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2017年8月30日 (水)

小河孝浩写真展

0001 小河孝浩の切り取る風景には、どれも自然と語らう村人たちの声が聞こえてくる。

今回の写真展では人は被写体になっていないが、農家の庭先や集落を抜ける道路、飼い犬や桜並木、空や山脈、渓谷、朝靄でさえ、人間と自然との語らいが感じられる。

それは西米良村村所という自然に恵まれた生活空間と自然を生業にする人々の暮らしが根強く反映されているからだろう。

村人たちは、日々、山や樹木、野鳥、草花と語らっている。あるいはその自然に包み込まれている豊かさを実感している。そこから生まれる安心や落ち着きが感じられる。

風景には必ず人の痕跡がある。

地形の上に刻まれた表情はどれも人間の手によって創られる。植林された山肌、花散る林道、道端の花植え、桜並木の丘、竹林や菜の花など、どれも人の痕跡が窺えるからこそ、親しみや懐かしさを感じるのである。

山間を飛ぶクマタカや渓流の小石に生えたミズゴケさえも、ずっと以前から目を向けてきたであろう人々の思いがある。

被写体としての自然が擬人化され、それぞれが村人たちに語り掛けているような錯覚にとらわれる。作品から自然の語らいや小河のつぶやきが聞こえてきそうである。

樹木や木枝の勝手なふるまい、草花のすました姿、小動物や昆虫のふざけ合いなどを、そんな楽しさを勝手に想像させてくれる。そこが小河の技術なのだろう。

納屋や薪、トタン屋根、ブルーシート、車なども意識的に撮り込んでいるが、それらさえも自然に囲まれた風景のなかに溶け込ませ、すべての被写体が同じ存在として扱われている。決して無駄なものはないように見える。

恐らく、それは小河孝浩の人間性なのであろう。生活を、自然との対話を、村人たちとの語らいを楽しんでいる。そして西米良の生活に絶対的な信頼を置いている。

美しい自然への感動はどこか人への郷愁とつながっている。小河の写真を観るとより親しみを感じられるのは、人間の生活を大事にしているからであろう。それは西米良で生活している小河の強味でもある。

さらに、工作者としての小河の今後に注目してみたい。

小河孝浩写真展「アサンポノススメ」宮崎県立美術館県民ギャラリー1
写真はパンフレットから
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