2017年6月28日 (水)

MUKASA-HUB

旧穆佐小学校がMUKASA-HUBに様変わりした。

5月下旬にオープニングが行われ、クラウドファンディングの寄付者にも招待状が届き、出かけてみた。コンセプトや施設の詳細はサイトの通りだが、ホントに素晴らしく生まれ変わった。

有限会社一平の村岡浩司社長の発案と資金調達で作られたものだが、穆佐からベンチャー企業を立ち上げるという夢とビジョン に共感した若者や青年たちが集まっていた。

今後、多国籍多言語が飛び交う場所にしたいという。すでに世界で活躍している宮崎に縁のある実業家たちが熱い思いを述べていた。

ただ、地元の人の姿をあまり見かけなかったのは残念である。折角、旧穆佐小学校の跡地利用であれば、もっと卒業生 なども関われる事業展開もあればと思ったが、これからなのかもしれない。

近くには、中世山城で有名な穆佐城や高木兼寛生家跡の穆園広場、サンスポーツランド、やすらぎの郷、蛍の飛び交う瓜田川、キュウリなどのハウス園芸農家も多く、これらの資産をリンクさせた事業も可能である。

これに民家風の宿泊施設でもできれば、ホントにこの穆佐地区は世界から人々の集う魅力ある場所になるかもしれない。

地元の人もたくさん関われるMUKASA-HUBに、ぜひ、してもらいたいものである。

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2011年9月 4日 (日)

穆佐小学校移転改築

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9月4日(日)に宮崎市立穆佐小学校移転改築記念式典があった。

このブログを始めたきっかけが、平成17年の台風14号被災による地域情報発信の必要性からであったが、当時、子どもの通っていた穆佐小学校の被災状況と復興支援を主に載せていた。

大雨の度に浸水する立地や老朽化した校舎改築と相まって、当時のPTA役員の間からも移転改築の話が持ち上がり、誓願署名などを集めて、奔走した経緯がある。
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建設地はかつて穆佐団地センターと呼ばれていた場所で、農協の倉庫や消防車の詰所、少年野球の練習場(グランド)などがあった。

新校舎の概要は当日配布された資料(下記)に詳しいが、緑の芝生を中庭に配置し、木の香りの溢れる明るい校舎となっている。
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この穆佐小学校は高木兼寛(慈恵会医科大学創始者、ビタミンの父)の出身校として、その業績や教えを学習に取り入れている。

記念式典でも子どもたちが「かっけ論争」といわれた森鴎外との栄養説かウィルス説かの論争を劇で演じていた。新校舎にはその資料も展示されている。
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元校舎は中世山城として貴重な穆佐城の麓に位置していた。歴史的な雰囲気も残しており、かつてこのブログにも載せたように、ぜひ、公園化して地域住民の文化センターとしての機能を持つ施設にできないかと切に願っている。
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少子化で子どもの数は減ってきているとはいえ、新しい世代が生長してきている。新しい校舎で、新しい設備で、安全に学びや知識、体力を育む環境ができて本当に良かったと思った。

当日配布された資料から---------------------------

【背景】
 穆佐小学校の校舎3棟のうち2棟は昭和45年、昭和46年に建設され、老朽化が進んでいることから、平成17年の合併による「新市建設計画」では穆佐小学校整備事業として改築で計画していた。その後、平成17年の台風14号による浸水被害の状況や地域住民からの要望を考慮し、穆佐出張所周辺の高台への移転が適当と決定し、移転改築事業とした。

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【事業の実施期間】
 基本設計:平成20年度
 実施設計:平成20年度から平成21年度
 校舎建設:平成21年度から平成22年度
 付帯工事:平成22年度から平成23年度
(プール建設工事、屋内運動場改修工事、グラウンド整備工事、その他整備工事)

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【総事業費】  8億9千万円(用地取得費込み)
  用地取得費 : 43,956千円
  校舎建設費 :504,000千円
  プール建設費: 86,000千円
  体育館改修費: 66,151千円
  運動場整備費: 65,000千円
  外構費他  :124,893千円

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【施設の概要】
 〔校 舎〕
  構 造:鉄筋コンクリート造
  階 数:地上2階一部平屋建て、アスファルトシングル葺き
  建築面積:1,833.22㎡
  延床面積:2,452.59㎡
  北校舎:管理部門(校長室、事務室、職員室、保健室、教育相談室、配膳室)
      特別教室(理科室、図工室、家庭科室、音楽室)
      男女便所(1階、2階)、オストメイト対応男女多目的便所、
      その他(昇降口、学校活動展示スペース)
  西校舎:図書室、コンピュータ室、生活科室、多目的室、屋外用男女便所
  南校舎:普通教室(6室)、特別支援教室(1室)、男女便所(多目的便所付)
  太陽光発電:発電電力10KW
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〔屋内運動場〕
  構  造:鉄骨造
  階  数:地上2階建て、鋼板葺き
  建築面積:850.93㎡
  延床面積:910.50㎡
  コート:バレーボール1面、バスケットボール1面、バドミントン3面
  所要室:ステージ、放送室、男女便所、多目的便所、シャワー付更衣室、倉庫Img_5007
 〔プール〕
  構  造:ステンレス製
  高学年用:4コース、25mx9m、面積225㎡、深さ0.9m~1.1m
  低学年用:9mx9m、面積81㎡、深さ0.7m
  ※高学年用プールと低学年用プールは併設し、ステンレス製柵で仕切られている。
 [運動場〕
  トラック:外周163m(4レーン)
  直 線 路:69m(4レーン)
  フィールド:芝生張り(その他はマサ土舗装)
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2009年3月20日 (金)

穆佐小学校移転

Img_3872 穆佐小学校の建設予定地となっている穆佐団地センターの造成工事が急ピッチで進められている。設計の詳細は不明だが、農協支所や団地センターの建物はそのままにして、倉庫跡地に校舎が建てられるのだろう。消防署詰所も県道沿いに新築されているようだ。農協のガソリンスタンドも解体され、そこに学校用の正門や階段が作られるのかもしれない。周辺の風景が除々に変わりつつある。

Img_3871敷地は手狭に感じるが、何より、現在の小学校の老朽化や耐震性、台風時の浸水、避難所としての機能などを考慮すれば、速やかな移築建設が望まれる。また、将来の児童数減や登校距離、役場支所や農協などとの併設、交通の便などを考えれば、複合施設エリアとして妥当な場所なのかもしれない。

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先日、去川小学校が閉校した。地域から小学校がなくなるのは地区住民にとっても淋しい限りだろう。宮崎市内に近接しているとはいえ、まだ、穆佐地区はかつての地域共同体としてのつながりや関係を保っている。それらは非常災害時などに特に効力を発揮するものだ。我が子たちが巣立っていったとはいえ、やはり地元の小学校は大事にしたいと思う。

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2008年6月 4日 (水)

穆佐小学校移転問題

 最近、地域の話題から遠ざかっている。というより子どもが小学校を卒業し、情報が入り難くなっていた。そこで少し気になっている穆佐小学校の移転問題について調べてみた。宮崎市役所のWebサイトに市議会の議事録が掲載されている。以下はその内容である。

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2008.03.04 平成20年第1回定例会(抜粋)

 長尾和子議員
 穆佐小学校の移転改築についてお伺いいたします。
六月議会では、昨年度実施した候補地比較調査の結果を踏まえ、関係機関や庁内関係部局とも協議を行い、建設地の選定を行ってきた、その結果、市としては、市穆佐出張所やJA宮崎中央穆佐支店のある高台へ移転改築を行うことが適当であると判断したということでした。また、今年度の計画としては、当該地の測量調査やJAに関する補償調査を実施したい、改築に当たっては、地域住民の皆さんと十分協議をしながら、新市建設計画事業として取り組んでいきたいと答弁をされております。その後、七カ月以上が経過いたしましたが、現時点においてJA宮崎中央穆佐支店所有地の測量調査はどうなっているのか。

 二点目に、測量が終わっているのであれば、補償についてはどのように話が進んでいるのでしょうか。また、平成二十年度の当初予算概要の中に、穆佐小学校の移転改築事業として1938万円が組まれていますが、この事業の内容についてお伺いいたします。

 井上雄二教育局長
 御案内のとおり、市穆佐出張所やJA宮崎中央穆佐支店があります高台への移転改築を行うことが適当であるというふうに判断しているところでございます。今年度は、これまでに移転候補地の測量調査やJA宮崎中央に関する補償調査等を完了し、現在、JA宮崎中央と補償等に係る協議を行っているところでございます。

 次に、来年度の取り組みについてでございますが、来年度は移転改築の具現化に向け基本設計及び実施設計に着手したいと考えております。今後とも、改築に当たりましては、安全で快適な学校となりますよう設計過程の中で十分検討しながら、新市建設計画事業として進めてまいりたいと考えております。

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Img_3448  結局、穆佐団地センターの敷地内に移転改築するということのようだ。充分な広さが確保されるかどうか心配だが、さまざまな検討の上、そこに決まったのだろう。今年度中に基本、実施設計の計画とあるので、完成は二年後ぐらいになるのだろうか。現在の穆佐小学校は老朽化している上に、毎年の大雨時の浸水や大地震のことを想定すれば、早めの対応が望まれる。ただ、団地センターのグランドや体育館はスポーツ少年団の練習場として連日利用されているので、ぜひその保障もしてもらいたい。

 解体後の穆佐小学校の跡地利用はどうなるのだろう。近くには高木兼寛の生家跡(穆園広場)や中世山城として貴重な穆佐城もある。故人になったが、穆佐を題材にした作家、阿万鯱人や知られざる歌人、高野春義もいる。サンスポーツランドも隣接し、それらを総合的に組み立てれば、面白い文化ゾーン(公園)ができる。

 身近な歴史、文化、医療、芸術、スポーツこそ大事だ。それらを関連づけながら学べる環境は、子どもたちにとっても大人にとっても有意義な場所になるだろう。かつて穆佐地区に居住した者にとっても、穆佐小学校は地域の結節点として歩んできた。穆佐城の地形を活かし、文化的な豊かさを感じさせるゾーン造りはできないだろうか。

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2006年5月31日 (水)

CAP

穆佐小学校でもCAPワークショップをやるという。6月7日(水)に5年生を対象に行われる。子どもを巻き込む悲惨な事件が続くなかで、CAPには以前より興味をもってきた。

CAPとはChild Assault Prevention(子どもへの暴力防止プログラム)の略称で、1978年に米国オハイオ州コロンバスのレイプ救援センターで初めて開発・実施された。「エンパワメント」「人権意識」「コミュニティ」を柱にしている。これらを具体的にロールプレイ(寸劇)を使いながら、子ども達に学ばせていく。

”子どもは「無力で何もできない」のではなく、自分を守ろうという力があれば、暴力から自分を守ることができます。子どもの内なる力に働きかけ、その力を引き出すのがエンパワメントです。人権を守る基本的対処の仕方が「No(イヤという)」「Go(その場を離れる)」「Tell(誰かに話す)」です。大切な自分を暴力から守るために人権意識が必要です。そして子どもたちの安全のためにはコミュニティ(地域)のおとなたちが子どもたちをサポートすることが不可欠です。学校に地域のおとながやって来て協力することで、子どもたちは子どもの安全のために真剣に取り組んでいるおとなたちがいること、子どもの話に耳を傾けるおとながいることを理解します。”(以上CAPセンターからの抜き書き) 

このブログでも自尊感情(自分が好きだ)が人権意識の基本になることを書いた。自立やチャレンジ精神も、そこから芽生えていくと考えている。そのためには子ども達を見守る地域の「まなざし」が不可欠だろう。下倉地区でもさんさんクラブ(お年寄り)のパトロール隊が子ども達を見守っている。地域でのコミュニケーションが豊かになって、そこでの生活が楽しくなれば、子ども達も地域を大事にしていくだろう。

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2006年5月29日 (月)

広報部

今年は小学校の広報部を担当することになった。
昨年台風被災をきっかけにこのブログを立ち上げ、小学校の様子などをアップしたことから、白羽の矢が立ったのだろう。広報誌「ぼくえん」を年4回発行することが主な作業だが、これがなかなか大変である。へたにパソコンを扱えることから、画像処理や手書き文字のスキャニングなど、連日深夜までその作業を行っている。その間、広報部会議を開催したり、PTAの役員会に参加したりで、ブログ更新どころではない。ま、今年度で娘も卒業するので、最後のお手伝いということで協力している。

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早速、28日(日)にPTAミニバレー大会が穆佐地区体育館で行われた。私も選手として参加したかったが、歳も歳だし、若いお父さんお母さん方にお任せして、取材に専念した。デジカメ片手に熱戦を撮りまくったが、帰宅後、確認するといい写真がない。動きの激しいスポーツであることや、室内で行われること、もともと写真の技術を持ち合わせていないこと、安物のデジカメを使っていることなど、素人での写真撮影の限界を実感した。

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その熱戦だが、考えてみると小学校1年生の保護者と6年生の保護者とでは、親子ほどの年齢差があってもおかしくない。実際、昨年度優勝したのは2年生チームだったが、今年も2年生が優勝した。若いお父さんお母さんの動きにはやはりかなわない。そのなかで準優勝を6年生がさらった。クラス旦のK先生の熱意が届いたのだろうか。保護者の間でも、最後の年になるということで気持ちがひとつになっていた。ユニホームも黒のTシャツとバンダナで統一し、背中にテープで顔文字をつくるなど、他の学年にはない盛り上がりをみせた。応援もまとまっていた。もちろん終了後の反省会にもたくさんの参加があった。

ハッスル賞は4年生、チームワーク賞は1年生であった。各学年の先生方も参加し、子どもたちもギャラリーから黄色い声援を上げていた。今年は応援旗や紙吹雪を準備していた学年もあったし、お父さん方の参加が例年になく多かった。家族総出で参加したところもあったのではないか。家族どうし馴染みになるいい機会である。二次会に流れていった組もあった。

本部席からしばらく観戦していたが、結構、雑用がいろいろと伝えられてきた。外で遊んでいる子どもたちが崖を下りて危ないから注意して欲しいとか、子どもが怪我をしたから養護の先生を呼んでくれとか、弁当屋がオードブルを持ってきたがどこのチームかわからないとか、本部役員は大変である。万端の準備をしても、突発的な出来事でてんやわんやである。保体部の委員の協力でなんとか乗り切っていた。

さて、6月初旬には1回目の「ぼくえん」85号を発行する。表紙に載せる詩も広報部の子ども達から募集した。素直でなかなかいい詩が集まった。これだけでも楽しい。副部長にお願いしたHさんは、たまたま広告関係の仕事をされていて、早速、「イラストレーター」で初稿を作成してくれた。さすがである。私もソフトを購入して作成してみたくなった。でもこれ以上覚えるとますます趣味が広がって、すべてが中途半端に終わりそうなので、今のところ我慢している。でも今年中に手を出すかもしれない。と、こんな感じで梅雨入りを迎えた。

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2006年2月 1日 (水)

移転問題

穆佐小学校の「校舎建て替えに関するアンケート結果」が配布された。回答率79%で関心の強さを示していた。それによると「現在の場所で早急に建て替えをした方がよい」という質問に対しては、賛成21%、反対50%、無回答29%であった。また「移転して水害の心配のない場所に建て替えをした方がよい」とう質問に対しては、賛成82%、反対12%、無回答6%であった。全体的に移転改築を求める意見が多い結果となった。

台風被災を受けた直後であるだけに、学校の衛生・安全面の確保が一番の理由に上げられていた。一方、移転反対派は穆佐小学校卒業の保護者が多く、母校がなくなる寂しさと移転にかかる費用の大きさが上げられていた。しかし、ここには災害復旧による校舎改修と、耐用年数と耐震診断による改築が混同されている印象も受けた。台風被災がなくても、高岡町としては高岡小学校の改築後は穆佐小学校と計画が立てられていた。市町村合併もなく、台風被災がなければ、恐らく今の場所で校舎改築がなされたであろう。

また、台風被災に関していえば瓜田川のポンプアップ施設を新設する計画も提案されており、それらの情報が周知されないなかでの調査であっただけに一部混乱もみられた。より具体的な資料提供や情報公開がなされ、再度、調査が行われるならば、もっと違った意見や結果が出てくるかもしれない。

いずれにしろ、地域の学校としての安全・衛生・避難面での機能を充実させる意見は、移転の有無に関係なく多かった。また子どもの通学距離や少子化による他校との統合合併にも触れたものがあった。折角、移転問題が浮上しているのであれば、穆佐地区全体の地域発展を視野に入れた意見が出てもよいと思った。この地区の産業や自然、歴史、地理的条件などを考慮して、安全で住みよい地域づくりを目指すべきである。そのなかで、小学校の校舎移転改築問題が論議されるべきであろう。

その場合、やはり穆園広場や穆佐城はひとつの大きな核になると思う。福祉文化施設を充実させるなかで、小学校の機能や場所が検討されるべきである。小学校の校舎移転だけを独立して考えてもあまり意味はない。地域コミュニティ全体として小学校をとらえ、きたるべき少子高齢化社会にふさわしい地域社会をつくるべきである。自由な発想で、今後いろんなビジョンやスケッチが出てくることを期待したい。

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2006年1月23日 (月)

模擬店

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22日(日)穆佐小学校の参観日に合わせて、PTA主催の模擬店やバザーが行われた。今年度は9月の台風被災や12月の指定研究授業などにより、1月での開催となった。学校は復旧工事が始まっており、グランドや体育館が使えないため、近くの団地センターを借りて行われた。前日の準備は冷たい雨のなかでのテント張りやバザー用品の整理であったが、おやじ会のメンバーを中心にたくさんの加勢があった(ハウス園芸農家はキュウリの種植えで繁忙を極めていた)。当日は何とか快晴に恵まれたが、寒風が吹きすさぶなか、暖をとりながらの模擬店であった。

今回もおやじ会による「おやじ鍋」が好評で、前日からの仕込みと当日の味付けまで、男どもがワイワイやりながら楽しんでいた。1杯200円のおやじ鍋は、寒かっただけに人気であった。大体、男が料理する時は材料費にいとめをつけないため、食材から調理用品まで高級品にも手をつけ、つい買いこんでしまう。その結果、完売はしたものの売り上げはトントンであった。でもその過程が楽しかった。今年は例年参加する味付けのベテラン(遠洋漁業の調理人)が不在で、具の入れ方や順序はまったく適当であったが、それなりに味付けができていた。

夜のPTA会長、おやじ会会長主催による打上会には学校の先生方も駆けつけ、大いに盛り上がった。学校近くの、ここも台風被災でやっと開業にこぎつけた馴染みの居酒屋で行われたが、スポーツ少年団の新年会も行われており、入り交じっての飲み方となった。教育論議から、仕事や家庭の話、市長選挙や政治の話と話題はつきない。しゃべり過ぎて、私も翌日変声期の声であった。

でも印象に残ったのは、やはり悲しい話である。リストラや離縁、事故など、話を聞けば、それぞれが悩み苦しみを抱えている。話すことでいくらかでも軽くなるのだろう。誰かに聞いて欲しいこころの痛みを、こんな時におおいにはき出してくる。それでどうなることでもないが、聞いてもらえることでつながりも確認でき、励まされもするのである。

顔の表情やその人の肉声が、また地区のつながりや支え合いの土壌になっていく。ネットとは別の醍醐味である。

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2005年12月21日 (水)

台風被災その後

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床上浸水した校舎がやっと改修されることになった。
年内(多分、本日)に改修工事の入札が行われ、年明けから体育館などの床の張り替えや壁の改修にかかるという。6年生の卒業式には、何とか間に合うようだ。やっとという感じである。体育館と同時並行して、校舎1階の床、壁の改修にもとりかかる。予算の関係で仮設校舎は造らず、理科室から事務室、校長室、職員室、会議室と部屋を入れ替えながらの作業になるらしい。先生方も引っ越しやその後片づけ等でまたまた大変である。

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音楽室のアスベスト撤去工事は既に始まっている。年末から年始にかけて、穆佐小学校は全面工事一色となる。子ども達は学校休業日が多くなった関係で授業時数が不足し、27日(火)が終業の日となった。施設設備の教育環境が荒れていると、やはり子どもに与える心理的影響は大きいだろう。通学路も台風被災後、家屋の解体や移転で風景も変わりつつあり、どこかしらまだ落ち着きが感じられない。不安による子どもの不眠や幼児返りは見られないだろうか。

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新聞で報じられた高木兼寛直筆の掛け軸もまだ校長室に掛けられたままになっている。見た目に損傷はそれほどひどくはないが、マット上部に浸水のあとや表面に細かな濁点が見える。今後、修復の手が入れられるのか定かではない。貴重な文化遺産なので、何らかの手は打って欲しいと願う。

いつになくあわただしい年の瀬となった。元気を出そうといろいろ手を尽くしてきたが、やはり静かな日常が一番である。天気や気候、動植物、食事、子どもたちの活躍など、何気ない話題が日常的に取り交わせるような日が、早く、くることを願っている。

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2005年12月18日 (日)

あったけ~

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強い寒波がおしよせた18日(日)、穆佐小学校5年生の学級懇親会が開かれた。今回はおやじ会の協賛で、餅つき大会やおやじ鍋、ゲームなどをして楽しんだ。餅米を蒸かす鍋釜4組が準備され、薪割りから、火起こし、餅米2升の蒸し方、マグロのアラ煮、お湯沸かしまで、おやじ会の指導のもと子どもたちも加勢しながらおこなった。

つきたての餅はお母さん方の指導で、まるめ方(っていうのかな)から、あん入り、芋入れ、ぜんざい作りまでおこなった。子どもたちは餅や粉を身体中にくっつけながら、一所懸命、挑戦していた。特におやじ鍋は好評で、寒い中で身体が暖まると何杯もお代わりする子どももいた。豪快なブツ切りを入れ、塩や醤油、ミリンなどで味付けたもの。骨や内臓なども入っていたため、その臭み取りにゴボウを少々入れただけのものであったが、フーフーいいながら、「あったけ~」と結構食べていた。

全体の指導者はそれらの内容にくわしい近所のお年寄りに来てもらい、餅米の蒸かし具合や、餅のこね方などいろいろ教えてもらっていた。5年生ばかりでなく、他の学年も加わり全体で100名近くは参加しただろうか。最後の後かたづけまで、おやじ会のメンバーが積極的に動き回っていた。時間通り、午前中にはほとんど片づけが終わり、本当に「あったけ~」イベントであった。

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穆佐小学校におけるこの「おやじ会」の存在は大きい。なかなか父親の参加が少ないのが一般的な傾向だが、こと穆佐小学校に関してはOBも含めて積極的に参加する父親が多い。特にこの「おやじ鍋」はバザーや模擬店などPTA主催行事の恒例となっており、かつての同窓生を中心に自分たちも楽しみながらやっている感じである。校区の子どもたちの顔も覚えながら、地域全体で子どもたちを見守っている。

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