2012年5月27日 (日)

Facebookに移行中

Img_5340ブログの更新までなかなか手がまわらない。


日々雑感、いろいろあるのだが、休日や夜も出方が多く、更新する時間がなかなかとれないでいる。

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また、WebサイトやFacebook、それにこのブログと公私合わせて計5本を管理していて、重複する内容もあり、少し整理する必要を感じている。


ただ、書き込む性格や分量がそれぞれ違うので、どう関連付け(リンク付け)するか頭痛の種である。


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そんなとき、庭を眺めると心が安らげる。


先日、今年、2回目の除草をやる前に少し眺めた。その時の写真をアップします。


庭の風景も含め、ニワセキショウやカタバミ、ヘビイチゴなどの植物も見ていて飽きない。


Img_5343ただ、これらの写真や雑感は少しずつFacebookに移行していく予定です。


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2011年8月27日 (土)

聴くということ

自らを確認するには他者の存在が必要である。例えば、自らの思いや考えを誰かに語ることで、イメージや思考が整理されたり、今まで気づかなかったことに気づいたりすることがある。そのような他者の存在はとても貴重である。

悩み事や心配事を他人に話すとすっきりするとよくいわれる。しかし、そのことの意味が深く掘り下げられることはない。話す相手が誰でもよいということにはならない。理解されなくても、話した内容(ことば)を真剣に受け取ってもらえる相手ということになろう。

「聴くというのは相手の鏡になろうとすることである」「聴くだけという受動的な行為がケアにおいてはもっとも深い力をもちうる」(『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』鷲田 清一著)という。

私たちは、ことばで自らの存在を確かめている。しかし、そのためにはどうしても他者の存在が必要となる。乳幼児にとってはまず母親かもしれない。「注意を持って聴く耳があってこそ、はじめてことばが生まれる」ということなのだ。柳田國男は子どもの絵空事に耳を傾ける大事さを説いていた。

オタク族の増加が話題になって久しい。社会では自己アピールや表現力が求められている。一方で、コミュニケーション力の欠如も指摘されている。それはことばの衰弱を意味している。

しかし、それは同時に聴く者の不在を意味していないか。どのように表現力を高めようとしても、それを真剣に受け止める相手がいなければ、ことばは磨かれないし、豊かにもならないだろう。自らを形成することもできない。

「語るひとは聴くひとを求めている。語ることで傷つくことがあろうとも、それでもみずからを無防備なまま差しだそうとする」それに共感したり、同調したりするには、聴く側にも相当の負担を強いることとなる。看護士に早期退職者が多いのは、身体的疲労だけでなく、さまざまな患者の話に共感、同調してバーンアウトするからだという。

しかし、悩みを誰かに打ち明けるという行為は、そこで物語が作られるという創作行為が行われているのではないだろうか。ことばとは協働作業のなかに生まれる。それは生きることと同じ意味を付与されている。だからこそ、単なる「聞き上手は、話上手」といった素質の問題ではなく、「どのようにして他者に身を開いているかという、聴く者の態度や生き方が、つねに問われている」ことになる。

自らを語るということは他とは異なる特異な個を持つということだろう。個はまた特異なる他者によって確認できるし、その距離感がまた必要なのだ。そのような聴き手を持つことは幸せであろうし、そのためにもまた自ら聴くことの力を鍛えねばならない。

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2011年7月10日 (日)

自然への畏怖

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日曜日の昼下がり、ふと思い付いて宮崎市椿山公園に出かけた。市内から車で40分ほどで展望台まで着く。この日も酷暑日であったが、双石山山系の頂上は爽やかな涼風が吹き抜けて気持ちよかった。


帰路の途中、神社の鳥居を見かけ、ちょっと立ち寄ってみた。姥ヶ嶽神社という。始めての道なので、これまで私は知らなかった。境内はすぐだろうと思い、登り始めるがなかなか着かない。


急坂な登山道をあえぎながら登ること30分くらいだったろうか。やっと境内に着く。ここは修験道の霊場にもなっていたらしい。


役小角(えんのおづぬ)も祀られている。かつて山を仕事場とした木地師や山窩の守護神でもある。神通力が豊かでいろんなエピソードがある。想像力を掻き立てられる人物でもある。


山道を登りながら考えた。先日、NHKのクローズアップ現代でも放映されたが、ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのかということである。今回の東日本大震災の報道でも世界中から日本人の我慢強さや律儀さが絶賛された。


キーン氏に影響を与えた書物に、高見順の敗戦日記がある。キーン氏が感動したという箇所にはこう書かれてある。


「私の目に、いつか涙が湧いていた。いとしさ、愛情で胸がいっぱいだった。私はこうした人々と共に生き、共に死にたいと思った。(中略) 何の頼るべき能力もそうして財力も持たない、黙々と我慢をしている、そして心から日本を愛し、信じている庶民の私も一人だった。」


日本人のなかなある、あるいは人間のなかにある何かに触れているような気がする。たまたま姥ヶ嶽神社に参詣して、それはアニミズムではないかと考えてみた。自然を畏怖し、崇拝する心のなかに先ほどの我慢強さや律儀さが育まれたのではないか。


アニミズムでは山そのものが御神体となる。母胎でもある。「姥ヶ嶽」という命名そのもののなかに、自然への畏怖と尊厳と生命への不思議さが表われている。様々な物語が生まれてきたであろう。奥の院への山道には胎内くぐり(生まれ清まる)の岩場もあるという。


中沢新一は原子力発電を荒ぶる一神教の神だとした。アニミズムに慣れた日本人には異質の神である。手に負えないものを相手にしてしまった悔恨は、今後、二十年、三十年、あるいは百年以上残り続けるであろう。その責任は私たちも負わねばならない。


下山すると、鳥居の横には水飲み場があった。市内から水汲みに来る人が多いようだ。ペットボトルを何本も抱えた人に出会う。その水をひとくち含むと暑さと疲れが一気に消し飛んだ。体内に沁み込む。水への感謝も自然にわいてくる。


久し振りの短い登山であったが、ひとときの清涼剤となった。

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2009年8月 1日 (土)

真空管アンプ

Caun3120年来、真空管アンプを聴いている。
自作することはないが、手作りの温かさ、形のやわらかさ、点灯するほのぼの感は音の表情にも表れる。主にジャズとクラシックを聴いているが、音楽というより、シングルトーンの、あるいはシンフォニーの、音の実在感に想像力を刺激される。

 ことばと同様、ひとつの音階、音調が、次へと展開するときの、こちらの想像力を越えたものに出合った時の、感動みたいなものがたまらない。その感動や調子は文体にも影響してくる。音楽をよく聴いている時は、文体も躍動感にあふれ、多彩になってくる。いわば、ノリというやつである。最近、Mc275_2 音楽を聴かなくなって、どうも文章を書くのが億劫になったような気がする。

最近、あまりオーディオを相手にする時間がなくなったこともある。
オーディオルームを子ども部屋に明け渡され、リビングに置き換えたことで、ひとりボリュームを上げて聞くわけにはいかない。まして真空管は暖まるまでに時間がかかる。よほど家人が留守で、たっぷり時間がないとオーディオに向かう気はなくなる。それに夏場は窓を開け放しているので、ボリュームを上げると近所迷惑が気になる。それと実は中古品を使っていたので、故障が頻発し、壊れたままになっていたのである。

Cavt88_2 この三日間、夏季休暇を利用して、思い切ってオーディオを買い替えた。なにしろパワーアンプはトランスが重くて30kgはする。簡単には動かせない。暑い中、汗だくになりながら、ラックを動かし、結線を外し、たまった埃の掃除をしと、それこそ、家人が留守でないとできない。贅沢なことだが、すべてを忘れ、ひとつのことに没頭できる時間は貴重である。

プリアンプはカウンターポイント3.1を愛用しているが、パワーアンプは以前ウエスギのBROS-10から、マッキントッシュ275に買い替えた。中古品ではあったが、評判のアンプでもあり、確かに音は濃密で、ラッCavkt88_2 パの音も、弦の響きもリアリティがあった。何より、その臨場感は演奏の現場にいるようで、ひとり悦に入っていたものである。あまりにも心地よいと、つい眠ってしまうが・・・。

ところが、そのトランスがちょっとした誤操作でショートし故障してしまった。交換品を探してもらったが見つからなかった。しかたなく馴染みのオーディオ店に置いてあったCAVのT-88に買い替えた。同じKT-88を使ったインテグレーテッドアンプである。現在、真空管の製作は中国が本場で、これも中国で作られたらしい。なんでも、ある飛行機のパイロットの趣味が高じて、このPios969_2 アンプを製作したという。まだエージングが効いていないので、なんとも言えないが、値段の割には作りは重厚で、3極管と5極管の切り替えができ、多彩な音色が出せそうである。

また、CDプレーヤ(マランツCD-15)のピックアップも故障して、使えなくなっていた。これも交換部品がないということで、店に置いてあった中古品のDVDプレーヤーを購入した。パイオニアのS969AVIである。マランツも重厚で、変な話だが、何よりリモコンの形状が気に入っていた。形や感触が少しエロチックで、こんなリモコンは見たことがなかった。他の家電製品もリモコンの形状にもっと遊び心を持たせるべきである。本体の作りも頑丈でシンプルなデザインも気にいっていた。見た目も綺麗で棄てるのはほんとに勿体ない気がしたが仕方がなかった。

MC275やCD-15のように、評判の名器は永年使えるように交換部品の在庫を十分に確保してもらいたいものである。一部品がないために、全体を廃棄するのは実に勿体ない話である。さて新調したオーディオラインの肝心な音だが、はっきりいってまだわからない。できるだけ電源を入れてエージングに時間をかけようと思っている。音楽を浴びることで、海馬がリフレッシュすることを期待している。

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2009年6月14日 (日)

ライフタイム

先日、延岡市で飲んだ後、最終の特急で宮崎市まで帰ってきた。東京から見えていた風狂子と詩の師匠でもある果樹氏も一緒である。「もう一軒行こう」ということになって久し振りに駅の近くにあるジャズのライブハウス「ライフタイム」に寄った。

12時前ですでにライブは終了していたが、マスターは快く店に入れてくれた。三人ともほろ酔い気分で、恐らくお互い勝手なことをおしゃべりしていたように思う。私はライフタイムでCDを出していたことをふと思い出して、酔いの勢いで買ってしまった。

宮崎で出すのだからとあまり期待もしていなかったが、これが驚いた。久しぶりにジャズボーカルを聴いたせいかもしれないが、思わず身を乗り出して聴き入ってしまった。その歌いぶりがビリーホリデイの情感を搾り出すような歌い方にも似ていたが、沖縄の与世山澄子とも違い、ブルージーで、ソウルフルで、かつ知的で、哀愁のなかにも、歌うことの喜びみたいな感動が伝わってきた。スローテンポな曲が多いこともあって、じっくり聴かせる。バックのピアノやギターのシングルトーンもボーカルに絡み心地よい。

Bb_2 「BLACKBIRD」Kuma Masako at LIFETIME BLACK TREE Records

久万正子(くままさこ)プロフィールより
幼少より歌うことが大好きで、すでに4歳にして歌手になることを夢見ていた。クラシック・ピアノと声楽を習い、後にジャズに転向する。高3夏、クラシックよりもっとポップな音楽がやりたいと 声楽の先生に相談したところ、ジャズを薦められ、ジャズに方向転換。大学進学拒否。 高校教師からは“頭がおかしくなった”と 危険人物視される。

1973年東京音楽学院“ジャズ科”に入学し、ティーブ・釜范氏に師事。1976年からはマーサ・三宅にも習う。翌年から、都内ジャズクラブ、ライブハウスで早くもプロとして活動を始める。1977年、プロとして活動を始める。歌えることが嬉しくて毎日毎日歌う。渋谷毅(P) 川端民生(B) 武田和命(Ts) 田村博(P) 津村和彦(G)他、多くのミュージシャンと出会い、彼らの音や姿、言葉(酒)から多くのことを学ぶ。

1993年、音楽上の行き詰まり、どうして歌ってるの? 何故この曲なの? 全てが分からなくなり、音楽活動に終止符を打つ。音楽とは無関係の会社に就職OL生活を楽しむ。2000年ごろから無性に歌いたくなる。勤務しながら月1~2回のペースで活動を開始するも、常に心にあるのはJazzとは何?!2004年 田村博(P)&津村和彦(Gui)のトリオをメインに活動開始。2007年2月 十数年振りに合った扇田正俊をProducerに、田村博(P)、津村和彦(Gt)で新宿『ジャズスポットJ』にてセカンドアルバムを録音。2008年9月、宮崎のライブハウス「LIFETIME」でサードアルバムを収録。

このプロフィールだけみても、錚々たるメンバーと組んで歌っていることがわかる。本格的な実力派といっても過言ではない。恐らく10年間ほどのブランクがその唄声に深みを与えているのだろう。なぜ、歌うのかということで相当悩み苦しんだ様子が窺える。これはなぜ生きているのかと同じくらい意味を持つ問いである。それを乗り越えた果てに自然に口について出てきた歌だけに、歌詞の解釈やメロディやリズムの表情に陰影が濃く表われている。失恋も含め、恋の唄がほとんどだが、それだけに情感豊かで、いろんな人生模様を想像させてくれる。

解説書によると母親の出身が宮崎らしい。現在はほとんど東京で活躍しているらしいが、たまに帰省してライフタイムで歌っているのかもしれない。今では私は朝夕の通勤途上で毎日のように聞いている。

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2009年6月11日 (木)

梅雨空に

Img_3983 例年に比べ、10日以上も遅れて一昨日、梅雨入りした。本日の午前中まで、降ったり止んだりの空模様であったが、午後からは晴れ間も覗き、夕方7時前、職場を出る頃には空一面のうろこ雲が広がっていた。

うろこ雲は秋の季語となっており、秋台風の頃、温暖前線や熱帯低気圧の接近時によくおきるらしいが、気候条件によっては年中見ることもできる。巻積雲ともいう。今日のうろこ雲は梅雨前線の通過とともにおきたのかもしれない。

うろこ雲を見ると空の広さを感じる。青をバックに、白い点々とした巻積雲が、どこまでも目の前に広がり、果てのない空をイメージするのだろう。積乱雲やすじ雲では空の広さは感じさせない。点描画のようなうろこ雲の広がりが、空というものの造影を浮き彫りにする。

そしてそのうろこ雲の美しさがなぜか心を揺さぶる。空の広がりが哀しみのようでもあり、切なさのようでもあり、寂しさのようでもある。上空は風が強いのだろう。引きちぎられ、離れ離れにされていく雲のひとつひとつに、寂寥や孤独を感じるのかもしれない。

うろこ雲の下に灯りの点き始めた街が映る。電柱や電線、信号、看板など、不況下の人の生活が広がっていく。空と雲と電線の陰影が、より一層を生きて在ることの感慨を強めてくるのだろう。丁度、夕暮れ時でもあり、少し感傷的になった。でも、刻は動いている。

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2009年6月 7日 (日)

運動公園駅

Img_3958 木花の運動公園駅は、片面単線だけの小さな無人駅である。簡易な上屋が有るだけで、改札口もない。駅舎の階段を上がると近距離きっぷの券売機が設置されており、もちろん電車が近づいても警報や放送もない。1日の平均乗車人員は58人とある。

先日、その運動公園駅から乗車する機会があった。土曜日の昼下がりであったが、高校生らしい乗客が数人いるだけで、それぞれケータイを操りながら、電車が来るのを待っている。実にのんびりした光景である。ホームに風が吹きわたり、静かである。

そのプラットホームの前面に広がる青田に見とれた。青々とした田の向こうには、加江田渓谷の双石山、花切山、斟鉢山の山並みが坐している。初夏の風がそよぎ、その風に青田が波打っている。風と青田が戯れている。風が吹くたびにところどころの青田が白くひるがえり、山の方角に向かって誰かが通り過ぎているようにも見える。

自然の風景は見ていて飽きない。明るい日差しと空に浮かぶ雲、青田の緑に、山の陰影。ふと気づいたのは広告類がまったくないということである。たまたま田園には人影もなく、農機具の姿もなかったが、それが自然の存在感を高めているのかもしれない。

とはいっても、風景は人の力で出来上がる。この青田にしても、山(樹相)の姿にしても、すべて人の力が加えられて風景が作られている。コツコツと大地を耕し、田植えをしてきて、あるいは植樹や枝打ち、下刈を繰り返してきて、これらの風景は出来上がるのだ。そこに人の気配を感じるから、暖かみも抱くのであろう。無意識のうちに人の姿を想定している。

しかしそれをさせているのは、ひょっとするともっと大いなるものなのかもしれない。蟻や蝶が動き回るように、私たちも無意識のうちにいろいろな行動を取っている。さきほど田の上を通り過ぎていったのは、この実相を動かしている大いなるものだったのかもしれない。

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2009年4月11日 (土)

草刈り

Img_3891 今年は桜の開花が例年に比べ、10日前後早い。四月に入って晴天が続いており、今日も気温27度、湿度51%だった。そのせいか、庭の雑草も伸び方が早く、今日、今年度第一回目の草払いをした。例年、5~6回は草払いをする。

今年はカラスノエンドウがよくはびこっている。その他、オオイヌノフグリ、カタバミ、スギナ、オオバコ、ハハコグサ、タンポポ、フキ、ヨモギとよく知られているものだけでも10種類はくだらない。詳しく調べていけば、20~30種類にはなるだろう。どこからそんなにやってくるのだろうと思う。そして例年、庭の様子が変わる。

カラスノエンドウが長く伸びていたので、最初、地べたに這いつくばって手と鎌で刈っていった。草を取った後から、ダンゴ虫やミミズ、土蜘蛛、バッタなどが出てくる。子どもの玩具も出てくる。除草剤など使ったことがないので、土地は肥沃なのだろう。草も虫も人知れず、一所懸命、生きている。もし、相互に交信しているとすれば、すごいネットワークだろう。いや、しているような気がする。

あらかた抜いたところで、次に草払い機で短く刈っていった。当初は高麗芝を植えていたが、手入れをしないうちにカヤがはびこり、雑草の宝庫となったのだ。だが、短く刈ると芝もまだ生きている。また日陰では苔が広がっている。普段から手入れをすればもっといい庭になるのになといつも思う。それがなかなかできない。

子どもたちがまだ庭で遊んでいた頃は、雑草もあまり生えなかった。私も野菜作りなどをしていたので、庭もそれなりに整っていた。子どもたちも成長し、庭で遊ばなくなり、私も身体を痛めたり、デスクワークが増えたりで、庭に注意を払うことが少なくなった。それでも例年、草は生える。草取りはこれで終わりということがない。休ませないためだろう。

Img_3895 今年も庭との格闘が始まった。

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2008年7月19日 (土)

カラダ言葉

Img_3487  今日は高岡町のサン・スポーツランドで娘のテニスの練習試合があった。今日も猛暑であった。夏空には積乱雲が発達したが、生暖かい風が吹いただけで一滴の雨も降らなかった。観る方も、とにかく水分補給を切らさないようにして試合を観戦した。

 観客席ではスポーツにおける腰の使い方が話題に上がった。とにかく腰を入れる、腰を使って回転する。その大事さが父親同士で飛び交っていた。そのことで想い出した。齋藤孝の本に「身体感覚を取り戻す-腰・ハラ文化の再生」というのがあった。要するに次のようなことである。(書評より)

 日本語には「練る」「磨く」「研ぐ」「締める」「絞る」「背負う」といった動詞が身体の訓練に結びついている。「心身を磨く」といった具合である。「磨く」という言葉自体は決して身体に便われる言葉ではないが、それが身体と結びついているところに日本の「カラダ言葉」の独自性があった。

 「身体感覚を取り戻す」は、日本人の身体感覚の失われつつあるものを、いま、取り戻すべきだという主張である。日本人の身体感覚とは「腰・ハラ文化」。腰が入っていることによって呼吸が安定し、その呼吸の深さがハラをつくる。ハラは人間の行動の原理、指針であり、人間の生き方の基盤である。

 現代の日本を襲うさまざまな問題の根底には、こうした伝統的な身体の喪失があるという。それは腰肚文化、すなわち「腰を据え」「肚を決める」ことでからだの中心感覚を保つ文化の喪失である。日本文化は精神主義的だと言われるが、実はその基盤に身体技術を持っていた。体の構え、呼吸の深さが重要であり、その心身一如のありようが人々に内側から自信と尊厳を与えていた。

 そこでは身体技法に基づく言葉が生きていた。考えを「練る」、人間を「磨く」、気を「引き締める」、未来を「背負う」……。しかし、練ったり、背負ったりという身体技法が失われつつある現在、そうした息の長い人間的プロセスもまた失われているのではないのか。それがすぐに「キレ」てしまう子供や、他人の息づかいを感じ取れぬ孤独な存在をもたらしているのではないのか。

 というような主張である。とにかくかつてはカラダ言葉がココロ言葉を支えていた。身体の所作や型が長い歴史のなかで形作られてきた。まず型から身体に覚えさせる。それが生きることの意味であった。だとしたら、そこにリアリズムの原点を置く想いにとらわれる。写実も現実も、身体で感じることが重要なのだ。短詩型における定型文学もカラダ言葉(リズム)から生み出されたものであったかもしれない。

 スポーツにとって素振りは基本である。その時、腰を中心に据えることはいうまでもない。そして呼吸法とともに声を出すこと。そうすると身体のなかの何かが動き始めるのである。腰の入ったフォームは美しさを生む。無理、無駄がない。型の文化は生きているのだ。

 今日は観てる方もいっぱい汗をかいた。誰に命令されるのでもなく、身体はちゃんと体温調節もしているのである。頭(脳)ではなく、腰、腹、肝に人類(身体)の歴史が詰まっている。身体にはまだ解明されない不思議な力が備わっているようだ。

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2008年5月11日 (日)

柳絮(りゅうじょ)

Img_3435 GWは退職されたM先生の慰労会ということで湯布院に出かけた。

私は初めてであったが、天候もよく、人も多かった。磯崎新設計の駅舎もさることながら、由布岳の山容や金鱗湖から流れ出る小川、その両側に並んだ温泉宿の風情もなかなかよかった。民芸を主体とした土産物屋や雑木林のなかを散策しながら、金鱗湖まで歩いて行った。

湖畔に佇んでいるとき、M先生が「あっ、柳絮が飛んでいる」といわれた。それは湖畔に植わった柳の木から飛んでいる綿毛であったが、それを柳絮(りゅうじょ)というのだとは知らなかった。

ネットで調べてみると、中国は街路樹に柳が使われており、漢詩の題材にもよく出てくるという。漢詩では「柳」は「別離」の象徴で、旅などで別れる人々が柳の 枝を折り、送りあって別れを惜しんだともいう。柳絮を題材にした恋歌もあるということだが、ネットでは下記の詩がよく紹介されていた。

和孔密州五絶 東欄梨花    蘇 軾
   孔密州の五絶に和す  東欄の梨花

梨花淡白柳深青 梨花(りか)は淡白にして 柳は深青なり
柳絮飛時花満城 柳絮(りゅうじょ)飛ぶ時 花は 城に満ちたり
惆悵東欄一株雪 惆悵(ちゅうちょう)す 東欄 一株(いっしゅ)の雪
人生看得幾清明 人生 看(み)得るは幾(いく)清明(せいめい)か

・柳絮=白い綿毛をもった柳の種子が雪のように散るさま。
・惆悵=恨み嘆く、いたみ悲しむこと。
・一株雪=雪のような白い花を咲かせている一本の梨の木。
・清明=二十四節気の一。三月節気。今の四月五日頃。万物清く陽気になる時期という意。

蘇 軾(そ しょく)は宋代第一の詩人。名文家で、蘇 東坡とも呼ばれている。代表作に「 春宵一刻 値千金・・・(春夜)」がある。

湯布院はある種、郷愁を誘う雰囲気がある。由布岳が目の前に聳え、小川や雑木林、民家風の温泉宿など、山里という地理的環境を活かした街創りををしているのであろう。

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