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2009年11月 2日 (月)

クラシックを聴く

秋の夜、クラシックを聴きに行った。リッカルド・シャイー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の宮崎公演である。曲目はメンデルスゾーン交響曲第5番ニ長調「宗教改革」とブルックナー交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」であった。

かつてオーディオに凝っている知人のお宅でシンフォニーやオペラを聞かされて以来、クラシックの魅力にとりこまれていった。いわゆるクラシック名盤100選なるもののなかから、廉価版を買い求め、我が家でのオーディオ・チェックや気分転換に聞いてきた。ジャズもそうであるが、作曲家や演奏家の人間性にふれると音楽を聞くことが楽しくなる。

やはり生で聞くとその臨場感は圧倒的である。演奏の良し悪しまではわからないが、身体が振動して、共鳴して、魂が揺り動かされるような感覚を味わう。また、調べからイメージされる映像やことばを探るのも楽しい。タイトルに使われている「宗教改革」や「ロマンティック」ということばも想起しながら曲に聞き入った。

メンデルスゾーンとブルックナーは、正反対の性格である。

メンデルスゾーンはユダヤ系の富裕な銀行家の息子として生を受けている。金に不自由することなく幼い頃から音楽的才能を磨きあげ、世界を自由に旅して見聞を広め、指揮者としても華々しい活躍をしている。曲も軽快で、繊細で、華美で、幸福な気分にさせてくれる。ある面で非常に聴きやすいし、リズムやメロディからイメージされる映像も明るく楽しい。この「宗教改革」はメンデルスゾーンのなかでは硬質で思索的だといわれるが、私には宗教的な荘厳さよりも自然界のさまざまな風景、情景を想起させられた。

一方、ブルックナーはオーストリアの田舎教師の家庭に11人兄弟の長男として生まれたが、父親は彼が幼少の頃に亡くなっている。篤いカトリック信仰に支えられながら、修道院のパイプオルガン奏者としての地位を築きあげ、さらにそれに満足せず、作曲家への道を実直にコツコツと磨いていった。当時のウィーン音楽界はワーグナー派とブラームス派に分かれていたが、世事に疎いブルックナーは自らワーグナー派を公言したため、評論家連中に徹頭徹尾いじめぬかれたという。世に認められるのは60歳を過ぎてからだった。

確かに彼の音楽は重厚長大で、変幻自在であり、荘厳と美しい旋律が繰り返される。私のなかでは、破壊と創造、災厄と幸福、大地と人間、萌芽と落葉など相反することばが浮かんできた。ランボーや中也なども想起された。恐らく彼の体験や愚直な性格があらわれているのだろうが、整理できない混沌さが逆に魅力的であった。彼にとって「ロマティック」とは、懺悔と悔恨、激情や小心、やるせなさや単純な喜びなど、日々の情感すべてが愛につながるものであったのかもしれない。

「一行とて書かざる日はなし」としたベートーベンのように、ブルックナーも力尽きるまで筆を折ることはなかった。田舎訛りがとれず、何度も女性に求婚したらしいが、生涯独身であったという。そんな彼の境遇を知るとなおのこと、何度でもブルックナーを聴きたくなる。ドイツロマン的とはいうが、そんな枠にとらわれない、粗野ではあるが無垢な魂がそこに踊っているように聴こえた。

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