昨年、第53回日本詩人クラブ賞に本多寿詩集『風の巣』が選ばれました。その贈呈式に用意した紹介文です。結局、この贈呈式は新型ウィルス感染拡大により開催されませんでした。
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本多寿さんとは若い時からのお付き合いです。私はいつも本多さんのことを寿さんと呼んでいます。もう亡くなられましたがお兄さんの本多利通さんも詩を書かれていて、両方にお付き合いがあったからです。
寿さんとは、アルコールが入るとすごくいい話になるんですね。ところが肝心の中身はいつも忘れてしまいます。ボイスレコーダーを入れておけば良かったと思うのですが、今日はそのかすかな記憶をもとに本多寿さんを紹介したいと思います。
寿さんは1992年に詩集「果樹園」で第42回H氏賞を受賞しています。そのタイトルが示すように、蜜柑園の一隅に居を構え、身近に樹木や草花、野鳥などと接しながら生活されています。いわばそこが詩のバックボーンになっています。その静かな場所から時代を見つめ、世界をとらえようとしています。
寿さんは「野草や昆虫がリトマス試験紙だ」といいます。人間の言動をもの言わぬ野草や昆虫にあててみるのです。そうすると現代や人間の傲慢さがより鮮明に映るのです。当然、そこから厳しい批評や批判が生まれます。
その感覚を培ったのは少年時代だと思います。寿さんは「よく山学校をしていた」といいます。学校をさぼって野山に分け入り、風の音や雲の動き、樹木や草花、昆虫、野鳥など、それらとたっぷり戯れている。言葉を使わない世界の豊かさです。それは単なる擬人化した自然ではありません。だからリトマス試験紙になる。
それはアニミズム体験といえるかもしれません。寿さんは野草の写真をよく撮りますが、その影に焦点を合わせることが多い。陰に潜んでいる何かに感応しているのです。影のなかに実在感を求めているような気がします。
『風の巣』というタイトルもそうですが、使われる言葉はそんなに難しくないのに、説明しようとするととても難しい。幻想とか、幻影とか、想像力を働かせないと見えてこない世界だからです。深遠な魂と交感するディープ・エコロジーの世界だといってもいいでしょう。
ただ、作品には「ぼく」とか「わたし」ということばが出てきます。アニミズム体験から離れてしまった自我です。とても内省的で戸惑いがあります。いわば有限と無限の間で苦しんでいる。そして「ゆらぎ」や「ざわめき」といったことばが出てきます。風をイメージさせます。風が有限と無限の境を解き、 変容をもたらす象徴として描かれています。そこに祈りも芽生えます。寿さんはアニミズムから学んだ言葉を背景に、有限という自我の痛みを『風の巣』に表現したのではと感じています。
そこで、詩の表現はどこから学んだのだろうかということですが、お兄さんの利通さんも優れた詩人でした。その利通さんの住む延岡にはモダニズムの詩人渡辺修三がいました。また、中原中也と親しかった高森文夫もいました。
そこに利通さんはじめ、みえのふみあき、杉谷昭人、田中詮三、金丸桝一などの詩人たちが集まってきます。寿さんは詩を書き始めた頃、彼らのお抱え運転者だったそうです。当然、彼らから様々な影響を受けることになります。
なかでも渡辺修三、みえのふみあきに影響を受けたということです。ふたりに共通するのは、一言でいえば「純粋詩」です。純粋に言葉のみで構築される美しい世界、それが詩なんだというとらえ方です。その詩を説明しようとすると美しさが消えてしまうのです。風景が美しいのではなく、言葉が美しいのだということなのです。
ですから、散文的な論理性や通時性は影を潜め、非論理性、共時性が前面に出てきます。意味連関のない二つの事象を組み合わせ、その衝突で言葉を覚醒させ、美しい情景を創作するわけです。この詩集も変奏曲風のスケッチが特徴といえるでしょう。
純粋詩の詩人たちは経験主義をもっとも嫌います。「亡くなった詩人たちがいつも肩越しに覗き込んでいるんだよ」と寿さんはいいます。ただ体験や記憶、日々の情感はどうしても付きまといます。それらをどうやって純粋詩に変換したのだろうか。
『風の巣』には、感情表現が意外に多く出てきます。それも痛みをともなっています。天空や樹木の変容、野に広がる死と生成、非在や無窮を描きながら、何かしら痛みが伝わってきます。だから美しい。でもよくわかりません。
寿さんはシンボルスカの「わからないということが命綱」という言葉をよく口にします。安易に答えを出さない。問いに問いを重ねる。もやもやしたわからなさを受け入れる。そんなことが大事ではないのか。痛みとわからなさをともなった美しさがこの『風の巣』だということです。
そして、アニミズムと純粋詩をかけあわせることで、経験主義を超える深い実存論「ディープ・リアリズム」を描こうとしたのではないか。これはまたゆっくり飲みながら寿さんと話してみたいテーマです。