開かれた世界
本多寿さんから「郁朝展、やっているから行かないか」との誘いで、木城えほんの郷に「黒木郁朝の世界展」を観に行った。そろそろ紅葉もしているだろうと、えほんの郷の風景や、もちろん作品展も、行中の会話も楽しみであった。
例年、暖冬のせいか、あるいは霜降が少ないせいか、最近では紅葉しないまま落葉する樹木が多い。夏からそのまま冬になるような、そんな感じである。案の定、今年もそんな光景であった。
郁朝氏の版画作品はいつ見ても楽しい。こころ落ち着く感じがする。今回も野の花を題材にしたものが多かったが、見ていて飽きさせない。よく観ると、自然や人物、宇宙、生活用具など、実に繊細に描かれている。生命や人の優しさ、生きる楽しさなどが小さな画面に展開されている。
若い頃に比べて、さらに自己主張の強さが影を潜め、色彩に深みと奥行きが出てきた印象である。本人は「点から線に意識が動いている」というようなことを語っていた。
4年前も書いているが、白を基調とした作品に秀逸なものを感じた。重ね塗りの効用なのか、年輪を重ねてきて、淡い色彩のなかに様々な陰影が隠されている。観る者の想像力にゆだねる、枠にはめ込まない自由さが感じられた。
日常、見慣れた自然のなかに、ふと、新たな世界や奥深さを感じることがあるという。ありふれた光景のなかに、ふと、浮上してくる光景もある。それが何なのかはわからないが、切り取られた世界のなかに、静かに立ち上がってくる躍動感みたいなものが感じられる。
私たちは、目立つ色彩や語彙で表現される作品に目を奪われがちだが、本物は、意外に目立たない日常のなかに隠れているのではないか。「目立つ作品には閉じられた世界が多い」ということも話題にあがった。「開かれている世界」とはどういう世界なのだろう。
同様のことは、リアリティを感じる作品と作品のリアルさとは異なるということにもつながっていく。絵画や詩の話から、俳句や漢詩、飲み方の話まで広がって、あっという間に時間が過ぎてしまった。
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