深いのは、この強い意志的な疑問である。対象が神であろうが、自ら思考し、判断しようとする明確な自意識である。ここでは、神は祈りの対象ではない。あるいは愛され、慰められる他力本願的な対象でもない。人間の苦悩や詠嘆を純粋なこころで取り出し、そして自ら考えようとしている。

他の作品では家族が昆虫として登場したり、死後の世界から現世に電話するシーンがあったり、壮大な宇宙のなかのひとり(星)として人間が捉えられたり、その想像(創造)世界は、異様でもあるがダイナミックでもある。前田ちよ子はまったく別な視点から人間生活を捉え直し、そこに新たな人間愛を表現しようとした。このような感覚は私にはとても新鮮に映った。

ところで、作品で投げかけられた質問であるが、もちろん、人によって、日によって回答は変わるだろう。問いの持続性(問いの伝承)が何より大事なのである。

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