23日秋分の日は秋の社日講であった。社日講は春と秋との年2回あるが、春の社日には五穀の種子をまつってその豊熟を祈り、秋の社日には稔った作物の初穂を供えて、感謝の意を表する。旧暦で春の社日は種まき、秋の社日は収穫の目安となっており、全国的には春分、秋分にいちばん近い戌の日をあてるといわれている。現在は春秋の彼岸の日に行われうことが多い。また下倉の社日講は田の神祭りを中心に行われる。
下倉地区には田の神像(このブログのタイトル画)があり、明治12年の建立となっている。法師像(農民型)としては最も古いといわれる。着物に袴、背に仏像の光背型の帽子、両手にメシゲ、短い棒を持ち、これを両膝の上に置き、中腰になっている。この建立以前の社日講は不明だが、春秋の祭りは行われていたと思われる。
下倉地区は5班(池内、学頭、上中、中間、岩崎)に分かれているが、各班で「お講神(庚申?)様」と呼ばれる神棚を祀っている。この由来については不明である。講の宿主がこの「おこしんさま」を次期社日講まで預る。社日講の段取りや準備等ははすべて講番と呼ばれる者二名が執り行う。当日の朝、講番は宿宅と開始時間を地区内にふれて回る。会費(以前は米など)を集める場合もある。この宿主および講番は輪番となっており社日講のなかで決められる。
講番は社日講の早朝、田の神像の周辺を掃除する。ただし、共同で執り行われる神事の世話役を担う班の講番は除かれる。その神事は当日の午後3時から、粟野神社で行われる。各班の「おこしんさま」を持ち寄り、神社内殿に並べ、神主がお祓いをする。年一回、「おこしんさま」の紙切りを張り替える。また田の神に祭る竹の御幣2本と各家庭用(講員用)の御幣が配られる。この神事には公民館長および各班の宿主または講番が1名参加する。神事の後、簡単な直会(共同飲食)があるが、その準備(ビール、焼酎と肴など)は担当班の講番が輪番で行う。以前は各班ごとに当番の宿で神事が行われていたが、神主の日程調整が難しいことや費用の無駄などから、共同で行われるようになった。
共同神事の後、「おこしんさま」を各班に持ち帰り、宿主宅で社日講が行われる。上座に「おこしんさま」を安置し、参加する講員はまずこれに拝礼する。お賽銭も準備する。全員が揃ったら講(共同飲食)が始まる。進行は講番が行い、会計報告や寄贈品を報告する。宿主や班長の挨拶、新加入者の紹介などがある。各班で協議事項がある場合はこの場で行う。飲み物や料理は班費から準備するが、宿主は必ず全員分の豆腐を準備することになっている。この「おこしんさま」と豆腐との関係には、何か深い意味があるのかもしれない。確証はないが、大豆、白色、清水などから神が宿ると観念されたとしても不思議ではないし、それを分配する意味もあるのかもしれない。
一段落したところで田の神参りがある。神事で配られた竹の御幣とおにぎり、焼酎、料理などを持参する。参詣者は特に決められていないが、宿主または講番、農業従事者、班長など数名が参詣する。田の神像におにぎりを擦りつけ、お神酒と持参した料理などを供える。田の神の前でも共同飲食を行う。かつてはそこで踊りなども舞われたという。宿に帰宅後、参詣者がその報告や感想を述べる。田の神のおことばとして、その年の吉凶や様子などが面白可笑しく報告される。講の時間は各班でまちまちだが全体で約二時間ほどで終わる。
最近の住宅事情により、宿主となっても社日講を開く部屋がなく、公民館(写真)を借りて行う班もある。また宗教上の理由から参加を断る地区民もいる。この社日講は地区の懇親を深めたり、取り決め事を行う場ともなっているが、時代とともにその開催も難しくなってきている。
以下は『民俗学辞典』(東京堂出版)より
社日講の講とは本来、宗教上の目的を達成するために、信仰を同じくするものが寄り集まって結成している信仰集団であるが、社日講は村落の地域集団単位ごとに成立して、いちじるしく地縁性の濃厚なものである。また神道的な色彩の濃い講であり、山岳信仰や特殊な霊験をもつ社寺信仰によって発達してきた。講員を代表して参詣するいわゆる代表人を決めたり、その路銀を共同で出資することを決めるために定期的に当番の宿に集まって飲食をともにし、個人の信仰心を満足するとともにまたお互いの親睦を深めている。
この加入はなかば強制的であって義務的拘束性をともなうことが多い。いわば地縁共同体によって構成されているが、そのため地区の活動機能もすべてこの講を単位としてなされる場合が多い。山の神講、田の神講はその典型的な例で、村構成の地縁的単位として村組全員が参加している場合が最も多い。村の行事や規約をとりきめる村寄合を田の神講と呼んでいる地方もある。春秋の二季に全員が当番の宿に集まり田の神を拝んでからお神酒を汲み共同飲食する。庚申講もそれぞれ該当する日に終夜おこもりして会食談合することを行事内容としている。