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2011年1月17日 (月)

言葉と協働

私は柳田國男の自然主義文学(私小説)批判を、その身辺雑記的な暴露主義と狭隘な個人主義にあるととらえてきた。

自然(現実)をありのままに見つめ、真実を極めるという西欧風の自然主義文学を、日本の文学者たちは差別制度(島崎藤村の「破戒」)や家族制度(田山花袋の「蒲団)といった社会問題のなかにとらえ、束縛(制度)と自由(個人)という観点から作品化していったといわれる。

そこにおいて、古来、連綿として続いてきた人々の暮らしや信仰の背景となるエトスの問題にゆき届いていないと柳田は考えたのだと理解してきた。ただ、柳田が日本の自然主義文学に違和感を感じた本当の理由は何だったのか、よくわからないでいた。内部から人を突き動かすもの、それがこの国の形をつくり、人々の暮らしを支えてきたはずである。それは一体何なのか。

そもそも「私」とは何かという問いかけなしに、私小説批判は始まらない。その「私」の起点になるのが「所有」という概念だと大澤信亮(『神的批評』)はいう。

その上で「自らを記述対象として所有する私小説の発達は、自らの労働力商品を自己所有するという新しい労働者=プロレタリアートの発生を前提している」とし、「労働と貧困に依拠した柳田の私小説批判は私小説的労働の批判として読み直せる」と述べている。

その批判は「孤立した私的な労働が、より開かれた協働の相から実践的に批判」されているのだという。柳田は日向国椎葉で古くから伝わってきた狩の作法を聞いた。そこに現実に行われている「協働」のある理想形を見出している。そこから近代的な協同組合法への展開を夢見ている。

生きるために必要な生産(労働)という行為のなかには、殺戮も含め、目に見えない不思議な力が働いている。椎葉で柳田が直感したものは、労働と言葉と儀式が混然一体としてとらえられているということであった。言葉と協働の同時性こそが、柳田にとって重要だったのだと大澤はいう。

そしてその源に「うた」(労働歌、盆踊歌、子守唄、民謡など)を見出している。それは自然界のあらゆる音(動物の咆哮も含め)を巻き込みながら、共通のコードで結ばれていた。言葉よりもっと以前に、まず「はじめに歌ありき」だったのではないかというのだ。ここでも読む、詠む、呼ぶが連想されてくる。そして利潤の収奪と偏在から生じる貧困を、言葉と協働の面から解決しようとしていたととらえている。

単なる嫌悪からではない。柳田の文学、農政学、民俗学につながる言葉(新国学)の観点から、彼の自然主義文学批判も出ていたということになる。一人称の世界ではなく、二人称、三人称へと広がる世界が夢みられている。そこに何か「もうひとつの可能性」が浮上してくるように思えるのだが…。

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2011年1月 5日 (水)

長嶺宏さんのこと

私は長嶺宏さんに会ったことはない。ただ、名前はよく聞いていた。「竜舌蘭」の同人であったこと、評論を書かれていたこと、近代文学が専門であったことなどである。だから宮崎大宮高校の校歌の作詞者が長嶺宏さんであることを知って驚いた。私には宮大の教授というイメージがあったからである。

年譜を見ると、1908年(明治41年)生目村小松で生まれ、旧制宮崎中学校、第七高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学、卒業されている。その後、岡山、京都、愛知の中学校に勤務され、地元、宮崎大宮高校の初代教頭として赴任されたのは1948年(昭和23年)である。在任期間は2年間と短いが、いわば終戦直後の混乱期であった。40歳を過ぎた頃である。

その混乱期を背景に校歌ができている。宮崎大宮高校勤務後、宮崎大学に行かれ、1960年には学芸学部の教授となられている。その後、校歌もたくさん作られている。評論を多く書かれているが、この人の特徴は、自らの体験や心情にそって物語や事象をとらえ、綿密に作品構成を論じられるところにある。だから作品の登場人物や情景が身近に感じられ、その批評が説得力をもってくる。

そんな長嶺さんにこんなエピソードがある。詩人の森千枝さんに聞いた話であるが、晩年、長嶺宏さんを講師に源氏物語の勉強会をされていた。高齢のご婦人方ばかりが集まり、楽しみながら古典を読み解かれていたという。

ある時、空蝉の段になり、その顛末が話題に上がった。光源氏は一夜を共に過ごした空蝉が忘れられず、再会を窺っていた。ある夜、空蝉が継娘と二人で寝ることを知り、部屋に忍び込んだ。しかし、その気配を察した空蝉は着物だけを脱ぎ棄て、逃れ出た後であった。源氏が暗闇のなかで人違いに気づいた時はすでに遅かった。

その場面で長嶺宏さんはつぶやくようにいわれたという。「光源氏はそん時、どげんしたんじゃろ?」森千枝さんがすかさず応える。「先生、そんなこたあ、いわんでもわかっちょるがな。光源氏はそのまま継娘を抱いたにきまっちょるが。そんために忍び入ったんじゃかい。途中で止められるはずがなか」それを聞いて、長嶺さんは顔を真っ赤にされたという。

私には古典を詳細に解読する力はないが、高齢のご婦人方に囲まれてこの勉強会はさぞかし楽しかっただろうと想像する。思うに長嶺宏さんも空蝉に惚れていた。著書『「源氏物語」断想』では、空蝉と映画「旅情」のキャサリン・ヘップバーンとを重ね合わせている。古典とハリウッドの世界を自在に結びつける。長嶺さんの本領発揮というところだろう。そして光源氏との逢瀬と愛の断念について論じている。何とも刺激的である。

私もその『源氏物語』の勉強会に参加してみたかった。晩年、長嶺さんは県外に転居され、91歳で逝去されている。

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2011年1月 4日 (火)

新春鼎談

正月休日に「お茶でも飲まないか」と声をかけられ、自宅近くのぎゃらりー「鬼楽」に伺った。彫刻家の鬼塚良昭氏、詩人の本多寿氏とでの「新春鼎談」であった。

居間は薪ストーブで暖かく、窓からは庭の木々にやってくる野鳥がよく見える。聞けばいろんな野鳥がやってくるのだという。話をしている間だけでも、メジロ、ジョウビタキ、ヒヨドリ、スズメなどがやってきた。

話は地元の話題から始まって、増えている独居老人、介護での羞恥心の尊重、医師不足による地域医療の問題、地産地消による弁当作り、ミカンの手入れや柿の不作、年末の寒波と南国での積雪など、とりとめのない話が続いた。でも充実したひとときであった。

おふた方との話でよく出るのは、自然との対話と人との繋がりの大事さである。鬼塚氏は木や石を素材に立体作品を作られる。本多氏も自宅周辺の果樹園を題材にした詩作品が多い。自然から学ぶことの大切さを繰り返し述べられる。

そこで思ったのは、ことばには自然のことばと人工的なことばとふたつあるのではないかということである。それは常に自然を意識しながら出ることばとそうでないことばとの違いである。自然に託して話される内容は伝わりやすいが、人工的なことばは観念的になりやすい。

調整されていない補聴器を初めて付けたおばあさんが「山が割るごたっ!」(山が割れるようだ)と比喩したことばの的確さや表現力の豊かさも話題にあがった。方言には自然を対象とした表現が数かぎりなくある。

最近届いた詩誌「Junction77」で柴田三吉さんが書いていた。「語彙の豊かさとは、たんに言葉を多く知っているということではなく、表現として示された内容をどれだけ蓄えているか、ということでもある」

自然から学んだことばには、その内実が豊かに含まれているように感じた。もっと自然と対話しなくてはならない。

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2011年1月 3日 (月)

ことばを信じる

昨年のウィキリークスによる機密文書の暴露問題は、改めて国際外交にもタテマエとホンネがあることを明らかにした。この暴露問題は政治、経済、社会も含めて、各種報道で表明されることばをそのまま信じることの危険性を浮き彫りにする。

一方で、後を絶たない児童生徒のいじめによる自殺では友人や学校側も含めてことばの問題が大きく取り上げられる。学校という閉鎖空間と、そこでの同調圧力があるとはいえ、ことばへの信頼を裏切られた悲劇ということもできる。

合唱コンクールの課題曲にもなったアンジェラ・アキの「手紙、拝啓十五の君へ」の歌詞にもことばを信じられない苦悩が歌われる。「今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は/誰の言葉を信じ歩けばいいの?/ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて/苦しい中で今を生きている/今を生きている」

人はことばを獲得した時、大事なものを失ったといわれる。この世に生まれ落ちた時、欲求や感情はすでに芽生えている。無垢で、純粋で、自然な気持ちを抱いているだろう。ところがことばを覚え始めると、その気持ちに嘘や誇張が混じり始める。ことばがそれを可能にするからだ。人はことばを覚えた時、聖なるものを失ってしまったのだろうか。

うまくことばに表現できない感情や思いがこころのなかには渦巻いている。だから、この世は何かに例えて語るしかないのである。ことばで語られる比喩はあくまで虚構である。この世はその虚構(ことば)に満ち溢れている。物語も、宗教も、科学も、ことばで語られる限り、虚構の代物と言えるかもしれない。嘘を死ぬまで押し通せば、それは真実になるということもできる。

嘘でもいいから、生きる美しさや勇気(哀しさも含めて)を表現できないかと考える。そこに文学もある。ことばに傷ついて人を憎むこともあるが、人のことばに救われることもある。たとえ、そのことばが誇張されたものだとしても、不快なものを不快だと伝えたり、悲しいことを悲しいと伝えたり、感謝の気持ちをありがとうと伝えるのも、ことばに勝る手段はない。人の温もりを感じるのも、優しさを感じるのも、ことばを信じるところから始まっている。

ことばとは実に不思議な働きをする。そのことばをどのように遣うか、それが人間の人間たる所以であろう。ことばへの向き合い方は、そのまま人にとっての生き方に関わってくる。それを前提に「ことばを信じ過ぎるな」ということもできるし、「ことばを信じなくて何を信じるの」ということもできる。

ことばを信じることは、そのまま人を信じることにつながる。人を信じることのできなくなる世界ほど暗いものはない。信じることのできることばは、どこかで肯定的な世界観に支えられているような気がする。それはまた心のあり方も示している。信じることのできることばほど美しいものはない。自戒もこめて、日頃のことばに注意を払っていきたい。

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