消えゆく学会
6月25日(日)に平成29年度の宮崎民俗学会総会があった。
大学時代に民俗研究サークルに所属していたこともあって、民間伝承への興味関心はずっと持ち続けてきた。県内を巡回する秋の宿泊研修会など、地元ならではの講演や接待があり、できるだけ日程を調整して参加したきた。
ただ、私は専門家ではない。さまざまな興味関心はあっても学術的に研究する知識も時間も環境も持ち合わせていない。ただ、毎年発行される機関誌「みやざき民俗」だけは楽しみにしている。県内の最新の調査記録が掲載されているからである。
その宮崎民俗研究会も存続の危機にあるという。少子高齢化による会員の減少、価値観の変化による民俗事象への関心の乏しさ、印刷費の高騰などで、実質、活動それ自体が抑制されつつある。
これは他の歴史研究などを行う団体も同じだという。すでに休会にする団体も出てきた。補助金や助成金申請、機関誌への広告依頼など、打つべき手は打っているというがなかなか改善策は見出せないでいる。
加えて、民俗学が調査対象とする地域の祭りなども存続の危機にある。後継者不足、資金難、指導者の高齢化など、地区の行事なども消えつつある。
これは地域おこしも同様である。総会ではさまざまな意見が出された。ただ、決定打はなかなか見つからない。
柳田國男は経世済民としての民俗学を提唱していた。宮本常一も全国をくまなく歩きながら、地場産業の振興に協力している。今和次郎も考現学を通して、街場の風景から新たな価値を見出そうとしてきた。
単なるディレッタントに終始している限り、消え去るのは当然だろう。
今、現実的に何が問題になっているのか。民俗学の知見を活かせる分野は限りなく広いと考えている。スローフード(伝統食)から、災害文化(昔話や地名)、子育て(産育)、障がい者への関わり(異神)、ビッグデータ(考現学)まで、視点や関心の持ち方で、いくらでも提言できる豊富な内容を持っている。
それらをテーマに、広く県民に呼び掛けシンポジウムを開けばよい。助成金申請や協賛金依頼を行えばよい。そのような発言もしたが、要は現実的な問題に対する民俗学の関わり方次第であろう。
総会の行われたみやざき歴史文化館の池は蓮の花が満開であった。
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