言葉と協働
私は柳田國男の自然主義文学(私小説)批判を、その身辺雑記的な暴露主義と狭隘な個人主義にあるととらえてきた。
自然(現実)をありのままに見つめ、真実を極めるという西欧風の自然主義文学を、日本の文学者たちは差別制度(島崎藤村の「破戒」)や家族制度(田山花袋の「蒲団)といった社会問題のなかにとらえ、束縛(制度)と自由(個人)という観点から作品化していったといわれる。
そこにおいて、古来、連綿として続いてきた人々の暮らしや信仰の背景となるエトスの問題にゆき届いていないと柳田は考えたのだと理解してきた。ただ、柳田が日本の自然主義文学に違和感を感じた本当の理由は何だったのか、よくわからないでいた。内部から人を突き動かすもの、それがこの国の形をつくり、人々の暮らしを支えてきたはずである。それは一体何なのか。
そもそも「私」とは何かという問いかけなしに、私小説批判は始まらない。その「私」の起点になるのが「所有」という概念だと大澤信亮(『神的批評』)はいう。
その上で「自らを記述対象として所有する私小説の発達は、自らの労働力商品を自己所有するという新しい労働者=プロレタリアートの発生を前提している」とし、「労働と貧困に依拠した柳田の私小説批判は私小説的労働の批判として読み直せる」と述べている。
その批判は「孤立した私的な労働が、より開かれた協働の相から実践的に批判」されているのだという。柳田は日向国椎葉で古くから伝わってきた狩の作法を聞いた。そこに現実に行われている「協働」のある理想形を見出している。そこから近代的な協同組合法への展開を夢見ている。
生きるために必要な生産(労働)という行為のなかには、殺戮も含め、目に見えない不思議な力が働いている。椎葉で柳田が直感したものは、労働と言葉と儀式が混然一体としてとらえられているということであった。言葉と協働の同時性こそが、柳田にとって重要だったのだと大澤はいう。
そしてその源に「うた」(労働歌、盆踊歌、子守唄、民謡など)を見出している。それは自然界のあらゆる音(動物の咆哮も含め)を巻き込みながら、共通のコードで結ばれていた。言葉よりもっと以前に、まず「はじめに歌ありき」だったのではないかというのだ。ここでも読む、詠む、呼ぶが連想されてくる。そして利潤の収奪と偏在から生じる貧困を、言葉と協働の面から解決しようとしていたととらえている。
単なる嫌悪からではない。柳田の文学、農政学、民俗学につながる言葉(新国学)の観点から、彼の自然主義文学批判も出ていたということになる。一人称の世界ではなく、二人称、三人称へと広がる世界が夢みられている。そこに何か「もうひとつの可能性」が浮上してくるように思えるのだが…。
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