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2011年1月 5日 (水)

長嶺宏さんのこと

私は長嶺宏さんに会ったことはない。ただ、名前はよく聞いていた。「竜舌蘭」の同人であったこと、評論を書かれていたこと、近代文学が専門であったことなどである。だから宮崎大宮高校の校歌の作詞者が長嶺宏さんであることを知って驚いた。私には宮大の教授というイメージがあったからである。

年譜を見ると、1908年(明治41年)生目村小松で生まれ、旧制宮崎中学校、第七高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学、卒業されている。その後、岡山、京都、愛知の中学校に勤務され、地元、宮崎大宮高校の初代教頭として赴任されたのは1948年(昭和23年)である。在任期間は2年間と短いが、いわば終戦直後の混乱期であった。40歳を過ぎた頃である。

その混乱期を背景に校歌ができている。宮崎大宮高校勤務後、宮崎大学に行かれ、1960年には学芸学部の教授となられている。その後、校歌もたくさん作られている。評論を多く書かれているが、この人の特徴は、自らの体験や心情にそって物語や事象をとらえ、綿密に作品構成を論じられるところにある。だから作品の登場人物や情景が身近に感じられ、その批評が説得力をもってくる。

そんな長嶺さんにこんなエピソードがある。詩人の森千枝さんに聞いた話であるが、晩年、長嶺宏さんを講師に源氏物語の勉強会をされていた。高齢のご婦人方ばかりが集まり、楽しみながら古典を読み解かれていたという。

ある時、空蝉の段になり、その顛末が話題に上がった。光源氏は一夜を共に過ごした空蝉が忘れられず、再会を窺っていた。ある夜、空蝉が継娘と二人で寝ることを知り、部屋に忍び込んだ。しかし、その気配を察した空蝉は着物だけを脱ぎ棄て、逃れ出た後であった。源氏が暗闇のなかで人違いに気づいた時はすでに遅かった。

その場面で長嶺宏さんはつぶやくようにいわれたという。「光源氏はそん時、どげんしたんじゃろ?」森千枝さんがすかさず応える。「先生、そんなこたあ、いわんでもわかっちょるがな。光源氏はそのまま継娘を抱いたにきまっちょるが。そんために忍び入ったんじゃかい。途中で止められるはずがなか」それを聞いて、長嶺さんは顔を真っ赤にされたという。

私には古典を詳細に解読する力はないが、高齢のご婦人方に囲まれてこの勉強会はさぞかし楽しかっただろうと想像する。思うに長嶺宏さんも空蝉に惚れていた。著書『「源氏物語」断想』では、空蝉と映画「旅情」のキャサリン・ヘップバーンとを重ね合わせている。古典とハリウッドの世界を自在に結びつける。長嶺さんの本領発揮というところだろう。そして光源氏との逢瀬と愛の断念について論じている。何とも刺激的である。

私もその『源氏物語』の勉強会に参加してみたかった。晩年、長嶺さんは県外に転居され、91歳で逝去されている。

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