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2017年7月 7日 (金)

ノーマン・フィールド

Img_20170707_0001 ノーマン・フィールド著『天皇の逝く国で』(1994年みすず書房刊)を読んだ。

ずっしり重いものが胸に残った。と同時に、ほんのり温かいものが流れた。うまく整理できない。

この列島の歴史と日常生活のなかで感じる様々な差別や孤独、欺瞞、悲哀、信頼など、多方面の問題提起があり、生きる姿勢が問われる書でもあった。

解説より
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ノーマ・フィールドは、アメリカ人を父に、日本人を母に、アメリカ軍占領下の東京に生まれた。高校を出てアメリカヘ渡り、現在はシカゴ大学で日本文学・日本近代文化を講じる気鋭の学者である。

基地内のアメリカン・スクールに通い、大方の日本人の知らない〈戦後〉を生き、いまも〈太平洋の上空に宙づりの状態〉にある著者が、みずからの個人史に重ねて描いた現代日本の物語。

彼女は、昭和天皇の病いと死という歴史的な瞬間に東京にいた。そして天皇の病状が刻々報道され、自粛騒ぎが起こるなかで、日本人の行動様式と心性、そしてそこにさまざまな形で顕在化したあまたの問題に想いを巡らせた。

登場人物は、〈体制順応という常識〉に逆らったために、ある日突然〈ふつうの人〉でなくなってしまった三人―沖縄国体で「日の丸」を焼いた知花昌一、殉職自衛隊員の夫の護国神杜合祀に抗した中谷康子、天皇の戦争責任発言で狙撃された本島長崎市長―と、もう一組、著者自身とその家族である。かれらの市民生活の日常にそって、問題は具体的に考えられる。
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Img_20170707_0002 関係者との会話やインタビューを聞き書きで記し、場面のイメージが鮮やかに刻印される。

進歩的知識人(エリート)の言動が、つい観念的、抽象的、理論的になり、それがどんなに正しくても、逆に人々の心は権力者の単純な紋切型の言葉に掬われていく。ポピュリズムやナショナリズムの広がりはそのことと無関係ではないだろう。

ノーマン・フィールドは、何より、市井の人々の日常生活や助け合いをとても大事にする。生まれや境遇に寄り添いながら、特に虐げられた、人間の尊厳を踏みにじられた人々の抗議に共感する姿勢がじわじわと伝わってくる。

象徴天皇制の名のもとに、日本国憲法の保障する国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という理念が、批判を許さないという同調圧力で踏みにじられている。地域や職場、学校でいくらでも見出せることである。その息苦しさはむしろ強まっている。

それぞれを一人にさせない、何気ない日常に楽しみを見出す、そのことが生きる上での価値とでもいうように、時にユーモアや詩的なことばを織り交ぜながら書き記す。そこから一歩を踏み出す勇気が生まれるのかもしれない。

取り上げられている3人の事例に、先の戦争の責任と謝罪、また被害者のなかの加害者性、加害者のなかの被害者意識など、自分の頭で考えることの大事さを改めて感じた。

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