高千穂町秋元夜神楽
宮崎市から東九州道を使って2時間半ほどで高千穂町向山秋元集落に着く。
秋元神社はさらにそこから20分ほど山に入ったところにある。鋭い岩がそそり立ち清水が湧き出ている。
古代の巨石信仰を思わせる。パワースポットとして名が知られているらしい。
2017年の秋元夜神楽は、11月25日から26日にかけて飯干隆様宅で行われた。近くの秋元公民館には駐車30台ほどのスペースがあり、地元出身者も含め、県内外から多くの参拝客が訪れていた。
午後3時頃から秋元神社で神事が行われ、ご神体や面(おもて)様などが行幸の後、御神屋に舞入れられる。
午後4時頃に、開始前の食事会が行われる。これは参加者全員にふるまわれる。
この食事の提供は計4回行われた。開始前にご飯、肉うどん、肉みそ、白菜漬け、夕方6時頃大根、人参、サトイモ、シイタケ、昆布などの煮しめ、夜11時過ぎ具沢山のヨナガリ雑炊、朝6時過ぎに朝ごはんに白菜、豆腐の味噌汁の提供があった。
婦人部など女性層の協力(「神づかわれ」と背中に書かれてあった)も、夜神楽には欠かせないのである。
夕方5時前から「彦舞」により神楽33番が始まった。
1彦舞、2太殿、3神降、4鎮守、5杉登、6地固、7幣神添、8本花、9住吉、10沖逢、11弓正護、12七貴人、13大神、14袖花、15岩潜、16五穀、17御神体、18地割、19太刀神添、20八つ鉢、21武智、22山森、23柴引、24伊勢神楽、25手力雄、26鈿女、27戸取、28舞開、29日の前、30御柴、31繰下し、32注連口、33雲下し、となる。
秋元神楽の舞は、素朴、質素で、動きが優雅である。舞い手の表情がおだやかで、自信に満ちている。舞う楽しみや喜びがこちらにも伝わってくる。
全体に調和がとれ、息の合う動きや足先も揃い、乱れがない。動きが穏やかだけに唱教も入り、一緒になって声に出す参拝客もいる。
御神屋では部屋の照明を落として雰囲気を出している。明治27年奉納と書かれた麻衣が今でも使われている。
面は神棚に並び、着面のときには前後に二礼二拍手一礼して口には榊をくわえ、面様に息のかからないように気を配る。信仰心の厚さが感じられる。
ここは神仏混交が浸透しており、お墓には「南無阿弥陀仏」の記名や五輪塔もあった。
お囃子の太鼓、笛の音も心地よく、みんなとても上手である。相当、練習したのであろう。
舞い手と里人とのかけあい(「うまいよ」「声が小さいぞ」など)も笑いを誘い、とても楽しげである。番付によっては参加者にも手拍子を促され、盛り上げ役もいる。
女性たちからセリ歌も出る。神楽宿全体に一体感が感じられる演出となっている。
ここでは参加者全員が氏子と捉えられ、誰でも歓待される。アットホームでフレンドリーな雰囲気がある。
そのため、県外からのリピーターが多い。聞くと遠くは長野県や九州は福岡県、長崎県、大分県から見えていた。
この山深い小さな山村に人々が集う何かがあるのだろう。
観客に感謝やお礼のことばもあり、ファン層の厚いことが納得される。暖房器具も準備され、公民館では自由に仮眠もできる。
他の地区の夜神楽に比べて来訪者を大事する様子がうかがえる。
今回の番付では6番「地固」の動作に興味を抱いた。大国主神の国造りの舞といわれる番付だが、終わりの方で日の丸の扇を床に置き、剣を指して、その威徳を太刀に移すしぐさが見られる。
解釈では剣は「水徳」で扇は穀霊、水と土の力で穀種を育て、子授安産、悪魔祓い、家運長久の「願成就」の舞だという。
しかし、夜神楽の原点が「お日待ち講」だとすれば、その舞には太陽信仰が流れているはずである。扇は太陽ではないか。私には太陽の光を剣に移し、その威光を生産や生活に取り入れたいとする里人の祈りがこの所作に表わされているように思えた。
剣は紙で巻いて神主に手渡される。宝刀である。26番「鈿女命」でも扇をかざして舞う仕草が気になった。
そのほか、15番「岩潜」での掛け声(ア~ア、ハッ、アリャサノサ~、ハッ)も印象に残った。
山の自然や信仰をきっかけに、様々な人を結びつけ、共に笑い、楽しむ演出が心憎いばかりである。
人と人がつながり、助け合う思いが共有されている。自然や死者、他者への感謝、祈りなど、素朴な信仰が生きている山里であった。
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