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2017年6月25日 (日)

記憶と記録

0001 宮崎公立大学公開講座を聞きに行った。

宮崎における「災害文化」の醸成ー外所地震と口蹄疫を事例にーと題して、黒田勇関西大学教授の話であった。

民間伝承などの地域文化に関心を持ってきたことと、以前、宮崎公立大学と連携して「高校生による聞き書き地域防災」という事業をやったこともあって興味を抱いた。


スロー放送
この言葉を私は初めて知った。

氏は「産地を特定した原料で地元のものは地元で調理し、料理して楽しむ、ただ食べるだけではなく、人間の健康、環境、そして地域の文化を総合したものとして食文化を捉えなおしていこうというスローフード運動」にヒントを得て、それをメディ(放送)に当てはめたという。

「放送が培ってきた文化がメディア・ビジネスのグローバル化によって、さらに加速するデジタル放送ビジネスによってまったく変えられてしまうことに対する抵抗」でもあり、「ローカルのアイデンティティや文化風土に根ざした放送、産地のはっきりした放送、つまり、送り手と受け手の顔が見える地域に根差す『地産地消』のような放送」をイメージしているという。

宮崎県の県内就職率は全国最下位である。この話を聞きながら、その要因として、氏の言われる「私とあなた、そして、私たちの空間が、「われわれ=東京」のものとして形成され、今やそれはごく自然な視聴者全体を巻き込む視線であり、空間を構築するに至った」ことと無縁ではないと思われた。

新聞記事に記者署名が増えてきている。これからはラジオ、テレビでも、誰が取材し、報道しているかを意識する時代が来ていると思った。

「地域社会における民間放送局の歴史と課題」黒田勇(参照)


外部記憶装置
これも新しい視点だった。

事件、事故の「風化」が言われる。私たちはどのように体験(記憶)を記録し、繰り返し呼び戻す機会をもつのかという課題である。

氏はスロー放送の視点から口蹄疫と外所地震を取り上げる。当日は地元メディもいくつか参加していた。関西では阪神淡路大震災を機に作られた「ネットワーク117」という番組を今も放送しているという。

死んだ人より、生き残って苦しんでいる人々の方が圧倒的に多いという事に思いを馳せ、悲しみを共有し、和らげることを切り口に続けられているという。

繰り返し報道することで、記憶を呼び戻し、防災に活かしているのである。被災をテーマにしたドキュメンタリー映画を繰り返し放映することもそのひとつである。メディアの役割である。

神戸ルミナリエで歌われる「しあわせ運べるように」という歌は、歌い続けられることで体験が語り継がれている。歌による記憶である。

私はここで隠れキリシタンで歌い続けられてきたオラショのことを思った。それはすでに数百年にも及ぶ。外所地震(1662年10月31日)の供養碑は50年おきに石碑を建てる。全国的に珍しく現在は7基目である。これも石による記憶である。

以前、取り組んだ「高校生による聞き書き地域防災」は聞き書きの記録化であったが、民間伝承(カッパ淵など)や地名(クエなど)なども記憶装置のひとつであろう。


地域アイデンティティー
この言葉も新鮮であった。

地域おこしとか、地域の特産品とかはよく言われる。しかし、これらは「地域アイデンティティー」としてとらえることができる。

災害文化も負の遺産として、地域アイデンティティーになり得る。口蹄疫で全県下に敷かれた消毒マットは、宮崎県の清潔さの指標でもあり、それだけ食の安心、安全に気を配っていることの意志表示になっているという。

しかも、これを資産として活かし、地域振興としてのビジネスにもつなげられるという。負の遺産を正の資産として活かす方法を「地域アイデンティティー」という視点は持っている。

今や日本の津波を防ぐメカニズムは世界の目標になっている。そのノウハウに世界は注目するのである。

「地域アイデンティティー」をどのように意識していくのか。顔の見える関係のなかで、メディアも、コミュニティも、食も、そこで生活することが楽しく思えるような「まなざし」を探っていかなければならないと思った。

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