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2017年6月28日 (水)

MUKASA-HUB

旧穆佐小学校がMUKASA-HUBに様変わりした。

5月下旬にオープニングが行われ、クラウドファンディングの寄付者にも招待状が届き、出かけてみた。コンセプトや施設の詳細はサイトの通りだが、ホントに素晴らしく生まれ変わった。

有限会社一平の村岡浩司社長の発案と資金調達で作られたものだが、穆佐からベンチャー企業を立ち上げるという夢とビジョン に共感した若者や青年たちが集まっていた。

今後、多国籍多言語が飛び交う場所にしたいという。すでに世界で活躍している宮崎に縁のある実業家たちが熱い思いを述べていた。

ただ、地元の人の姿をあまり見かけなかったのは残念である。折角、旧穆佐小学校の跡地利用であれば、もっと卒業生 なども関われる事業展開もあればと思ったが、これからなのかもしれない。

近くには、中世山城で有名な穆佐城や高木兼寛生家跡の穆園広場、サンスポーツランド、やすらぎの郷、蛍の飛び交う瓜田川、キュウリなどのハウス園芸農家も多く、これらの資産をリンクさせた事業も可能である。

これに民家風の宿泊施設でもできれば、ホントにこの穆佐地区は世界から人々の集う魅力ある場所になるかもしれない。

地元の人もたくさん関われるMUKASA-HUBに、ぜひ、してもらいたいものである。

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2017年6月26日 (月)

消えゆく学会

6月25日(日)に平成29年度の宮崎民俗学会総会があった。

大学時代に民俗研究サークルに所属していたこともあって、民間伝承への興味関心はずっと持ち続けてきた。県内を巡回する秋の宿泊研修会など、地元ならではの講演や接待があり、できるだけ日程を調整して参加したきた。

0001 ただ、私は専門家ではない。さまざまな興味関心はあっても学術的に研究する知識も時間も環境も持ち合わせていない。ただ、毎年発行される機関誌「みやざき民俗」だけは楽しみにしている。県内の最新の調査記録が掲載されているからである。

その宮崎民俗研究会も存続の危機にあるという。少子高齢化による会員の減少、価値観の変化による民俗事象への関心の乏しさ、印刷費の高騰などで、実質、活動それ自体が抑制されつつある。

これは他の歴史研究などを行う団体も同じだという。すでに休会にする団体も出てきた。補助金や助成金申請、機関誌への広告依頼など、打つべき手は打っているというがなかなか改善策は見出せないでいる。

加えて、民俗学が調査対象とする地域の祭りなども存続の危機にある。後継者不足、資金難、指導者の高齢化など、地区の行事なども消えつつある。

これは地域おこしも同様である。総会ではさまざまな意見が出された。ただ、決定打はなかなか見つからない。

柳田國男は経世済民としての民俗学を提唱していた。宮本常一も全国をくまなく歩きながら、地場産業の振興に協力している。今和次郎も考現学を通して、街場の風景から新たな価値を見出そうとしてきた。

単なるディレッタントに終始している限り、消え去るのは当然だろう。

今、現実的に何が問題になっているのか。民俗学の知見を活かせる分野は限りなく広いと考えている。スローフード(伝統食)から、災害文化(昔話や地名)、子育て(産育)、障がい者への関わり(異神)、ビッグデータ(考現学)まで、視点や関心の持ち方で、いくらでも提言できる豊富な内容を持っている。

それらをテーマに、広く県民に呼び掛けシンポジウムを開けばよい。助成金申請や協賛金依頼を行えばよい。そのような発言もしたが、要は現実的な問題に対する民俗学の関わり方次第であろう。

Hasu 総会の行われたみやざき歴史文化館の池は蓮の花が満開であった。

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2017年6月25日 (日)

記憶と記録

0001 宮崎公立大学公開講座を聞きに行った。

宮崎における「災害文化」の醸成ー外所地震と口蹄疫を事例にーと題して、黒田勇関西大学教授の話であった。

民間伝承などの地域文化に関心を持ってきたことと、以前、宮崎公立大学と連携して「高校生による聞き書き地域防災」という事業をやったこともあって興味を抱いた。


スロー放送
この言葉を私は初めて知った。

氏は「産地を特定した原料で地元のものは地元で調理し、料理して楽しむ、ただ食べるだけではなく、人間の健康、環境、そして地域の文化を総合したものとして食文化を捉えなおしていこうというスローフード運動」にヒントを得て、それをメディ(放送)に当てはめたという。

「放送が培ってきた文化がメディア・ビジネスのグローバル化によって、さらに加速するデジタル放送ビジネスによってまったく変えられてしまうことに対する抵抗」でもあり、「ローカルのアイデンティティや文化風土に根ざした放送、産地のはっきりした放送、つまり、送り手と受け手の顔が見える地域に根差す『地産地消』のような放送」をイメージしているという。

宮崎県の県内就職率は全国最下位である。この話を聞きながら、その要因として、氏の言われる「私とあなた、そして、私たちの空間が、「われわれ=東京」のものとして形成され、今やそれはごく自然な視聴者全体を巻き込む視線であり、空間を構築するに至った」ことと無縁ではないと思われた。

新聞記事に記者署名が増えてきている。これからはラジオ、テレビでも、誰が取材し、報道しているかを意識する時代が来ていると思った。

「地域社会における民間放送局の歴史と課題」黒田勇(参照)


外部記憶装置
これも新しい視点だった。

事件、事故の「風化」が言われる。私たちはどのように体験(記憶)を記録し、繰り返し呼び戻す機会をもつのかという課題である。

氏はスロー放送の視点から口蹄疫と外所地震を取り上げる。当日は地元メディもいくつか参加していた。関西では阪神淡路大震災を機に作られた「ネットワーク117」という番組を今も放送しているという。

死んだ人より、生き残って苦しんでいる人々の方が圧倒的に多いという事に思いを馳せ、悲しみを共有し、和らげることを切り口に続けられているという。

繰り返し報道することで、記憶を呼び戻し、防災に活かしているのである。被災をテーマにしたドキュメンタリー映画を繰り返し放映することもそのひとつである。メディアの役割である。

神戸ルミナリエで歌われる「しあわせ運べるように」という歌は、歌い続けられることで体験が語り継がれている。歌による記憶である。

私はここで隠れキリシタンで歌い続けられてきたオラショのことを思った。それはすでに数百年にも及ぶ。外所地震(1662年10月31日)の供養碑は50年おきに石碑を建てる。全国的に珍しく現在は7基目である。これも石による記憶である。

以前、取り組んだ「高校生による聞き書き地域防災」は聞き書きの記録化であったが、民間伝承(カッパ淵など)や地名(クエなど)なども記憶装置のひとつであろう。


地域アイデンティティー
この言葉も新鮮であった。

地域おこしとか、地域の特産品とかはよく言われる。しかし、これらは「地域アイデンティティー」としてとらえることができる。

災害文化も負の遺産として、地域アイデンティティーになり得る。口蹄疫で全県下に敷かれた消毒マットは、宮崎県の清潔さの指標でもあり、それだけ食の安心、安全に気を配っていることの意志表示になっているという。

しかも、これを資産として活かし、地域振興としてのビジネスにもつなげられるという。負の遺産を正の資産として活かす方法を「地域アイデンティティー」という視点は持っている。

今や日本の津波を防ぐメカニズムは世界の目標になっている。そのノウハウに世界は注目するのである。

「地域アイデンティティー」をどのように意識していくのか。顔の見える関係のなかで、メディアも、コミュニティも、食も、そこで生活することが楽しく思えるような「まなざし」を探っていかなければならないと思った。

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2017年6月22日 (木)

ハンナ・アーレント

かつて詩誌「視力」5号(2014.4.4)のエッセー補助線にハンナ・アーレントのことを書いたことがある。今、改めて彼女のことが思い返される。

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少しちじれ毛の髪、対象を見つめる黒い瞳、スジの通った鼻、薄めの唇、首を傾げ顔に手をやる癖のあるポーズ、若い頃のハンナ・アーレントは思慮的であり、とても魅力的だ。ドイツ系ユダヤ人で、ヘビースモーカーだったという。

「嫌いな人の真実よりも、好きな人のうそがいい」といって、最後までハイデガーの言葉を信じ続けようとしていた。彼の主著『存在と時間』(1927年)は、ハーレントと恋愛関係にあるときに著されている。1931年頃、ハイデガーはナチに入党しヒットラーを讃える演説をしている。それにもかかわらず、ハーレントはかつての愛人であったハイデガーの純真さや弱さを理解しようと努めている。

だからこそであったか。ナチス弾劾裁判(1961年)で、親衛隊長であったアイヒマンの非人間性を批難するのではなく、なぜ悲劇が起こされたのかについて関心が向かう。
裁判でアイヒマンは応える。「私は命令に従っただけです。殺害するかは命令次第でした」

これを聞いてアーレントは考える。「アイヒマンは反ユダヤではない。ただの役人に過ぎなかった。彼が二十世紀最悪の犯罪者になったのは思考不能だったからだ。本当の悪は平凡な人間が行う」として、これをアーレントは『悪の凡庸さ』と名付けた。

アドルフ・アイヒマンは高校中退後、1932年ナチス親衛隊入隊。1935年ユダヤ人担当課に配属され、ユダヤ人追放の執行者として頭角を現す。終戦までユダヤ人列車移送の最高責任者を務めた。

「上からの命令に忠実に従うアイヒマンのような小役人が、思考を放棄し、官僚組織の歯車になってしまうことで、ホロコーストのような巨悪に加担してしまう。悪は狂信者や変質者によって生まれるものではなく、ごく普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人によって引き起こされてしまう」(映画「ハンナ・アーレント」解説より)

今、次なるアイヒマンが続々と生まれてきているように思えるのは錯覚だろうか。

Hannah_2 『人間の条件』(1958年)で、ハンナ・アーレントはその思考放棄、思考欠如を危惧していた。その大きな要因に人工衛星と原子爆発の発明を上げている。それは汚れた地球からの逃避であり、その地球の爆破と映ったからである。

「地球の提供する条件とは根本的に異なった人口の条件のもとで生きなければならなくなったとき、労働も仕事も活動も、そして実際私たちが理解しているような思考さえ、もはや意味をもたなくなるだろう」という。

この地球に生きていることを思考の原点に置いていた。近代科学の知識と思考には懐疑的でならざるを得なかった。アーレントには、地球上に住むことの意味が希薄になり、「人びとの間にあることを止める」とき、知識と思考が永遠に分離されるように見えたのである。

彼女のことばに「与えられたままの人間存在というのは、どこからかタダで貰った贈り物」というのがある。今、その贈り物を他のものと交換しようとしているというのである。

「私たちの思考の肉体的・物質的条件となっている脳は、私たちのしていることを理解できず、したがって、今後は私たちが考えたり話したりすることを代行してくれる人工的機械が実際に必要となるだろう。・・・それがどれほど恐るべきものであるにしても、技術的に可能なあらゆるからくりに左右される思考なき被造物となるであろう」と書いている。

彼女の予言は当たったように思える。最先端技術を駆使するロボット工学、あるいは原子力発電、遺伝子操作などは、少なくとも私の理解の範疇をはるかに超えている。「思考なき被造物」、それが、今、人間の代名詞になろうとしている。

人間は「死すべきもの」だからこそ、物語を作れるのである。永遠、不死に物語は生まれない。むしろ、永遠、不死の宇宙に向き合うなかで、唯一、死すべき者だからこそ、人間の任務と偉大さがあるというのである。人間の条件とは何か。改めて再考を促される。

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「悪の凡庸さ」だけでなく、AIやIoTが日常生活に入り始めてきた。労働優位の生活も余儀なくされ、「人間の条件」が明らかに薄らいでいる。

思考することを止めるわけにはいかない。アーレントは文章の最後をカトーの次のようなことばで締める。思考についてである。「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない」

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