2017年6月26日 (月)

消えゆく学会

6月25日(日)に平成29年度の宮崎民俗学会総会があった。

大学時代に民俗研究サークルに所属していたこともあって、民間伝承への興味関心はずっと持ち続けてきた。県内を巡回する秋の宿泊研修会など、地元ならではの講演や接待があり、できるだけ日程を調整して参加したきた。

0001 ただ、私は専門家ではない。さまざまな興味関心はあっても学術的に研究する知識も時間も環境も持ち合わせていない。ただ、毎年発行される機関誌「みやざき民俗」だけは楽しみにしている。県内の最新の調査記録が掲載されているからである。

その宮崎民俗研究会も存続の危機にあるという。少子高齢化による会員の減少、価値観の変化による民俗事象への関心の乏しさ、印刷費の高騰などで、実質、活動それ自体が抑制されつつある。

これは他の歴史研究などを行う団体も同じだという。すでに休会にする団体も出てきた。補助金や助成金申請、機関誌への広告依頼など、打つべき手は打っているというがなかなか改善策は見出せないでいる。

加えて、民俗学が調査対象とする地域の祭りなども存続の危機にある。後継者不足、資金難、指導者の高齢化など、地区の行事なども消えつつある。

これは地域おこしも同様である。総会ではさまざまな意見が出された。ただ、決定打はなかなか見つからない。

柳田國男は経世済民としての民俗学を提唱していた。宮本常一も全国をくまなく歩きながら、地場産業の振興に協力している。今和次郎も考現学を通して、街場の風景から新たな価値を見出そうとしてきた。

単なるディレッタントに終始している限り、消え去るのは当然だろう。

今、現実的に何が問題になっているのか。民俗学の知見を活かせる分野は限りなく広いと考えている。スローフード(伝統食)から、災害文化(昔話や地名)、子育て(産育)、障がい者への関わり(異神)、ビッグデータ(考現学)まで、視点や関心の持ち方で、いくらでも提言できる豊富な内容を持っている。

それらをテーマに、広く県民に呼び掛けシンポジウムを開けばよい。助成金申請や協賛金依頼を行えばよい。そのような発言もしたが、要は現実的な問題に対する民俗学の関わり方次第であろう。

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2017年6月25日 (日)

記憶と記録

0001 宮崎公立大学公開講座を聞きに行った。

宮崎における「災害文化」の醸成ー外所地震と口蹄疫を事例にーと題して、黒田勇関西大学教授の話であった。

民間伝承などの地域文化に関心を持ってきたことと、以前、宮崎公立大学と連携して「高校生による聞き書き地域防災」という事業をやったこともあって興味を抱いた。


スロー放送
この言葉を私は初めて知った。

氏は「産地を特定した原料で地元のものは地元で調理し、料理して楽しむ、ただ食べるだけではなく、人間の健康、環境、そして地域の文化を総合したものとして食文化を捉えなおしていこうというスローフード運動」にヒントを得て、それをメディ(放送)に当てはめたという。

「放送が培ってきた文化がメディア・ビジネスのグローバル化によって、さらに加速するデジタル放送ビジネスによってまったく変えられてしまうことに対する抵抗」でもあり、「ローカルのアイデンティティや文化風土に根ざした放送、産地のはっきりした放送、つまり、送り手と受け手の顔が見える地域に根差す『地産地消』のような放送」をイメージしているという。

宮崎県の県内就職率は全国最下位である。この話を聞きながら、その要因として、氏の言われる「私とあなた、そして、私たちの空間が、「われわれ=東京」のものとして形成され、今やそれはごく自然な視聴者全体を巻き込む視線であり、空間を構築するに至った」ことと無縁ではないと思われた。

新聞記事に記者署名が増えてきている。これからはラジオ、テレビでも、誰が取材し、報道しているかを意識する時代が来ていると思った。

「地域社会における民間放送局の歴史と課題」黒田勇(参照)


外部記憶装置
これも新しい視点だった。

事件、事故の「風化」が言われる。私たちはどのように体験(記憶)を記録し、繰り返し呼び戻す機会をもつのかという課題である。

氏はスロー放送の視点から口蹄疫と外所地震を取り上げる。当日は地元メディもいくつか参加していた。関西では阪神淡路大震災を機に作られた「ネットワーク117」という番組を今も放送しているという。

死んだ人より、生き残って苦しんでいる人々の方が圧倒的に多いという事に思いを馳せ、悲しみを共有し、和らげることを切り口に続けられているという。

繰り返し報道することで、記憶を呼び戻し、防災に活かしているのである。被災をテーマにしたドキュメンタリー映画を繰り返し放映することもそのひとつである。メディアの役割である。

神戸ルミナリエで歌われる「しあわせ運べるように」という歌は、歌い続けられることで体験が語り継がれている。歌による記憶である。

私はここで隠れキリシタンで歌い続けられてきたオラショのことを思った。それはすでに数百年にも及ぶ。外所地震(1662年10月31日)の供養碑は50年おきに石碑を建てる。全国的に珍しく現在は7基目である。これも石による記憶である。

以前、取り組んだ「高校生による聞き書き地域防災」は聞き書きの記録化であったが、民間伝承(カッパ淵など)や地名(クエなど)なども記憶装置のひとつであろう。


地域アイデンティティー
この言葉も新鮮であった。

地域おこしとか、地域の特産品とかはよく言われる。しかし、これらは「地域アイデンティティー」としてとらえることができる。

災害文化も負の遺産として、地域アイデンティティーになり得る。口蹄疫で全県下に敷かれた消毒マットは、宮崎県の清潔さの指標でもあり、それだけ食の安心、安全に気を配っていることの意志表示になっているという。

しかも、これを資産として活かし、地域振興としてのビジネスにもつなげられるという。負の遺産を正の資産として活かす方法を「地域アイデンティティー」という視点は持っている。

今や日本の津波を防ぐメカニズムは世界の目標になっている。そのノウハウに世界は注目するのである。

「地域アイデンティティー」をどのように意識していくのか。顔の見える関係のなかで、メディアも、コミュニティも、食も、そこで生活することが楽しく思えるような「まなざし」を探っていかなければならないと思った。

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2017年6月22日 (木)

ハンナ・アーレント

かつて詩誌「視力」5号(2014.4.4)のエッセー補助線にハンナ・アーレントのことを書いたことがある。今、改めて彼女のことが思い返される。

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少しちじれ毛の髪、対象を見つめる黒い瞳、スジの通った鼻、薄めの唇、首を傾げ顔に手をやる癖のあるポーズ、若い頃のハンナ・アーレントは思慮的であり、とても魅力的だ。ドイツ系ユダヤ人で、ヘビースモーカーだったという。

「嫌いな人の真実よりも、好きな人のうそがいい」といって、最後までハイデガーの言葉を信じ続けようとしていた。彼の主著『存在と時間』(1927年)は、ハーレントと恋愛関係にあるときに著されている。1931年頃、ハイデガーはナチに入党しヒットラーを讃える演説をしている。それにもかかわらず、ハーレントはかつての愛人であったハイデガーの純真さや弱さを理解しようと努めている。

だからこそであったか。ナチス弾劾裁判(1961年)で、親衛隊長であったアイヒマンの非人間性を批難するのではなく、なぜ悲劇が起こされたのかについて関心が向かう。
裁判でアイヒマンは応える。「私は命令に従っただけです。殺害するかは命令次第でした」

これを聞いてアーレントは考える。「アイヒマンは反ユダヤではない。ただの役人に過ぎなかった。彼が二十世紀最悪の犯罪者になったのは思考不能だったからだ。本当の悪は平凡な人間が行う」として、これをアーレントは『悪の凡庸さ』と名付けた。

アドルフ・アイヒマンは高校中退後、1932年ナチス親衛隊入隊。1935年ユダヤ人担当課に配属され、ユダヤ人追放の執行者として頭角を現す。終戦までユダヤ人列車移送の最高責任者を務めた。

「上からの命令に忠実に従うアイヒマンのような小役人が、思考を放棄し、官僚組織の歯車になってしまうことで、ホロコーストのような巨悪に加担してしまう。悪は狂信者や変質者によって生まれるものではなく、ごく普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人によって引き起こされてしまう」(映画「ハンナ・アーレント」解説より)

今、次なるアイヒマンが続々と生まれてきているように思えるのは錯覚だろうか。

Hannah_2 『人間の条件』(1958年)で、ハンナ・アーレントはその思考放棄、思考欠如を危惧していた。その大きな要因に人工衛星と原子爆発の発明を上げている。それは汚れた地球からの逃避であり、その地球の爆破と映ったからである。

「地球の提供する条件とは根本的に異なった人口の条件のもとで生きなければならなくなったとき、労働も仕事も活動も、そして実際私たちが理解しているような思考さえ、もはや意味をもたなくなるだろう」という。

この地球に生きていることを思考の原点に置いていた。近代科学の知識と思考には懐疑的でならざるを得なかった。アーレントには、地球上に住むことの意味が希薄になり、「人びとの間にあることを止める」とき、知識と思考が永遠に分離されるように見えたのである。

彼女のことばに「与えられたままの人間存在というのは、どこからかタダで貰った贈り物」というのがある。今、その贈り物を他のものと交換しようとしているというのである。

「私たちの思考の肉体的・物質的条件となっている脳は、私たちのしていることを理解できず、したがって、今後は私たちが考えたり話したりすることを代行してくれる人工的機械が実際に必要となるだろう。・・・それがどれほど恐るべきものであるにしても、技術的に可能なあらゆるからくりに左右される思考なき被造物となるであろう」と書いている。

彼女の予言は当たったように思える。最先端技術を駆使するロボット工学、あるいは原子力発電、遺伝子操作などは、少なくとも私の理解の範疇をはるかに超えている。「思考なき被造物」、それが、今、人間の代名詞になろうとしている。

人間は「死すべきもの」だからこそ、物語を作れるのである。永遠、不死に物語は生まれない。むしろ、永遠、不死の宇宙に向き合うなかで、唯一、死すべき者だからこそ、人間の任務と偉大さがあるというのである。人間の条件とは何か。改めて再考を促される。

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「悪の凡庸さ」だけでなく、AIやIoTが日常生活に入り始めてきた。労働優位の生活も余儀なくされ、「人間の条件」が明らかに薄らいでいる。

思考することを止めるわけにはいかない。アーレントは文章の最後をカトーの次のようなことばで締める。思考についてである。「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない」

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2013年3月 7日 (木)

授賞式

Img_5801_2本日、宮日出版文化賞の受賞式が宮日会館であった。

楽しみは何より、今回、同時受賞した人たちに会える喜びであった。というのは、今回の拙著は柳田國男の椎葉訪問を問うことから始まっており、そのヒントが他の二つの著作のなかにあると思ったからである。

近代化が進むなかで西欧に目が向いていた時期、なぜ、柳田は奥日向の椎葉を訪ねたのか疑問に思っていた。

その謎は未だに解決されていないが、今回受賞した本は拙著も含めてたまたま民俗に関係する著作であり、銀鏡、西米良、椎葉と地域の営みを題材にしたものであった。

他の書物は山村での生活を人の結びつきや自然との共生から描いており、そのなかに先の柳田の椎葉訪問の意味があるように感じたのである。

僻村に住み、派手やかな都市生活とはかけ離れた地域であるが、その豊かな文化や人と自然との結びつきに人の幸せを感じさせる内容がいっぱい詰まっている。これは一体何だろうということである。

濱砂武昭さんは84歳だがその透きとおるような顔の艶に何か神々しいものを感じた。人の良い、話し好きな世話人といった風情であったが、『銀鏡神楽-日向山地の生活志』を読むと人々が自然とどう向き合い暮らしてきたかが、儀式や生活、風俗のなかに記されていた。人の謙虚さが胸に染みいってくる。

小河孝浩さんは51歳の写真家だが、10年前に故郷の西米良に帰ってきたという。そこで38組の夫婦の写真を撮って一冊にまとめられた。しかし、他所から嫁いできた妻たちが主人公なのだとそうだ。因習の残る山里で苦労も多かったはずであるが、何がその苦労を癒してくれたのか。何気ないことばや茶飲み、自然の風景であったかもしれない。

Miyanichi_2柳田の「やさしい束縛」ということばがまだ私のなかで響いている。柳田が追い求めていたものや問題意識が今回受賞した各著作間にも響き渡っているように思う。

そんな思いがあったからこそ、今回、お二方にお会いできるのが楽しみであった。名刺交換させていただいて、共通の思いを深くしたところである。これから銀鏡、西米良通いが増えるかもしれない。

昨年facebookに移行中と宣言したが、やはりブログの必要性も感じており、同時並行的に使っていこうと思う。先日の新聞記事と本日の記念写真を掲載します。

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2013年2月21日 (木)

宮日出版文化賞

拙著『哀調の旋律ー柳田國男の世界』が第23回宮日出版文化賞(宮崎日々新聞社主催)を受賞することになった。

この賞との関わりは18年前に遡る。当時、編集委員として加わった『本多利通全詩集』が第4回の同賞を受賞している。その受賞をきっかけに、編集委員を中心に、本多利通を偲ぶ「卯の花忌」が企画され、今日まで、県北を中心にした近現代詩の懇談会が続いている。

本多利通氏には延岡時代に懇意にしていただき、彼を中心に、若い仲間と詩や文学について語る場を持てたことはやはり大きな励みであった。 利通氏との交流がなければ、今日まで書き続けていたかどうかわからない。その意味で今回の受賞はまず本多利通氏に報告したいと思った。

01_2 と同時に、当時、一緒に同人誌を作った仲間、特に全詩集の編集委員にも名を連ねた牧野正史(享年49歳)とともに喜びたいと思った。(写真は『渡辺修三著作集』の取材中、左から、本多利通、私、牧野陽子、牧野正史-当時、佐藤姓-敬称略、以下同様)

この著作のなかでは「遠野物語考」に最も時間を割いた。それを文芸誌「しゃりんばい」に投稿し、真っ先に取り上げてくれたのが、当時、宮崎日々新聞の詩の選者であった金丸枡一氏(故人)であった。

02 そして当時の文芸欄を担当していたみえのふみあき氏がさら詳しく論じ、作品の意味づけをしてもらった。 このお二方の激励と批評がなければ、内容をさらに深めることができたかどうか心許ない。ともに忘れることのできないお二方である。(写真は、左からみえのふみあき、本多寿、私)

宮崎県民俗学会の機関誌「みやざき民俗」に「柳田國男の紀行文」を載せてもらったが、会長であった山口保明氏とは三度ほど会って話す機会があった。氏が俳人でもあることが非常に心強かった。故人となられたが、彼にもお礼と報告をしたい。

著書として編集してもらったのが、高岡に居住して以来、行き来をしている本多企画の本多寿氏である。利通氏の弟に当たられるが、彼の進言により、特に柳田國男の詩人的側面を加えたことが、この本の内容を広がりのあるものにしたと思う。もちろん本作りのプロで絵心もあるため、本の装丁もお願いした。今回の著作は中身よりこの装丁とタイトルがよく話題となった。

03 宮日紙上では、東京の柴田三吉氏に書評を書いていただいた。柴田氏は詩人でもあり、出版社も経営されている。氏とは来宮の際、何度か飲んだことがある。書評には定評があり、その依頼を快く引き受けていただいた。この書評も非常にわかりやすく、新たな視点で整理され、好評であった。(写真は、左から柴田三吉、私、三尾和子、本多寿)その他、杉谷昭人氏にも文芸欄で取り上げてもらった。

今回の拙著は日頃から詩誌や詩集などの交換をしている詩人を中心に送らせてもらった。その感想には、本人以上に鋭い考察や新たな視点などが返ってきていた。そして人により、印象に残った箇所が違っており、そのバラエティが面白かった。

「遠野物語」は多くの人に論じられているが、それだけ物語の豊かさが感じられ、その解釈や構造分析は飽きない魅力を持っている。伝承の世界に言語論や精神分析学、構造主義などの視点をあてることで、私たちの内部に眠っている感情やメタ言語を呼び戻そうと考えた。

「柳田國男の紀行文」については、旅人としての柳田に焦点をあて、旅の持つ漂泊や放浪に人生の生き様を重ねてみた。西日本新聞紙上ではこのことが評価されていた。「哀調の旋律」という本のタイトルもここから取ったものである。

「薄暮の詩人」については、島崎藤村との比較で近代の抒情詩や自然主義文学をとらえ直してみたのだが、引用も多く、少し力不足を感じた。ただ、詩人としての柳田國男や反自然主義文学の視点については意外に理解者が少なく、そのことが反響の大きさにもつながったように思う。

柳田國男と宮崎との関係でいえば、やはり民俗学発祥の地としての椎葉がエポックになりやすい。夕刊デイリー新聞では拙著のなかで「椎葉探訪」について触れてもらった。ただ、未だに柳田の椎葉体験の真の意味はわからない。その意味は何かとてつもなく大きいことのように思われるが、さらに分析する必要があろう。

それだけ『後狩詞記』や柳田の椎葉訪問の目的は研究され続ける必要がある。例えば、柳田が驚いたように、狩の作法や組織のあり方に現代を見直す視点があるように思われる。

それらを地元にいて研究する雰囲気や環境を作っていく必要があるのかもしれない。そのきっかけに拙著がいくらかでもお役に立てればと思う。

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2013年1月13日 (日)

ふたつの詩集

現代詩は難しいといわれる。
しかし、詩を読むことは世界を読むことと同じだと思っている。
この世の中は、そう分かりやすいことばかりではない。
詩が滅んだら、世界も滅ぶだろう。
昨年末に仲間が詩集を出した。
『小景有情』木下貴志男
『海の憂鬱』佐藤純一郎
木下は63歳、佐藤は28歳である。

Img_20130113_0002_4
そのふたりが宮崎の「日差し」をどうどらえているか。

・・・
田の中に 生まれたばかりの一匹の蝌蚪
ものうげにからだをくねらせているのは
やわらかな日差しのせいだ
(注)蝌蚪:オタマジャクシ         
         木下「風 棚田を渡る」より
・・・
━もはや太陽さえも その温和な光を憩わせることのない
虚ろな空洞をいくつも持った亡骸となった私━
         佐藤「牧歌(夜明けの埋葬)」より

木下は「ものうげ」が「やわらかい日差しのせいだ」といい、佐藤は「温和な光」が「虚ろな空洞」をつくっているという。
世代の違いこそあれ、「宮崎の明るい太陽」を肯定的にはとらえていない。
ふたりの表現を通しても、一般に流布している宣伝文句とのズレが意識できる。
その重層性こそが豊かな地域環境を作っていくと思っている。
やはり、詩は読まれなければならない。

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2011年11月17日 (木)

失われたトポス

Kai1_2甲斐龍二作品展「人間と空間」が県立美術館で行われた。

40年の軌跡として、27点ほどの作品が展示され、彼の主要な作品が概観できた。これらのなかでは1970年代後半に制作された「ありふれた光景」シリーズが、やはり印象深かった。

樹木や森、空のなかに人工的な石組みや石畳が敷かれ、あるいは自然の風景が四角に切り取られ、宙に浮いている。これは明らかに風景ではなく、光景(シーン)なのだ。

そこに描かれる事物は具象なのだが、現実にある風景ではない。樹木や石塊、球体などを精密に描き出しているが、その印象はどこか寂寥と透明感が漂っている。

1970年代後半といえば、オイルショックによりバブルがはじけ、世界全体が経済不況に陥った時期である。豊かさの後の飢餓感といったらよいであろうか。「人間と空間」と銘打たれながら、人物はほとんど描かれていない。

空間のなかに人間の居場所がないのだ。見慣れた風景さえもがどこかよそよそしさを感じさせ、冷たく乾いた寂しさを湛えている。人工が自然を凌駕し、本来、自然体であるべき人間の領域が失われてしまっている。

この「ありふれた光景」はいわば逆説的なタイトルとなっている。現実にはどこにもない風景となっているのだ。その寂寞感や悲哀感が、樹木や空、石畳のなかに、抒情として浮かび上がってくる。色彩は原色に近く、透き通っている。ただ、その後の彼は「DIMENSION」シリーズを経て、「断片」シリーズに至る過程で、さらに飢餓意識を増していったような気がする。

Kai2_2ある意味、かつてあった抒情を切り捨てていったように思われる。最近の「蓮華」シリーズでは、蓮の華が直立し、ある種、宗教的な気配も漂わせるが、出口の見えない世界で、苦悩しているようにさえ見える。

ただ、空だけは相変わらず青い。こだわり続ける空の空間に、彼の特徴があるのかもしれない。空のなかに消え入ってしまいたいという願望を感じた。現実に居場所を喪失した以上、空を見上げるしかないのだ。

しかし、あくまでこの世を捨てきれないでいる。そのこだわりも、また、この「蓮華」シリーズには感じた。そこに新たな抒情も浮上してくるのではないか。それが、彼の創作意欲の一端になっているような気がするのである。

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2011年6月25日 (土)

共時性と四人称

教育研究会の講師として藤井貞和氏が来県し、「出来事としての古文、現代文」と題して講演を行った。刺激的な論考からすると、語りはやわらかく眠くなりそうな話しぶりであったが、その内容は結構、含蓄のある話であった。

東日本大震災の話から始まり、河野幸夫氏の「『末の松山』と海底考古学」を引用しながら、百人一首の「契りなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは」や、古今集の「君をおきてあだし心をわがもたば末のまつ山浪もこえなん」などの歌に今回の大津波を予想させるものがあったとして、これまでの解釈が浅薄であったことの無念さを述べられた。

それを展開させる形で、古典文学の読みに地図や歴史年表は欠かせないとして、その意味連関を通して文学をとらえるべきだと強調された。実際に資料を使いながらの説明は説得力があった。確かに年表や地図はそれを眺めているだけでも想像力が刺激される。日本史や国内地図ばかりでなく、東アジアから世界へと目を向けることで、さらにその解釈や理解は深まるだろう。

話題は、最近評判の『日本語と時間』(岩波新書)へと移っていった。助動詞を時間域と形容域、推量域に整理した三角錐の図表は非常にわかりやすい。「つ」と「あり」から、現代の「た」に変化したという話はよく引用されるが、現代語「た」の多様性はそのまま日本語としての豊かさにつながっていく。その使い分けが古典文学にはあったとして、助動詞の多様性を理解することで、古典世界の魅力さはさらに広がっていくということだ。

日本語においては、過去、現在、未来という時間軸が複雑な様相を見せる。あるいは入り乱れる。そのことを私は、通時性より共時性が強いのが日本語の特徴ではないかと考えてみた。因果関係を強調して主体の所在を明確にすることより、時空の概念をいとも簡単に超越し、想像の世界を広げるような仕組みが、まさに「た」の世界なのではないかと思わされた。

さらに藤井は日本語の人称の問題で悩んでいるとして、物語文学が内包する作者や語り手の人称の多様性も話題にした。藤井は、一人称、二人称、三人称以外に、無人称(作者人称)やゼロ人称(語り手人称)、四人称(物語人称)などを設定し、物語の背景を探ろうとする。

それは先の共時性とつながっていくのではないか。現世と来世、人と神、あるいは自然の擬人化など、主体と客体が自在に入れ替わり、あるいは一体化するような仕掛けが人称の複雑さにつながっている。そこに時空を超えた壮大なドラマの語りが可能となる。共時性と人称の多様性が複雑に絡むところに、古典や物語の世界の醍醐味の秘密があるような気がした。

学校で教える国語は、「教科としての国語」と「母国語としての国語」との二面性がある、とかつて聞いたことがある。文法の解釈のなかに母国語としての言語の豊かさを意識しなければ、自らもまた生徒たちへも、古典の魅力を感じ、理解させるのは難しいだろう。言語表現の豊かさは母国語への理解を抜きに語れない。

藤井は学生に文法を教えるしんどさを覚えながらも、成人になってからの古典文学への回帰はやはりかつての文法の授業がきっかけになるといってその必要性を強調していた。私は古典文学にはとんと疎いが、学生の頃にもっと豊かな古典の授業を受けていればと思ったことである。

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2011年6月 7日 (火)

高森文夫の含羞の裏には

延岡が生んだ孤高の詩人本多利通を偲ぶ「卯の花忌」がさる6月4日(土)に延岡市で開催された。第18回になる今回は、中原中也の親友でもあった高森文夫氏の生誕百年を迎えて、そのシベリア抑留時代に焦点をあてた座談会であった。悲惨な現実をどのように受け止め、敗戦を生き抜いたのか、詩作品を鑑賞しながら話がすすんだ。

高森文夫は生涯、チェーホフを愛読していた。高森文夫はチェーホフのどんなところに惹かれたのか、ここ数年、少しずつチェーホフを読んできて、二人には共通点があるように思った。

以前にも触れたことがあるが、二人の生きた時代を調べてみると、戦争や革命など世の中が混乱し、社会が大きく変わっていく時代であることがわかる。将来に対して夢や希望、期待などが持ちにくい時代であった。

特にチェーホフは肺結核に罹り、22歳で喀血し、いつ死んでもおかしくない状態で44歳まで生きた。つまり、時代的にも、身体的にも、絶望的な状況にあったわけである。生きる意味を見出せないと感じた時に、人はどのように生きることができるのか。

チェーホフは、生活のためだったとはいえ、人々の日常生活を細かに観察し、とにかく文章化していった。読者を獲得するために、自らの深刻さを内在させながらも、世の中の滑稽さを徹底して探していった。文学としての出発点はユーモア小説であるが、晩年の戯曲「桜の薗」も没落していく貴族社会を描きながら、それは喜劇として書かれている。深刻さと滑稽さは表裏の関係にあるが、その複眼的思考を深めていったのだろう。

もうひとつは、作品のなかで彼は自分の価値判断や自己主張をつとめて隠そうとしている。つまり、自分を消し続けている。未来に望みがつなげない時、現在の地位や名誉、財産、あるいは知識など何の意味も持たなくなる。そのことを自覚している。

自分を消すということは、繰り返される日常に埋没するということである。意図的に退屈な日常生活を目指していく。絶望的な状況で生きるためには自らを無化し、消去し続けることでしかないと考えたのだ。

そして最後に、大自然に目を向けている。ロシアの自然の雄大さに身を任せている。自然の永遠性にといったらいいだろうか。チェーホフの作品には絶望しながらも生きることを選択する人々がよく描かれている。その生き方を励ますように、必ず自然の風景や音が描かれている。

よく引き合いに出される「谷間」という小説では、幼い息子を殺されたリーパに荷馬車のお爺さんが語りかける。「生きてりゃ、いいことも悪いこともあるさ。しかし母なるロシアはでっけえでなあ」といって自然の大きさや永遠なる大地へと眼を向けさせている。チェーホフは自然の永遠性と一体化することによって、人間の孤独や生活の厳しさを堪え忍び、生きる力を得ていたような気がする。

深刻さと滑稽さを併せ持つこと、自己を消し続けること、自然の永遠性に身を任せること、この三つがチェーホフにとっては、死の淵にありながら、生き伸びる道ではなかったかと思う。

高森文夫はそのチェーホフを生涯愛読していた。それは早くに母を亡くし、親密であった中也を亡くし、長男朔夫を亡くし、シベリア抑留を体験するなかで、生きる意味を問い直していたものと思われる。含羞の詩人と言われているが、自らを多く語らなかったのは、チェーホフのように自己主張せず、自らを消し続けてことに美意識を感じたのかもしれない。

そしてチェーホフの小説や劇のように、劇的なドラマや英雄の登場ではなく、市井の人々や家族、野の花などに目を向けていった。また、中也からの手紙も「チェーホフを読むようだ」と言っていた。中也もまた生きる意味を見出せない時代を生きながら、その茶番を深刻に演じていたのだ。高森文夫もその茶番を自覚しながら、戦中、戦後を生き抜いたのかもしれない。



 囚虜の旅
       高森文夫


北満の荒野のなかを
囚虜の群を満載して
窓のない貨物列車が走る
古生代の怪奇な爬虫類さながらに
いづこの広大なる猟場にて
狩り蒐めたる獲物か
これらのおびたヾしい
空虚な眼(まなこ)の獣の群は
一望の枯野ヶ原を
貧しく点在する聚落のほとりを
切株の残つた高粱畑のなかを
重く長い鉄の鎖のやうに
窓のない貨物列車が
延々と匍匐してゆく
古生代の怪奇な爬虫類さながらに
いやはや 何と珍妙な一幕だ!

窓のない貨物列車のなかで
泥濘のやうな疲労のなかで
移動動物園の檻のなかで
焦燥と虚無 絶望と自棄の狂燥曲のなかで
うつらうつらと然し鋭く痛く
己は後悔し続けてゐる
専らわが過去の茶飯事について
果されなかつたさゝやかな約束について
言ひそびれた一言について
わが過去を星座のやうに飾つた
さまざまな行違ひや喰違ひについて
戦敗れて囚虜となり
知らぬ他国の苦役に服する
咄! 何たる茶番だ
己はそんな事より何より
一片の偽つた愛情について後悔する
窓のない貨物列車のなかの一隅で
怪奇な古生代爬虫類の臓腑のなかで

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2011年3月 6日 (日)

三人姉妹

先月、チェーホフ「三人姉妹」を観た。

構成・演出は永山智行。「演劇・時空の旅」シリーズ3作目である。セリフは神西清訳をほぼ忠実に用いて、非常にオーソドックスな場面展開に感じられた。

チェーホフは多様な人物を描くのが得意だが、「三人姉妹」でも個性ある人物たちを登場させて観客を飽きさせない。ただ本で読む内容と演劇でのセリフでは印象が異なる。本で読むと斜線を引きたくなる文章も、役者のセリフで聞くとまったく逆の印象になってしまう。哲学的な弁論も滑稽さに映ってしまった。

そこに自在な解釈も演出の妙も出てくるのだろうが、解説に書かれてあった「私たちは何ものかであるかを確かめてみたい」ということを考えさせる劇になっていたか。セリフも早口で、登場人物の関係も複雑で、2時間半の劇でそのことをじっくり考える暇はなかった。

私が劇を観て感じたのは「気まぐれ」ということである。恋も仕事も家族も老いも気まぐれに流れていくという印象であった。「私たちは何ものかであるかを確かめることはできない」という感想に落ち着いた。

チェーホフの脚本は人生劇である。実に見事に人間や社会や人生を切り取って見せる。実際、私は文庫版に何か所も斜線を引いている。だからその気まぐれも単純な気まぐれではない。気まぐれのようでもあり、気まぐれではないような何かでもある。

真摯な気まぐれとしてある。何故、私たちは、私を確かめることができないのか。敵が見えないからである。あらゆる体制や秩序が内部崩壊して、個人や家族や組織との紐帯が稀薄になって、つなぎとめるものを見い出せないからである。悲喜劇の両面、真摯な気まぐれとしてしか、人生をとらえることができないのではないか。

すでに崩壊前夜の1900年ロシアも同様の状態ではなかったのか。生きる希望も夢も失くし、働くことさえ意味を持ち得なくなった時、人々の支えは、刹那的な快楽か、過去の想い出、記憶のなかにある出来事に求めるしかない。その真摯な気まぐれのなかに一条の光が射すとすれば、それは記憶である。

劇では白装束のコロス(無言の脇役)たちが舞台をゆっくり横切る場面があった。そして舞台裏に消え去る時、一度立ち止まり、舞台中央を振り返る動作があった。年配の配役が多かったので、それは人生をふり返る印象を与えた。老年になればなるほど、これまでの人生をふり返ろうとする。

その記憶は新たな意味を帯びてくるのではないか。生きた痕跡を記憶に留めることで、その存在の意味をはかろうとしているかのようである。記憶喪失や失語症、痴呆症の人たちにとって、自らの記憶は再生の手段として重要な役割を果たす。それは希望なのだ。いわば文学はその記憶の体系で出来上がっているといっても過言ではない。

三人姉妹のラストでは、長女のオーリガが去って行く楽隊の演奏(音色)に生きる喜びを感じる場面がある。音は消滅していくが、その記憶は残されていく。この場面はよく引き合いに出されるが、チェーホフはひとつの音に様々な記憶をカプセル化し、作品とともに後世に残していったように感じた。

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